Re-Set by yoshioka ko

■ウィキリークスのリークに思うこと

 ウィキリークスのリークが日々のニュースになっている。アメリカの在外公館員らの生々しいやりとりが連日リークされ、アメリカ国務省は沈静化に躍起だ。

 確かに、国家元首を無能呼ばわりしたりこき下ろしたりの数々は、表向きの言葉とは違った本音が見えていて、国際政治の魑魅魍魎ぶりが窺えて面白いし、痛快でもあるし、ことによったら、実は国家というものは信頼しあえないものだ、ということを示してもいる。

 リーク、もしくは内部告発にはそれをしなければならない理由がある。しかし、ウィキリークスのリークには、その積極的な理由がよく分からない。機密、極秘、秘密などの指定がされていれば、それだけで見たいのは人情だ。

 尖閣映像にせよ、その前の警視庁漏洩文書(本にさえなった!)にせよ、日本でもここ最近、この手のリークが紙面を賑わせている。詳細が見えないので早合点はできないが、これらにも漏洩の積極的な意味合いがよく見えない。

 リークは通常、怒り、正義感が背景にある。そこに金儲けが加わったら、リークは途端に合戦に早変わりする。そうなると結果は衝撃的には違いないが、なんとなくすっきりしない感が残る。メディアに身を置く人間としても、スクープ感の一方で、残尿感も居残るという奇妙な感覚に襲われる。

 いま、日本のメディアにも、リークされた内容についての報道は続いているものの、それ以上のものにならない。それは、この手のリークもしくは内部告発に、怒りや正義感といった真剣さを感じていないからなのだろうと思う。

 スクープはやはり自らの手でつかみ取っていく、ということが王道なのだ。

 

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