「スペインに戻って仕事を見つけたら連絡する。必ずスペインに来てほしい。そしてボクと結婚してほしい。」
フリオがスペインに戻って三ヶ月あまり経った。その間、優子の誕生日に家族と一緒に写った写真を添えた手紙が送られてきたが、写真の中に収まったフリオは見るからに幸せそうで、その中に優子の入り込む余地は無いように感じられた。
「なかなか就職が決まらないので、もう少し待ってほしい」
手紙の内容は簡単なものだった。フリオとのことは夢の中の出来事だったのではないか。もし現実であったとしても、フリオがスペインに戻って、心変わりをしているのではないか。そんな思いが過ぎっていく。
十月に入って、待ちに待った手紙が届いた。手紙には仕事も決まり、両親や家族も優子がスペインに来ることを待ちわびているという内容だった。
無邪気に喜べない自分がもどかしい。優子にとって待ちわびた手紙なのに、待ちこがれていた知らせであるはずなのに、手紙が届くと躊躇してしまう。なかなか決心がつかない。両親になんと言おう。
そんな時だった、幼なじみの潤一が食事に誘ってくれた。
「俺と結婚してくれないか」
「また冗談ばかり言って・・・」
「冗談何かじゃない。真剣なんだ」
「・・・・・・・」
「その気になったら、いつでも言ってくれ。俺、待ってるよ」
潤一の真剣な表情をみていると、話さなければ申し訳ないと思った。
「実は今結婚を考えている人がいるの」
そのことを口にしたのは初めてだった。口にすることで、自分のフリオへの思いの深さを知った。
潤一に背中を押される形で決心が付いた。そして福岡市の外郭団体も辞めて、両親には内緒でスペインに旅立つ準備を始めた。
これまで、心配をする両親の問いかけを、いつでも好い加減な返事ではぐらかしてきた。
「仕事辞めてどうするの?」「彼氏ができたの?」「一生独身を続けるつもり?」
「わからない」「いない」「そのうち結婚する」
「どうしてでスペインに行かなければいけないの?」「いつ帰ってくるの?」「お金がなくなったらどうするの」
「スペイン語の勉強」「わからない」「なんとかなると思う」
今回のスペインへの旅立ちにはこれまでとは違う目的があった。日増しに強まるフリオへの想いを断ち切れなかった。無茶をしているのは良くわかっている。我が儘な行動であることも良く理解している。
スペインに出発する日が迫り、これ以上、両親を誤魔化し続ける訳にはいかなくなった。母親は泣き出し、父親は沈黙を続け、自室に閉じこもってしまった。
「俺はイヤだ。フリオが嫌いという訳じゃないし、外国人であることもおまえが愛しているのなら仕方がないと思う。しかしおまえが遠くへ行ってしまうことに耐えられない。どうしてもフリオじゃなければダメなのか?」
何の私心もなく、ただ娘のことを愛し、心配してくれる母や父。そんな両親に申し訳ない気持ちで一杯であった。
優子がマドリッドの空港に降り立つのは三度目である。一度目は卒業前に大学時代の友達の尚子と有佳の三人で行ったフランス・スペイン・イタリアのツアー旅行。二度目は会社勤めをはじめて三年目の春にスペイン・ポルトガルを高校時代の親友の洋子と美咲と休暇をあわせていった旅行。
優子はスペインに自分の何かと共鳴するものを感じた。それが何かは自分でもわからない。しかし空港に降り立った瞬間に自分の心がまるで音叉のように振るえはじめるのを感じた。