ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

二本松市長選挙 無投票の公算

2009年11月15日 07時52分24秒 | 祭人
駅前にできた大山忠作美術館、まだ行ってみないけれど、あの施設全体が無駄
税金の補填を当てにした金喰い虫を造ってしまった。

元グリンピアを買い取り、運営しようなどと考えたようだが、最悪の選択だ。

この街にはビジョンが無い。
能力のある者が居ないのだ。
無投票になる。
数々の失態(公文書偽造、女性スキャンダルなど)があっても
「厚顔」の何ものでもない!
(税金で1500万もの金を支払った首長だよ)

これは決して 信任という意味ではないだろう。

市民が呆れて 無関心なだけだ!
たとえ、もう一期やったとしても、砂上の楼閣の繰り返し だ。

検証 福島民友新聞 日曜コラム (11月8日掲載)

2009年11月10日 14時11分00秒 | 祭人
((((二本松提灯祭り掲示板に書いたものをこちらにも記載します。)))

タイトル「時代に見合った伝統模索」 二本松支社長 安田 茂 

<約360年の伝統を誇る二本松のちょうちん祭りが”時代の流れ”から見直しを迫られて
<いる。

本当に見直しが迫られているのか?
そして、記者の言う「時代の流れ」とは何のことを言っているのだろうか?

<小学校も休日になるなど二本松市民にとって祭りは「特別な日」だったが、近年は
<深夜の太鼓台運行は「青少年の深夜外出を制限する県条例違反」に当たり、「祭りばやし
<がうるさくて眠れない」「振る舞い酒に酔っての太鼓台運行は危険では」などの苦情、意
<見が相次いでいるという。
年に一度、待ちに待った提灯祭りは、二本松市民にとって、確かに「特別な日」である。
ところで、太鼓台に乗っている子供(小若)や、太鼓台の綱に付いている子供たちは深夜
外出に当たるのだろうか。
「祭り囃子がうるさい」と言う人も確かに居るかも知れない。しかし、例えば、ブラジルの
リオのカーニバルのように、旧七町の子供たちはお囃子を胎内から聴いており、教えなくと
もリズムを刻むことができる、と筆者は思っている。囃子がうるさいかどうかは、個人の
感じ方の相違であろう。
かつて、筆者は郷土学習の講師として中学校で授業に参加したおり、第一中学校の校長より
「太鼓台のある学校とそうでない学校では、非行が少ないのが事実」と伝えられた。
若連や町内会により、日常(祭り当日ばかりではない)から、日本の少ない縦社会の規律で
青少年をすばらしい監督をしている結果であると認識している。

飲酒はどうだろうか。
酒に飲まれて、前後不覚になることは祭りだけではない。
酒に飲まれて「背中に背負った町内の大紋」に恥じない祭礼をしているかどうかは、これ
また個人の問題だと考える。会長や幹部になって、ベロベロで役職を全うできないのは
その人の人生の中で、そういうスタイルを甘んじているということに過ぎない。
酒を飲んでも見事にその年の祭礼を執行した歴代の先輩達は多いはずだ。

<一方、祭りを本来の姿で継承しようとする動きも本格化。戦後
<途絶えた「呼び起こし」の儀式を今秋、七町内の若連が再興した。
<「神霊は夜に降りてくる」とされ、ちょうちん祭りは本来、暁祭りだった。1,961
<(昭和36)年に夜祭りに変更され、現在の形になった。
この記述の一番の問題は、このあたりにあるのではないだろうか。
「呼び起こし」が時代に見合った、伝統文化なのだろうか。
青少年の非行と呼び起こしを一つの文章で伝えようとしていることに無理がある。
この二つには全く関係がない。
片や360年の伝統を語りつつ、囃子がうるさい、などと同じ枠の中で語っていることに
少々、二本松提灯祭りについての知識の浅さを露呈しているではないか。

そもそも、呼び起こしの復活は、古い形を残そうと始まったことと考える。
確かに、福島県民俗文化財の審議委員である懸田先生の指導によりスタートした、二本松
提灯祭りの文化財指定を目標としたプログラムである。
だいぶ昔、懸田先生より伺ったことに「二本松提灯祭りは何度か指定の動きがあったが、
文化財として指定するにあたり『特筆すべきところがない』のです」と。
周知のように、二本松提灯松の祭礼囃子は県の重要無形民俗文化財であるが、祭りそのも
のは二本松市の文化財の指定にもなっていないのが事実だ。

< 各町若連は祭典委員会や町内会と連携して、祭りばやしを夏から小中学生に指導。10
<月4日から6日までの祭りでは、道路使用許可に沿って太鼓台を運行している。今年は道
<路使用許可時間をオーバーする町内があり、苦情の原因にもなった。また、初日の人出が
<10万人に上り、駐車違反が相次ぐなど、今月6日の反省会で警察はハード、ソフト両面
<の改善を求めた。
道路使用許可をもらって祭礼は執行されている。
道路上で問題があれば取締りを受けるのは、たとえ伝統文化の提灯祭りでも同じである。
道路を使用している以上、交通法規を遵守しないとならない。
太鼓台も軽車両にあたる。大幅に執行時間が遅れれば、仕事とはいえ警備を担当してくれ
ている警察官の方たちに迷惑がかかることになる。
このあたりをしっかり押さえて行かないと「とんでもないこと」が起きる可能性がある。
許可を与える権限があちら様にはあるのだから。けが人を出したりしたら、祭礼そのもの
が実施できなくなる。取締りを受けるようなバカな二本松人ではないと思うが、事実、道
路工事の関係で曳き回しコースが何年も変更させられたり、大切な宮詰めができなかった
年があったことを忘れてはならない。

昭和50年代には、二本松提灯祭りは銀座祭りに招待されて出かけた。その時、築地警察
署からは「飲酒運転不可」「消火器設置」令が出されたことを覚えている。
まさか、二本松提灯祭りに飲酒禁止や消火器常備など、無粋な状態を考えたくもない(笑)

祭り囃子の指導は通年で行われている。夏だけのことではない。
お囃子の伝承は、ある意味で復活した呼び起こしよりも重要かも知れない。
どこで何を演奏するか、どんな掛け声か、大事なことなのだ。
例えば、亀谷坂で豊囃子を静かに演奏しているのに、ワッショイだの、○○一番!など
嬌声はないだろう。秋を彩るのは提灯の明かりばかりではない、情緒ある囃子がいいのだ。

< 時代の世情に呼応しながら続く祭りを、無形民俗文化財としてとらえようと昨年、二本
<松神社例大祭提灯祭保存会が発足した。祭り開幕を告げる「呼び起こし」が今年の祭りで
<再興され、計画通りに進められた。7日に保存会がビデオで検証したが、評価する一方、
<細部の改善点が多数指摘された。たすき、鉢巻きの徹底も架台に挙がるなど、伝統追及は
<熱を帯びる。時代に見合った伝統の模索はしばらく続きそうだ。
文章の最後も非常にまずい。
衣装のこと、などを引き合いにだして「世情に呼応した続く祭り」について記者さんは語り
たかったのだろうが、無理があるだろう。
人出の多さによる駐車違反や交通規制は行政の仕事である。若連や祭典事務の仕事ではない。

マスコミで語られることには注意が必要だ。
新聞に書かれていることを正しいことと受け止める人は多い。
この度の文章は間違いではないが、ややもすると「祭りを危うくする」ことになりかね
ないからだ。治安を司る警察や行政は、先の神戸花火大会の死傷事故から監督を厳しく
するようになっている。
いい加減に考えていると、二本松市民が心から愛して止まない「二本松提灯祭り」の
開催さえ横槍が入る可能性があるのだ。少なくとも、警備でお世話になっているという
意識を持ちつつ行くことが最低必要条件だろう。
さらに、駐車場やトイレが少なくて観光客に迷惑がかかるような祭りは最低だ。
またやって来たい、もう一度若連が「命がけでやっている」この感動の祭りを多くの人
に見に来てもらいたい。そして、後世にきっちり伝えて行きたい。

戦地にあっても、生きて祭りに戻りたい!そう思って難関を生き延びた人達。
戦争で疲弊し萎えた人心をゆさぶり、復興の原動力になったこの祭り。
簡単に無くなりはしない。

しかし、針の穴からダムも崩れるという。
日本一の祭りを目指して盛り立てて行こうじゃないですか、皆さん!

夏祭りシーズン到来

2009年06月27日 14時31分55秒 | 祭人
一昨日、福島は日本一暑い場所だった。
そして、いよいよ夏祭りのシーズンだ。

全国の名だたる夏祭りもめじろおしだ。
一度は行ってみたい、博多祇園山傘7月15日追山
京都祇園祭り7月17日山鉾巡航
青森ねぶた祭り8月4・5・6日などなど。

わが、ふるさとの夏祭りもスタートする。

夏は暑いのがいちばん。不景気をふっとばす勢いが欲しい!
祭りの本来の意義はこにある!

WBC症候群?

2009年03月09日 07時47分13秒 | 祭人
早朝、起床時にグラッと倒れて手をついた。
大きなめまいが直らない。
急に起きたせいかと気にしなかったが、午後になっても
気分が戻らないので病院に行った。

普段は血圧が120くらいしかないのに160もあった。
CTで検査を受けたが原因は不明とのこと。
過日、二つ上の知人が脳梗塞になったことを書いた矢先
だったので、もしかすると思ったのだった。
出血や梗塞は頭に見当たらないという。

若い美人の研修医さんの話しでは、興奮したり疲れたり
すると血圧が上がることがあるという。

原因?思い当たるふしがない。
連日3時に起きているが、睡眠は6時間とっているし・・・

そうか、やっぱりイチローの猛打賞 以外に無いな、これは。

追悼 忠作先生

2009年02月21日 07時10分21秒 | 祭人
大山忠作先生がお亡くなりになった。

先生は二本松市根崎町の染物やに生れた。
苦学して東京美術学校(現在の芸大)に学んで、芸術院会員、日展理事長、
同会長を務めるなど日本の美術界に大きな影響を与えた人だった。

ご縁があって、仕事で何度か先生の新宿のお宅におじゃましたことがある。
何でもそうだけれど、トップに登りつめる人というのは、周りに気配りのできる人
であると言えるかもしれない。
絵画というものは形と色彩と陰影で描き上げるものなのだろうけれど、片隅で人の
陰に隠れている者へも心配りをされる方であった。

個人的には、美術家としてよりも、人間として大きな人物だったと思っている。

お祭りが大好きだった忠作先生。
文化功労賞の受賞を記念して地元で祝賀会が開かれたおり、町内は違うけれど松岡
のお囃子を呼び、演奏に加わっていただいたら、涙を流して喜ばれた。

どうぞ、安らかにお眠りください。

毘沙門天の御利益

2009年01月12日 04時26分36秒 | 祭人
昨日は、家の菩提寺にある毘沙門堂の祭礼があった。
毎年この時期に行われている。お手伝いで参加してきた。
梵天につている飾りを持ち帰ると良いことある、その年は無病
息災で過ごすことができるという。

さっそく、いいことがあった。
私が子供の頃あこがれていた亀谷町の太鼓名人に五十年ぶりに
お会いできたのだ。子供だったが、切れのいい太鼓を打つその
人に誰もがあこがれていた。多分、私よりは20は上だと思う
けれど、昔のようにきりりとした風貌を無くさずに、青年がそ
のまま歳を重ねたというようないいご老人になられていた。

短い時間だったが、知りたかったことなど訊ねると、熱く祭り
の様子を語ってくださった。当時の祭礼の様子を知る数少ない
人にまたまた巡り遭えて本当によかった。
改めて時間をいただき、二本松提灯祭りの往事をお聞か願うこ
とになった。

これも毘沙門天の御利益か?

山車曳き回し

2008年11月13日 08時16分19秒 | 祭人
人形などの飾り物を載せて最後の二本松で山車が曳き回されたのは
昭和42年のことらしい。筆者は記憶がない。

記憶にあるのは、亀谷の鯛。松岡の福助もある。
同じ年に曳き回された。
飾り物の下に演奏する場、下座があった。
中に乗るとバチが飾り物の床下にあたる天井につかえそうな位に
低かった記憶がある。

二本松の山車の歴史は、けっこう古い。
映画に記録されたものに大正時代のなまずなどがある。
もう一度、復活できないものだろうか・・・。

唐津くんちに思う

2008年11月05日 08時41分36秒 | 祭人
5年前、OBによる山車曳き回しを考えたことがあった。
祭りの関係者から相手にされなかったが、またまた、実現してみたい気持ちに
なっている。

お手本は、唐津くんちの「鯛」かな・・・。
11月3日に唐津くんちが行われたばかりだ。
二本松の各町には山車の下部部分が残っている。
車輪は複数セットある町内から借用して、どうだろうか!

>>>唐津くんち

唐津と二本松はご縁のある土地なのだ。
何ゆえか?
二本松藩主の最初の任地は「棚倉・たなぐら」
なんと、唐津藩主の前任地は、同じ棚倉だったのだ。
みちのくの棚倉を通して、唐津藩主と二本松藩主は同郷の関係。
この話は、電話で唐津曳山会館で問い合わせた際、詳しい人に聞いたらと
言われたので、唐津神社へ電話、説明してくださったのは宮司さんだった。

通夜に行ったけど・・・

2008年10月26日 21時22分58秒 | 祭人
仕事が早く終われずに遅れてしまった、通夜。
必ず行こおうと決めていたにもかかわらず、お客様の都合により
どうしても時間までに行けなかった。
6時40分、会場に着いたら、すでに法要は終わっていておときが始まっていた。
何か、飲食に来ただけと思われそうだったので部屋へ入らずにもどった。
ひとり、知合いの飲み屋で一人酒を飲んでいる。


残念。喪主にも対面ができず、義理を欠いたと思われたかもしれない。
町内の偉い方達が飲んでいるのが見えた。
故人の顔を棺おけの中に拝見して・・・。
こんな格好の悪い時もあるさなぁ。

もっとも、ホントに貧乏して時間はあっても友人の葬式にに行けなかったときが
あったっけ・・・香典に包む金が無くて。
まあ、そん時よりはいいか。
あなた様は、私の祭りの大先輩、どうぞ安らかに!
そして、ごめんなさい。明日の葬儀も仕事で行けません。 

追悼 ミスター

2008年10月24日 08時54分19秒 | 祭人
一つの町内の一人の長老が昨日息をひきとった。

二本松提灯祭りは七つの町内があり、その七つの町内には生字引と言われるような祭りのことや
太鼓台のことについて何を聞いても詳しい人がいる。

私の場合はその長老に励まされながら二本松提灯祭りに係わってきたと思っている。
太鼓台は生き物だと言う。伝統技術によって、昔から必要十分な強度と応力を保って来たと考え
られる。強度を優先すれば重くなり、軽量化を計れば弱くなる。しかし、見事に先人の作った
産物は、その後の手荒い扱いにも耐えて、それこそ、華麗な曳き回しを可能にしてきたのだ。
そういう意味で、その人はその伝承された生き物の扱い加減を知っていた少ない人だったと思う。
生き物である太鼓台を俺の次に面倒をみるのは、お前がやれ、と言われたことがうれしかった。


昔気質(かたぎ)のその人は世辞を言わない。
私には納得の行かない事件があり、自分の短気な性格故に祭りの紋付を脱いだ。紋付を脱がなけ
れば依然として祭りの中心に居たかもしれない。その言葉に応えようとしたが、それを続けずに
勝手に祭りから抜けたことを叱られた。曳き回しを一人の観衆として眺めていたとき、お前はな
んでこんなところにいるのだ、と。

単に好きな祭りを思うだけではなく、ある意味では職人的な目で祭りを考え、次の世代へ形で
残すことをその人から教えられたと思っている。
今、違う形でこの祭りの素晴らしさを伝えようと動いている。自分の得意な分野でそれを継続
して行こうと思っている。
ある意味では、その人への贖罪で続けているのかも知れない。

弔辞でこのことを霊前で読み上げるところだが、はなはだ小心者故に勇気がわかない。

同時に鋳造された缶金8つ、あと100年は大丈夫だね。 追悼「ほらどっこい!」