フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

アルブニヨルの谷間 フリオとその家族

2020-10-08 23:25:34 | 【小説】さよならヌーディストビーチ

 

アルブニヨルの谷間 フリオとその家族

 優子はいつものスーパーに向かう坂道を自転車で下っていた。大通りを通って行くこともできるのだが、カルロスの自動車修理工場の手前から細い道を下っていけばスーパーまでの近道になるので、いつもカルロスの店の前から右折して急な坂道を下っていた。ホセのレストランを過ぎたところだった。人がやっと一人通れるぐらいの細道から、突然、ホセの娘のマルティナが笑いながら飛び出してきて通せんぼをした。たぶんマルティナは、悪気はなく、優子を脅かそうとしただけだったのだろう。優子が急ブレーキをかけると自転車の後輪が浮き上がり、ほほ一回転する形で転倒した。

 流産をしていることは病院のベッドで眠りから覚めて間もなくフリオの口から告げられた。

「ごめんなさい」

 やっとの思いでフリオに言った。

「優子は謝る必要は無いよ。僕がついていてあげられなくてごめんなさい」

 フリオは優子に謝られたことに気が動転していた。なにもフリオはわるくないのに。

 優子は、おなかの中の子供を失ったという実感よりも、優子の心の中でこれまで築き上げてきたスペインに対する観念のようなものが急速にフェイドアウトして、愛するフリオと探検をしてまわったアルブニヨルの谷間も、雪を頂いたシェラ・ネバダの山々も、コスタ・トロピカルの陽光に彩られた美しい海岸線も、アンダルシアの風にそよぐひまわり畑もすべて色を失い、闇の中へ落ちていくような感覚に捕らわれた。

 変わって、これまで心の片隅に封じ込めてきた正反対の想い、どんなに心を寄せても優子を受け入れようとしない異国に対する憎しみに似た感情が堰を切ったように心の中にあふれ出てきた。優子はあふれ出てくる想いに必死で抗おうとするのだが、もう一人の自分が醒めた目で見つめており、それが優子の抗おうとする気持ちを次第に萎えさせていった。

 フリオとの話の後に、病室にフリオの母が入ってきた。

 母は病室に入ってくると、何も言わずにベッドに近づき、私の手を握り、涙を浮かべ、優しく私を抱きしめた。フリオと同じように優しい心を持った人だ。

 

 退院後はフリオの家族以外、みんなが自分を非難しているように思えた。

 「無神経な奴ら・・・・」

 玄関先で屋上で道端で、一人で数人で大勢で、じっと優子を窺って、あたかも優子を監視するかのような視線を投げかけてくる。

 この町にやってきて、しばらくの間は気にもならなかったのだが、最近はその視線に苛立ちを感じながら過ごしている。時折、優子の方から大きな声で、

「オラ!」

 と呼びかけるのだが、大半の場合、いったんは視線を逸らすのだが、またしばらくすると視線を絡めてくる。日本人よりも好奇心が強いだけで、悪気はないのだと思い込もうとするのだが、やはりその視線に耐えられない。田舎町で東洋人は自分一人であることを考えると解らなくもないのだが、苛立ちは日毎に増幅されていった。

 

 

 

 

 

 

 


息子への想い

2020-10-08 23:25:34 | 【過去】息子への想い

 2日前から私にとって5人目の孫ですが、息子の嫁が陣痛で入院し(陣痛は落ち着き退院しました)、長男の孫を2人預かっていました。今夜は久しぶりに2人だけの夜です。

 騒がしいけれど、たのしい2日間でした。

 妻は、この2日間、急に、子供のように手がかかる夫(私はそうは思っていませんが、妻はそう思っていると思います。私は一人で机に座っているのが好きです)の他に、孫のために朝早く孫のために起きて朝食の準備をし、孫の幼稚園の送り迎え、子守などが加わり、大変だと思いいます。

 2人だけの生活に戻り、私が赤霧島の水割りを作りに台所に行ったついでに妻のお尻をちょっとだけ触りました。

 妻は、

 「youさん。ナンシヨット。触ランデ。警察言うよ。タバコ吸いヨロウガ。酒も飲みすぎ、臭いよ。皆に嫌われトウヨ」と次々に責め立てます。

 私は妻の言葉を背に自室に籠もります。(そこまで言ワンデヨカロウモ。)

 

以下は息子の高校時代に机に置いた手紙です。

 

 お父さんにとって自分の命より大切なものは、おまえを含めた「家族」だ。「家族」の「和」を乱すことは例えおまえであっても許さない。

 今回のこと、おまえが全て悪いとは思っていない。おまえがお母さんの手伝いをしていたことも知っているし、自分なりに「家族」に気を使っていたのは事実であろう。しかし、事が大きくなるきっかけを作ったのは、紛れもなく「おまえ」だ。そして、いつまでも「自分」の感情に流されていた。挙げ句の果てには「暴力」で押さえ込もうとした。

 

おまえぐらいの年頃は自分自身の考え方に凝り固まって、自己を正当化しようとする。しかし、自分を正当に評価するのは「自分」ではない。「社会」なんだ。それが「現実」なのだ。前にも言ったと思うが、人間は不特定多数の人間の集合体である「社会」の中でしか、自分の「存在」を見いだせないのだから・・・・・・。お父さんも偉そうに言っているけれど、未だに「自分」と「社会」の狭間で悩んでいる。

 

お父さんは、おまえと同じ年頃の頃はおまえと同じようなものだった。コソ悪で、もちろんタバコ吸っていたし、よからぬところに出入りしたこともある。知っての通り音楽も大好きで、ロックをガンガン聞いていた。しかし、二つ大きく違うところがある。

 一つは、暇な時間はゲームやテレビを観るより、本を読むか、映画を観るかに費やしていたこと。(これは時代の違いもあると思うけれど、おまえももう少しまじめな本を沢山読んだ方がいい。想像力が養われる)

 もう一つは「女を悲しませる男は最低だ」と強く思っていたこと。どうしてお父さんがそう思うようになったかはおまえがもう少し大人になってから話すが、女とは彼女のことだけでなく、「母親」「姉」「妹」を含めての話だ。

 おまえは「母親」や「姉」がやっかいなものであると思っているだろう。また、母親や姉や妹は女ではないと思っているだろう。しかし、おまえが大好きな彼女も同じ「女」だ。いづれ同じようになる。母親や姉と同じような存在になる。全く同じだ。

 屁もするし糞もたれる。それを理解できないうちは女を愛する資格はないね。女を「愛することが何か」「愛されることが何か」を分からないまま一生を終える。つまり「女」をただ自分の欲望の対象と思っている人間、欲望の対象にならない女は「女」ではないと思っている人間は「男ではない」と言うことだ。(ただの畜生だ)

 

 お父さんは「男気」とか「男らしい」とか言う言葉が好きで、いつも「男気のある人間でありたい」とか「男らしくありたい」とか思っている。なかなかそうはなれないのだけれど、一般的な基準から言えば、少しは「男らしい人間」とか「男気のある人間」になれたのではないかと思っている。仕事では「男気」を出しすぎて窮地に陥ったこともたくさんあるけど、それを損をしたとは考えたくない。「損得抜きで何かに打ち込むことができること、他人のために尽くすことができること」、それが「男気」だと思っている。「男らしい」とは、「自分の意志を持ち、それを譲らず、しかも女に優しいこと」だと思う。

 

 おまえが「男と女は違う。男は血が騒ぐもんだ」というようなことを言っていたけど、正しくおまえの言うとおりで、男と女は違う。心理学的に言うと「リビドー=行動の源となる性的欲望」の発達過程の違いで、男は一般的に「血が騒ぐ」ものなんだ。

 お父さんは「リビドー」の強い人間で、いつもその処理に困っている。(間違っては困るが、単なる性的欲望ではなく、行動の源となる性的欲望だ。でも同じようなものかもしれない)しかし、「血が騒ぐ」ということは大切なことなんだ。おまえの考え方は間違っていない。

 

 おまえが間違っているのは、この前言ったように「自分」と「社会=家族」の距離の置き方だ。自分自身で自分の身の回りに「垣根」を作り、その垣根を高くしている。その垣根の中に閉じこもろうとしているように見える。「自分自身に忠実になること」「自分を大切にすること」とは何かをもう一度よく考えてほしい。

 

 「家族」に優しくできないのは、おまえの「家族」に対する「甘え」だ。おまえがお父さんのように「女を悲しませる男は最低だ」とは考えなくてもいいけれど、もう少し「家族の女性」に対して「男」として大らかに接してほしい。おまえはもう立派な「男」なんだから・・・・・・。