《以下引用》
「太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの教科書記述が削除された問題で、文部科学省の検定意見に抗議する超党派の沖縄県民大会が二十九日午後、同県宜野湾市の海浜公園で開かれた。約十一万人(主催者発表)が参加し、検定意見の撤回を訴えた」(9月30日『朝日新聞』)《引用ここまで》
伊吹前文科相は「教科書の検定には、大臣(政治)が介入すべき問題ではない」と言い、専門家の審議委員の判断だ、と責任を放った。しかし、まず最初に「軍命はなかった」という意見書をまとめたのは、文科相の教科書調査官ではないか。
そういう背景を抜きに「政治が関与すべきではない」などというのは、「軍命がなかった」と言うのと同じである。
沖縄全土、沖縄県民総遺族といわれるような無謀な戦争がなぜ起こったのか、その後もなぜ沖縄にはアメリカ軍基地が今日に至るまで置かれるようになったのか、この二つは沖縄に背負わされた《宿命》とでも言うしかない理不尽さの象徴である。
この理不尽さが戦後62年間も続いていることに、驚きと政治の薄幸さをあらためて感じざるを得ないが、抗議の集会に参加した仲井間県知事は「マグマが溜まっている」と表現した。「マグマ」という言葉は、歴代知事が使ってきた言葉だが、その意味する沖縄県民の意思を、少なくとも日本との関わりを全的に持つことになった明治の廃藩置県から始まる沖縄の歴史を、政治は真摯にひもとき、沖縄に対する姿勢を再考すべきではないか。
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