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鉄道、登山、動物、植物、グルメ、歴史、名所、読書といった内容で、焦点の定まらない内容となってしまうかも😅

万年屋跡、川崎稲荷神社

2022-09-12 21:40:00 | 東海道

六郷橋を渡ると、万年横丁と大師道の道標があります。東海道はこっちの方へ進みます。六郷橋の高架をくぐりますと、万年屋跡があります。六郷の渡しを渡るとすぐに川崎の宿場町。なかでも万年屋の奈良茶飯が名物だったそうです。








川崎稲荷神社です。紀州の徳川吉宗が将軍継承のために江戸に向かう際に休息したとの事です。



この辺りは、稲荷横丁と呼ばれます。



おしまい😄





止め天神、六郷橋

2022-09-11 20:15:00 | 東海道
いよいよ、六郷橋までやってきました。六郷土手の脇に、止め天神と呼ばれる北野神社があります。徳川吉宗の乗る馬が突然暴れ出したが、北野天神の加護により落馬を止めたことから「止め天神」と呼ばれるようになりました。

創建

主祭神

菅原道真





側に、六郷の渡し跡があります。



慶長5年(1600年)、徳川家康により六郷川に六郷大橋を架けられ、以来修復やかけ直しが行われました。元禄元年7月の大洪水で六郷大橋は流され、幕府は架橋をやめ、明治に至るまで船渡しとなりました。当初渡船は、江戸の町人が請け負っていましたが、宝永63月川崎宿が請け負うことになり、それによる渡船収入が宿の財政を大きく支えました。現在では、川崎側に渡船跡の碑と、明治天皇六郷渡御碑が建ち、欄干に渡船のモニュメントがあります。


こちらは、大正14年(1925年)に架けられた、旧六郷橋の東京側の親柱です。




さて、六郷橋を渡ります。立派な橋です😳

神奈川県川崎市、川崎宿に入っていきます。




六郷の渡しは、浮世絵にもありますね😙
歌川広重、東海道五拾三次之内 川崎 六郷渡舟



おしまい😀











雑色熊野神社、六郷神社

2022-09-10 19:21:00 | 東海道
熊野神社です。雑色駅の近くにあります。


力石がありました。

多摩川の手前の六郷神社です。

創建

天喜5年(1057年)

主祭神

誉田別尊





社伝によれば天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と伝えられます。


文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて戦いでの勝利を祈願したので、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営しました。 現在、社宝となっている雌獅子頭(めじしがしら)と境内に残る浄水石は、このとき頼朝が奉献し、神門前の太鼓橋は、景時が寄進したものといわれております。

天正19年(1591)徳川家康は、神領として十八石を寄進する朱印状を発給し、慶長5年(1600)には六郷大橋の竣功を祈って願文を奉り、また当社の神輿をもって渡初式を行ったと史書にみえます。当社が八幡宮の巴紋と併せて葵紋を用いているゆえんは、ここにあります。

江戸時代には、東海道をへだてた西側の宝朱院(御幡山建長寺)が別当寺でしたが、明治維新により廃され、明治5年(1872)東京府郷社に列格し、明治9年より六郷神社と称して今日に至っております。


六郷神社は、六郷川(多摩川)の守護神でもあり、古くは大師河原町・元羽田4ヶ町、鈴木新田(現羽田空港)などを含め41ヶ町の氏子をもつ総鎮守でした。

祭礼は、3基の神輿をご座船に載せ六郷川を船渡御する曳舟祭が行われておりました。


おしまい😀





梅屋敷跡、夫婦橋

2022-09-09 23:37:00 | 東海道
京浜急行梅屋敷駅の手前に梅屋敷跡があります

文政年間(1818年から1830年)の初めに、和中散という道中常備薬を商う山本久三郎が、梅の名木を集め、東海道を往来する旅人を相手に茶店を開きました。かつては蒲田梅屋敷として、亀戸の梅林とともに江戸近郊の梅の名所の一つとして有名になり、広重の浮世絵にも描かれました。現在公園になっているところは、その屋敷跡の一部です。



京浜急行蒲田駅の手前に夫婦橋があります。第一京浜国道(国道15号線)が呑川を渡るところに架けられた橋が、夫婦橋である。古くは、六郷用水に並んで架けられていた二つの橋を女夫橋と呼んでいたことによる。



おしまい😀



大森区役所跡、貴舩神社

2022-09-08 22:10:00 | 東海道
さて、東海道を登っていくと、大森警察署の交差点にぶつかります。この大森警察署の敷地に、戦前は大森区役所がありました。



昭和七年(1932)、東京市の市域拡張に伴い、それまで荏原郡に属していた現大田区域のうち馬込・東調布・池上・入新井・大森の五町が合併して大森区ができました。

 大森区役所の位置は、入新井町役場も候補地でしたが、大森町役場の庁舎が昭和六年(1931)に建設されたばかりで、当時荏原郡で唯一の鉄筋コンクリート三階建ての建物であったことから決定されたと伝えられます。この建物は、昭和十五年(1940)に区役所が中央二丁目(現大田文化の森)に移転してからは大森警察署として、利用されてきました。


そしてここには西南、日清戦役碑があります。明治10年(1877年)西南戦争と、同27年(1894年)~28年(1895年)の日清戦争に、この地域から従軍し、戦死した人々を慰めるために建てられた。ともに山県有朋が碑銘を書いている。
こちら、西南戦争のもの😐

こちら、日清戦争のもの🙂


京浜急行、大森町駅と梅屋敷駅の間に貴舩神社があります。

創建

?年

主祭神

龗神伊邪那岐命、倉稲魂命


伊耶那岐命の御子にして水を司る神様です。

農業、漁業、航海、醸造等をはじめ各種生産富貴の神として地域の心の拠り所を担ってきました。3頭の龍がお使いとして仕えていると言われています。アサリを禁じて祈願すれば腫物等たちまちに全癒するとの伝説があります😙




おしまい😀