いうまでもないが、アルジャジーラTVの深みのある報道にはBBCもCNNも負けるが、それでも日本のNHK・民放含めた現地発報道が、「出来事」報道の域を出ないのは、危険地域とか何とかだとかは別として、事態が流動的だからという理由がある。しかし、それでも、この時期でのドキュメンタリーチックな番組では、例のエジプトを追った『Nスペ』が先行した、という認識では一致した。
これは、その上でのハナシ。これからリビアのカダフィ体制が、(最悪な形で)崩れ、その余波が中東の近隣諸国に波及していく(に違いない)とすれば、同時進行的な取材・報道とともに、その取材・報道の原点には、1979年の『イラン革命』があった、という視点がなければ、表層的な取材・報道にとどまるのではないか、ということだ。
それは、以下のような考えによる。『イラン革命』は、冷戦を戦っていたアメリカが、初めて中東における政治的・軍事的な足場を失った事件だった。だから、その後のソ連によるアフガン戦争で、ウサマ・ビンラディンを育てたのも、1991年の湾岸戦争も、2001年の「テロとの戦争」も必要だった・・・。
Yさんと合致したこのような見方の行き着く先は、いま中東・北アフリカで起きていることは、この地域におけるアメリカが目指した「冷戦構造」が最終的に破綻するということではないか、ということだった。それはムバラクもカダフィも、これからドミノ的に、崩壊に向かっていくかもしれないほかの国々の国王なども、思い起こしてみれば、中東に足場を築きたいアメリカが育ててきた独裁者だった、という理由による。
従って、いま問われているのは、実はアメリカなのではないか、という視点からの取材・報道だ。
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