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R:recognise

認識する、という意味です。

これは、演出としても教師としてもプロデューサーとしても、長年の研究課題です。


生徒の例が一番分かりやすいです。

教師が何の苦もなく理解出来たことを、生徒に分からせる場合、非常に困難があります。
お互いに何が解らないのか分からない…。

お互いの前提や文脈が異なるため、言葉が解らなかったり、概念が解らなかったり、思考プロセスが全くやったことのないものであったりします。

これを「何でこんなこともわかんないんだ!」ってやっちゃうともとも子もないので、むしろ「何でこのことがわかんないんだろう?」と相手の認識のプロセスや思考のプロセスの根底にあるものに深く深く潜っていく作業をしていくことになっていきます。


プロデューサーとして外部の人や内部の人間に企画を説明したり、チラシ作成や受付をお願いする相手に説明する際にも、この作業が必要になります。

数学で言えば、中学生になりマイナスの世界が出現したり、高校になって複素数平面の世界に迷い込む、それぐらい各個人の認識の隔たりが大きい場合があります。

政府と国民の認識の隔たりや説明不足でオイルショックでトイレットペーパーがなくなったりするのです。


稽古場では、この差を埋めるのに半分以上の時間を費やします。
だから長年組んでいるスタッフ・俳優と組む人が多いのです。

認識の違いを埋めるために、相手が良く知っていることを例えに使ったり、身体的な動作や具体的な事柄を用いて共通の認識を得ます。

専門学校でも、一番通じるなあ、と感じるのはワンピースだったりしますから。


そしてこの認識論は、観客と私たちの間でも起こります。

僕はまず第一に、見て楽しいもの、面白いものを作っているつもりです。

その上で、もちろん作品の意図や、伝わるといいなっていうことはあります。


今回の「橋の上の男」は特に意図とか何かメッセージめいたものを読み取ろうと、小難しく考えてしまえばしまうほど難解に思えてしまう作品ではないかと思います。
普通の芝居とはちょっと違う、実験的とか前衛的な芝居に分類としてはされるでしょう。

でも俳優たちの力で舞台というより会場に現出するのは、泣き笑いし続ける二人の男の60分間の物語です。
僕たちに出来ることは物語を語ることだけです。

でも、もしかして、おうちに帰って来た時に、この世界に対する認識がほんの少し変わっていたら、それは素晴らしく素敵なことです。


このお話は、マスコミが視聴者や読者が喜ぶことを伝えようとして結果的にヒトデナシな行動を取る報道の加熱化と、絶えず圧力がかかる中で生活する庶民の悲喜こもごも、それでも生きてゆかねばっていう状態がゴロッと観客に提出されます。
どちらかというと共感を少し拒みたい形で。

でも帰り道、はっと気づいてもらえたら幸いです。
実はこのマスコミと視聴者の関係は、私たち作り手と観客の関係と同じだということに。
そうして報道を少し疑って見たり、何かしら世界を異なる形で見られたら幸いです。

メディアリテラシーを観客に学ばせたい、とかそういうことではありません。そんなことは学校や家庭でまなんでもらうことです。
それに既にされている方もいらっしゃると思います。


演劇に出来ることは、この世界に対する認識をちょこっと変えるぐらいのもので9割9分楽しんでもらえれば、それで良いのです。
世界ってこんな風に見えたりするんですよってことです。

毎回ほぼ満席御礼でした。この場を借りて、楽しんでくださいました皆様、ご協力いただけました皆様に熱く厚く御礼申し上げます。

なお、空調不良につき、大変暑いなかの観劇になってしまったこともお詫び申し上げます。
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