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鉄道、登山、動物、植物、グルメ、歴史、名所、読書といった内容で、焦点の定まらない内容となってしまうかも😅

磐井神社、美原不動尊

2022-09-07 20:37:00 | 東海道
大森海岸駅が近いです。ここから大田区に入ります。磐井神社です。

創建

859

主祭神

応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・姫大神・大己貴命




平安時代後期編纂の『延喜式』などにも記載されている古社で、『江戸名所図会』には鈴森八幡宮という名で記録されています。

2つの石が社宝として伝えられており、神功皇后ゆかりの「鈴石」は打つと鈴のような音がしたことから鈴ヶ森の地名の由来になったといわれています。また「烏石」は江戸時代の書家 松下烏石(まつしたうせき)が寄進した鳥の模様のある珍しい自然石。石は残念ながら非公開ですが、境内にはこの烏石を記した烏石碑(1741)をはじめ、江戸時代の文化人達の筆塚や書学碑があります。

かつて社名の由来にもなった「磐井の井戸」があり、東海道往来の旅人に利用されていました。「この水を飲む時は、心正しければ清水。邪心があれば塩水になる」と言い伝えがあり、霊水・薬水とも呼ばれていたそうです。境内にあった井戸は第一京浜国道の建設により神社前の歩道上に残されています。

社殿の左、池の中に弁天島があり、ここに琵琶を持つ弁財天(東海七福神)が祀られています。


銀杏の大樹です😀



続いて、美原の標石です😯
ガイドブックによると、美原は品川宿と川崎宿の中間に位置し間の宿で海苔、麦わら細工が名物であり、美原は大森村の北原、中原、南原を三原と呼び、美原となったそうな。

その先にありますのは、美原不動尊となります。戦後に創設された比較的新しいお寺のようです😀




おしまい😄




鈴ヶ森刑場跡、浜川神社

2022-09-06 22:15:00 | 東海道
浜川神社の前を過ぎます。実はこの建物の二階に本殿が鎮座しているのですが、気付かずにスルーしてしまいました😅天明年間に、修験者が厄神大権現を祀ったことに始まるものと、説明の立て札があります。

その先が、鈴ヶ森刑場跡です😯

鈴ヶ森刑場は小塚原(荒川区)とならぶ江戸の処刑場で、慶安4年(1651)に開設されました。鈴ヶ森の名は大井村の隣の不入斗村(大田区)にあった鈴森八幡宮(現磐井神社)に由来するものです。

東海道に面しており元禄8年(1695)の検地によると、間口40間(約74m)、奥行8間(約16.2m)の規模がありました。現在は文久2年(1862)に開かれた日蓮宗大経寺の境内にあります。処刑に使用したといわれる台石や首洗いの井戸などが残されているほか、近代以降の様々な供養塔が建てられています。


火焔台と磔台


首洗の井戸


最初の処刑者は、慶安4年の由井正雪の乱に加わった丸橋忠弥だといわれ、他にも平井(白井)権八、天一坊、八百屋お七など、歌舞伎や講談でおなじみの人物がこの地で最期を迎えました。歌舞伎『浮世柄比翼稲妻(鈴ヶ森)』で有名な題目供養塔は、高さ3m超の石塔にひげ文字で南無妙法蓮華経と書かれ、裏面には元禄11年(1698)の年号とこの供養塔を建立した法春比丘尼、谷口氏の名が刻まれています。


おしまい😀




鮫洲八幡神社、浜川砲台跡、天祖諏訪神社、泪橋

2022-09-05 21:53:00 | 東海道
鮫洲の鎮守、八幡神社です。

創建

1661年頃

主祭神

誉田別尊・気長足姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊


広いです😀


富士塚もあります⛰


かつての御林漁師町の鎮守。御林漁師町は江戸時代、隣の品川浦とともに江戸城に鮮魚を納める「御菜肴八ヶ浦」のひとつとして発展しました。

御祭神は誉田別尊・気長足姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊。毎年、814日に近い金・土・日に例大祭が行われています。大神輿の宮出しが土曜日の夜中、午前3時から行われ、その日は朝7時までかけて御旅所まで担がれます。
本殿の左手には弁天池があり、池の中島には水神社と弁天社、そのほかにも厳島神社、稲荷神社などの末社が祀られています。


海の方へ向かいますと、公園内に砲台跡があります。この辺りは、土佐藩下屋敷があったのですね。

現在の浜川中学校(東大井3-18-34)を中心とした地域は、かつて土佐藩の下屋敷があり、ペリー再来航後の安政初年に立会川河口左岸に砲台が設置されました。

新浜川公園に2015年に復元設置された「浜川砲台の大砲」は、この砲台に据えられた8門の大砲のうちの1つ「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」を原寸大(全長 3メートル、車輪の直径1.8メートル)で再現したものです。


そして、立会川に架かる浜川橋は、泪橋と呼ばれます。この先の鈴ヶ森の刑場で処刑される罪人はこの場で縁者と泪の別れをしたそうです😥



浜川橋を渡りますと、天祖諏訪神社があります。天祖神社と諏訪神社は、古くは神明宮・諏訪社と称して立会川をはさんでそれぞれで祀られていました。天祖神社の創建は11001190年頃、諏訪神社は江戸時代初期、寛永8年(1631年)以前の創建と伝わります。昭和40年に天祖神社のあった現在地に社殿を建て、合祀されました。現在、諏訪神社の跡地には末社の稲荷神社があります。境内には他にも厳島神社(弁天様)をお祀りしており、その周りの池には大きな鯉が悠々と泳いでいます。御祭神は天照大御神、豊受大神、建御名方刀美神、小碓命。勝負ごとや己に勝つための祈願をしたお守り「勝守り」が人気となっています。東海七福神の福禄寿をお祀りし、お正月には多くの参拝客が訪れます。

おしまい😀











天妙国寺、品川寺、海雲寺、海晏寺

2022-09-04 20:55:00 | 東海道
京浜急行線、青物横丁駅近くのお寺を、四つ。江戸方面から天妙国寺からです。

創建

1285

山号

鳳凰山

宗派

顕本法華宗

本尊

三法尊


顕本法華宗 鳳凰山 天妙国寺は、日蓮大聖人の直弟子である天目上人によって、弘安8年(1285年)に創建されました。

その山号は、堂宇建立の際、天より鳳凰の羽が舞い降りてきたという逸話に由来しています。 また寺号は、『妙法蓮華経』の力をもって国家安穏を祈るという意味を込めて、はじめ「妙国寺」と名づけられ、のちに「天妙国寺」へと改称されました。

当寺を語る上で欠かせないのが、徳川将軍家との深い関わりについてです。
天正18(1590)、徳川家康公が江戸入府の際、一夜の宿とされたのが、まさに当寺でした。


次に品川寺です。ほんせんじと読みます。

創建

806810

山号

海照山

宗派

真言宗醍醐派

本尊

水月観音


東海道に面した品川寺(ほんせんじ)は、平安時代前期に開創され、「品川」の地名の由来となった品川区で最古のお寺です。本尊は水月観音(非公開)。東海七福神の毘沙門天を祀っています。

入口にある大きな銅造地蔵菩薩坐像は「江戸六地蔵」の一つで神田の鋳物師 太田駿河守正義の作。東京都有形文化財に指定されています。


その隣に、海雲寺があります。

創建

1251

山号

吟山

宗派

曹洞宗

本尊

十一面観音


禅、曹洞宗、龍吟山海雲寺は建長3(1251)僧不山(そうふざん)によって開基、はじめは庵瑞林(あんずいりん)といい、海晏寺(かいあんじ)境内にあって臨済宗でした。


慶長元年(1596)海晏寺五世分外祖耕大和尚を開山とし曹洞宗に改められ、寛文元年(1661)海雲寺になったもので、ご本尊十一面観世音菩薩を安置し、ご尊像は建長3年創立当時、仏師春日の作といわれています。また、鎮守として千躰三宝大荒神王を祀ります。

荒神堂に祀られている千躰荒神は江戸時代よりかまどの神様、台所の守護神として多くの人々から信仰されています。毎年3月と11月の27.28日に行われる千躰荒神祭では、荒神堂の中で一日中護摩が炊かれ、お札が授与されます。この日は、境内から青物横丁駅まで、露店が軒を連ね大勢の参拝者で賑わいます。お釜の形をした「釜おこし」が名物です。




境内にある、平蔵地蔵といいます。かつて、ここの地の3人連れの乞食のうちの平蔵が、多額のお金を拾って、落とし主に返した際、当然のことをしたとの理由で謝礼の小判を受け取らなかったことから、分け前をあてにしていた仲間から殺されてしまいます。これを聞いた落とし主が平蔵を供養したとの逸話があります😥

最後に、海晏寺です。

創建

1251

山号

補陀落山

宗派

曹洞宗

本尊

聖観音菩薩

海晏寺は建長3年(1251)に北条時頼が、鎌倉 建長寺の蘭渓道隆を迎えて開いたと伝えられるお寺です。

創建当時は臨済宗の寺でしたが、戦乱による焼失ののち天正18年(1590)に曹洞宗の寺として再建されました。江戸時代には紅葉の名所として有名で、歌川広重らの浮世絵にも数多く描かれています。

墓地には岩倉具視、松平慶永(春嶽)、由利公正など幕末・明治期に活躍した人々の墓所があります。


ちょっと、入りにくい雰囲気です😅


紅葉の名所なのです🍁



おしまい😄







荏原神社、海徳寺、品川宿問屋場、貫目改所跡

2022-09-03 19:42:00 | 東海道
目黒川を挟んで、荏原神社と海徳寺があります。

荏原神社です。

創建

709年

主祭神

天照大御神、天照大御神、須佐之男命

荏原神社の創立は和銅2年(709)、古くは貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と呼ばれていました。現在の社殿は弘化元年(1844年)に完成したもの。祈雨と止雨の守護神とされる高龗神(たかおかみのかみ)をはじめ、天照大御神や須佐之男命などを祀っており、品川の龍神さまとして多くの信仰を集めてきました。神殿に掲げる荏原神社の扁額は内大臣三条実美公、貴布禰大明神の扁額は徳川譜代大名源昌高のお染筆です。東海七福神の恵比寿神も祀っています。




海徳寺です。軍艦千歳殉難者之碑があります。不思議な、お地蔵さまも😮



品川宿問屋場、貫目改所跡は、製菓実験社のある場所です。問屋場が扱う荷の重量を計っていました。



おしまい😀