前回更新を確認したら、既に2年以上経過しました。
未だ、アプリでの更新が慣れずにいて、かつ、数年前に購入したPCの容量が限界に達して、買い替えを余儀なくされています。
この間にあったこと諸々を。
※かなり長文になりますので、お時間がある時にどうぞ。
コロナ禍で会社を辞め、再びKIX Iへ
コロナの影響は、当時在籍した職場はさほど影響なかったのですが、やはり、腹黒女を頑なに擁護する態度を変えなかったのと、信頼していた上司の裏切りにより、今まで耐えてきたものが一気に吹っ切れてしまいました。
同時に、転職活動を進める内に、色々と情報収集している内に、あれよこれよとKIX Iでの復帰の話が舞い込んできたのです。
まぁ、今だから話せるのですが、KIX Iへの転職に強く背中を押してくれたのは、後に任期満了で定年退職された、職場で唯一気軽に話せる大先輩でした。
大先輩以外に、退職することを打ち明けることもありませんでした。既に、誰も信頼出来なかったから。
そんな中、全国的に緊急事態宣言が発令され、3週間近く充電期間を迎えました。
5年ぶりの夜勤専属は、体力よりも精神との闘いでした。
常に生産力を求められて、常に監視され、常に変化する職場環境に一喜一憂しながらも、半年以上駆け抜けてきました。
コロナ禍が長期化するほど、物量は安定どころか下降気味になりつつあります。
実際に現場で働いている側からの視点ですが、恐らく、当初不足していたマスクなどの生活必需品を求める人が殺到し、それらの反動が来ているのではないかと推測出来そうです。
それだけではありません。
モノだけではなく、人の需要と供給が合わないこともありました。特に、ホリデー期間が酷かったなぁ。
スポットで入る人間の大半は、コロナ禍で職探しをしていた人ばかりで、私たちレギュラー陣と比べると、作業も態度も傲慢さが目立っていました。
人数的に余裕がある場合、先ずはスポットの出勤を減らすのが筋だと思いきや、我々レギュラーの出勤日数を減らされました。
協力会社に所属している人間は、致し方がなく上の主会社(だいたい想像つくと思います)に従う義務がありますが、全ての人が納得できるはずがありません。
その為に、目安箱というヒヤリハット形式の意見を発信する手段があります。私も何度か使わせていただきましたが、いくつかは採用されていました。
どの職場も、公共施設でも、試行錯誤を繰り返しながら、コロナ禍に合う環境を作っています。
でも、1人ひとりの行動そのものが、今後のコロナ禍を左右されるのかもしれません。私も、より気を引き締めていきたいです。
再び、KBC熱が盛り上がる
2020年のプロ野球の開幕戦は6月19日でした。
夜勤専属が始まった当初は、巣ごもりの影響の延長線上でYouTubeを観たり、スマホゲームなどに熱中していました。
時折、野球はいつ始まるかどうかとヤキモキしていましたが、気が付けば、交流戦なしで、かつ無観客試合をぶっ通しでやり通すという、前代未聞の出来事だったように思えます。
競馬も秋頃まで無観客だったけれど、プロ野球は早い段階で少しずつ客を入れましたが、何せチケットが取り辛かったです。
そんな穴埋めで、radikoでホークス戦をチェックすることが多かったです。
何よりも、夜勤前にナイターを聴きながら出勤出来るのが、日々のルーティンになっていました。
そこで再び、KBCラジオと向き合うようになりました。
前職を辞める直前、Yahooニュースを通じてですが、宮本啓丞アナウンサーのアサデス。を通じて取材を受けた記事を読んで勇気づけられ、もう一度、KBCと向き合ってみようかな?と、一歩踏み出せた気がします。
もう一つ気になったのが、2013年に本格復帰したコンテツ(近藤鉄太郎アナ)の動向でした。
ライフワークに近かった競馬実況が、自社放送枠撤退の影響で失い、野球一本で大丈夫なのかどうかが、とても心配でした。
が、そんな心配さえも、去年の遅すぎた開幕戦実況の最初の一言で、一気に払拭されました。
「ラジオの前のプロ野球ファンの皆様、お待たせいたしました。お待たせしすぎたのかもしれません」
エグアナ・サワジー(沢田浩二アナ)も驚愕された、村西とおる氏の名言を拝借したコンテツ。。。
「お前、アホか!」と、ツッコミ入れたい気分になりました。
と同時に、「やるな。コンテツ…」との安堵感でいっぱいでした。
そこからは、年末の福岡国際マラソンまで、一気に駆け抜けた気がしました。
リーグ優勝、CS突破、3年連続の日本一。
短くても贅沢なシーズンになりました。
ただ、9月末までは、正直余裕がなかったです。
ロッテに肉薄するほど差が縮まっていたから…。
ヤンコバ(小林徹夫アナ)が抜けて、更にたのくん(田上和延アナ)がスポーツ部兼任されてから、コンテツの負担は非常に大きかったように思えます。そんな大きな負担さえ微塵も感じなかった。勿論、ラジオを通じてからだけなんですが…。
逆に、たのくんは、一気に気疲れがドッと来たと、日本一直後のラジオ特番で仰っていました。確かに、スポーツ部のドン・わだまん(和田安生氏)と共に、ラジオ中継を支え続けたのですから。
それだけではありません。
ディレクター業と同時に、彼には、3人の後輩スポーツアナの育成にも手を抜けない状況ですから。
特に、熱の入れようが強かったのが、奇跡的にもリーグ優勝、更にCS突破実況を担当したわだどん(和田侑也アナ)でした。
どんの一語一句を、些細な行動までも、細かくチェックされている。やはり、今は亡き河村英文氏の厳しい指導があったからこそ、今のたのくんのスタイルが存在しているのかもしれません。
けれど、どんのいい所は、年齢の割には非常に落ち着いてるし、何事も億劫なく猪突猛進してゆく姿が、好感を持てます。
ただ、猪突猛進しすぎて、時折、藤原満さんや西村龍次さんにツッコミ受けたりしますが…実況スタイルは、まだまだ荒削りな状態なのかもしれませんが、ポイントはきっちり押さえているのではないかと思います。それは、デスクを担っているコンテツが認めているぐらい、更には、他の同年代のアナウンサーたちが大きな影響を受けるほど、貴重な人材だと思います。
彼が成長するのはこれからです。
ミスミン(三澤澄也アナ)やイウチン(居内陽平アナ)が黙っていないはずです。どんに追い越せ、追い抜けと、奮起しているはずです。若手の3人がどのように盛り上げてくれるのか?とても楽しみにしています。
閑話休題。
20年前ほど前、卒業旅行から帰阪した直後、めざましテレビを降板した理由が、何とKBCに移籍したからだという理由を、本人の声からKBCラジオを通じて知り、相当度肝を抜かれた記憶が、昨日のことのように思い出します。
今ならば、SNSで一気に通じたり、radikoでクリアに聴けるし、絶対に見抜ける自信があるから、もっと度肝を抜かれたのかもしれません(絶対音感とまでは言えませんが…)。
スポーツアナウンサーとして軌道に乗せようとするも、間髪入れず…様々な試練を受ける形になりました。
20年前、アサデス。の初代キャスターに任命し、少し失望してしまった虚しさ
13年前、突如報道部に異動になった悲しみ
7年前、突如アナウンサー復帰の吉報を知った嬉しさと戸惑い
今は大阪で営業マンを支えている岡田浩一さんが現役だった頃よりも、コンテツには特別な感情を抱いています。
一度は諦めざるを得なかったKBCへの固い扉を、中途採用という形で開いたという記事を知り、自社に対する熱い想いがあるんだと思います。
それは、報道部に在籍しながらも、絶えず競馬実況を続けた形跡でした。
もし、競馬実況を切り離されてしまったならば、コンテツは表舞台に戻って来れなかったと思います。それなりの覚悟を抱いて、6年間耐えてきたのかな?
アナウンサーを離れる=道が閉ざされる
今までのKBCの社風からすれば、そのような感じに見えました。特に、経験が浅い人間になればなる程、より道が狭まれていく。
その常識を、初めて覆してくれたのが、恐らくかときょん(加藤恭子アナ)さんとコンテツだったのかもしれませんが…。
ただ、独り身になられた理由を、敢えて検索する勇気まではありません。その方が、精神衛生上、自分的にはいいかもしれない。
とにかく、今日からキャンプインです。
今シーズンは、既に始まっています。
私も、間もなく戦闘態勢に入ります。
頑張れ、KBC。
頑張れ、コンテツ!