ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

長生きの老人

2007年01月30日 08時48分08秒 | マイ・ブーム
ご老人のお友達が居る(た)。その方は御歳71歳。
妻にさきだたれて、今は在宅介護で自分の父親を看ている。
父は90をはるかに超えているそうだ。その方が最近見えなくなった。
よくお茶を飲みにこられていたのだが、聞くと、最近亡くなったという。

その人が口癖のようによく言っていたのは
「昔は、親孝行したいときに親はなし」
「今は、親孝行したくないのに親が居る」だと。

痴呆症で自分排泄物もいじるようになった父親の看病に
疲れていたようだ。私のところへ遊びに来られるのを楽しみ
にしていたのだったが・・・。

医療技術が進んで老人が長生きだ。
若い者の数が老人のそれを逆転する。
某大臣のように不用意な発言は命取りだが、
「元気すぎるのも生態系が崩れる?」かも。

多分、私達の年代は長生きはしないと思う。
何故なら、食品添加物を食べながら成長期を過ごしてきた、いわば
日本高度成長期の犠牲者である。

野坂昭之が言っていた
「今、50代の諸君、諦めろ、君達に良い時代は来ない」
「我々が働き盛りのときに、日本経済成長の恩恵を全部戴いた」
「君達は年金ももらえないし、いいところはない」と。

国の発展や家族の為に働いても、安堵する場所や時間は来ないかも
知れないのだ・・・。

せいぜい、あやのこうじきみまろ あたりがボヤくくらいしかない。

お祭り勉強会

2007年01月29日 11時47分55秒 | 祭人
お祭りサポーターを多くするために
やってみたいことがある。
二本松提灯祭りを楽しみにしている
のは若連や祭典事務員たちだけでは
ない。一般の人たちだって祭りを指
折り数えて心待ちにしているのだ。


しかし、祭りの中心に居ない人達にとっては、実際の祭りがどう
なっているのかを知らないひともいる。また、当事者たちでも
歴史やしきたりの変遷、太鼓台の構造などについても知らない
人達は多いと思う。

お祭り勉強会

参加は誰でもできる。
お祭りのルーツから、今の祭りの見所まで二本松提灯祭りを詳しく
勉強する講座をやってみたい。
一昨年、二本松第一中学校と第三中学校に郷土文化の話しをして
欲しいということでお祭りの話しをしに行ったことがある。
学校で研究のための臨時学級を開設すると言ったら、大勢の希望者
があったために、女子だけにしたそうである。
相手が女子だけに少々のとまどいもあったのだけれど、何ゆえに
女性は祭りに参加できないのか・・・などの女性ならではの興味深い
質問もくりだされた。

ご年配の方や子供達だって、興味を持っていること、知らないこと
が沢山あるハズである。本当にお祭りを知って、後世にそのすばら
しさを伝えてもらいたい。
出版を通して啓蒙活動を続けてきたけれど、次なる展開としては
さらに立体的に行動を起こしてゆく必要があると考えている。
実際、祭りの当事者の方々は忙しくて以下にあげるようなことが
できないと思う。

例えば、10回の連続講座で・・・
(勝手にこちらが考えた事だが、講師を誰にお願いしようかな)

太鼓台の形と機能
「何ゆえに竹田町はフットワークが良いか?」

彫刻の漆塗りと金箔施工の実際
「よい彫り物と悪い彫り物」

祭り囃子のルーツ
「二本松提灯祭りのお囃子はどこから来たのか?」

二本松提灯祭りの誕生と変遷
「提灯を点けるようになったのはいつから?」

二本松神社例大祭の神事
「例えば、発與祭って何?」

太鼓製造 
「よい音はどうすれば出る?」
「実際に太鼓を敲いてみる」「笛を吹いてみる」

車輪のかたち
「壊れない屋台の車輪を作りつづけて」

祭りの見所
「二本松提灯祭りは日本一番美しい」

と、まあ春先から夏の終わりくらいまでやれたらいいな。


(写真は平成18年10月1日、松岡太鼓台組立)

映画少年

2007年01月26日 14時14分05秒 | デジャブー
昭和33年は二本松にとって意味のある年であった。
二本松市制施行の記念の年であり、盛大に提灯祭りも挙行されたのだ。
当時のお祭り案内パンフレットを見ていたら面白いことが印刷されていた。
昭和33年に上映されていた映画が載っており、調べてみたら面白かった。
もう少し書き進めてみたくなったので書いてみる。

もしかしたら、子供の頃からの映画少年だったのかも知れない。
昭和33年の二本松提灯祭りのパンフレットをながめていたら、当時上映されて
いた映画が数本載っていた。実際にその映画を見にでかけたかどうかは記憶に無い
けれど、市川右太衛門の旗本退屈男シリーズの一本は観ているとおもう。

この昭和33年(1958)の旗本退屈男は特別の映画だったようである。
東映としては、市川右太衛門の出演300本目にあたる同作品としておおいに力を
入れたようだ。なにしろ、当時の看板スターが勢揃いで出演している。

片岡千恵蔵、中村錦之助、進藤英太郎、山形勲、月形龍之介、大河内伝次郎
大川橋蔵、東千代之介、大友柳太朗 とまあ、その後の日本映画界を代表する
ことになるそうそうたるメンバーである。悪役で有名だった山形勲。この人、
ちゃんばら映画の悪役には無くてはならない人だった。のぺっとした顔ときたら、
ハリーポッターの悪役じいさんもカナワナイだろう。

さて、二本松には映画館が二つあったのだ。「会館」と「東宝」
子供ながらに印象的だった映画も多い。
「にっぽん昆虫記」は電柱に映画のポスターが貼ってあった。
何やら、おっさんが若い女の乳房にむしゃぶりついていた。
「人間の条件」これは、多分今で言うR指定だったハズ。しかし、何故か連作の
何本かは観ている。
そして、大好きだったのは、時代は下がるけれど「小林旭」である。
渡り鳥シリーズは全部観たかもしれない。どれも同じようなキャバレーでの乱闘
シーンがあって、波止場とか郊外でのラストシーンときたら「宍戸錠」との決闘
になるのだった。そして、寒い背中を見せながらアキラは去って行くのだ・・・。

映画館を出るときは、スター気分(小学生で?)
何か天下を取ったようなウキウキ気分だったのだ・・・。


二本松提灯祭りの開催日

2007年01月25日 09時53分53秒 | 祭人
久しぶりに、またまた 二本松ちょうちん祭りの開催日について考えてみたいと
思う。ちまたで会う人会う人から「やっぱり、土日開催でないとダメだ」という
話しを聞くようになっている。

このブログでもお祭りの開催日について何度も議論されていることを報告した
けれど、年も代わったので再度ハナシを出してみたいと思う。

昨年、岸和田のだんじりが130年ぶりに開催日変更に踏み切ったという。
あれだけの祭り(とっても、国の重文に指定されているわけではない)が、観光客
の減少を上げている。もっとも、それでも61万人の人出だったそうだが。
岸和田だんじりのトラックバックで読んでもらいたい。

さて、開催日を変更すると人出は確保できるのだろうか。
この場合の人出とは「観光客」のことだけを言っているのではない。
若連、小若も含めた地域住民の祭礼に対する協力も含めていってる。
このあたりを分けてハナシをする必要があるのだ。

 開催者も祭りに出やすくなるか?

 観光客を呼びやすくなるか?   である。

私の友人も一時ウェブサイトで議論したことがるが、秩父夜祭の開催日については
昨年は「例年通り」開催すると議論の後に書いていた。

さて、今後の二本松ちょうちん祭りが10月4・5・6である場合
曜日の関係は次のようになる。

 平成19年(2007) 木・金・土
 平成20年(2008) 土・日・月
 平成21年(2009) 日・月・火
 平成22年(2010) 月・火・水
 平成23年(2011) 火・水・木
 平成24年(2012) 木・金・土
 平成25年(2013) 金・土・日

ということで、
メインの10月4日(宵祭り)がハナ金10月5日(本祭り)土曜日に
そして、最後の10月6日(後祭り)で盛り上がれるのはナント、あと
6年後の平成25年ということになる。
 
 


二本松提灯祭り/お囃子CDの販売終了

2007年01月25日 08時56分33秒 | 祭人
一応の区切りとして21日で二本松提灯祭りの
お囃子CDの販売を終了しました。年末年始に
かけての販売でしたがあまり知られない
内に時間が過ぎてしまったようです。

 本町:カメヤ書店(22-0068)
 根崎:若松屋書店(22-3388)では継続販売中


今後は、こちらのウェブサイトから販売してゆきます。
  二本松提灯祭り出版物 >こちら

二本松提灯祭りの出版物は「ほらどっこい」も含めてどうぞよろしく
お願いいたします。


NPO法人化について考える

2007年01月21日 15時06分18秒 | 祭人
お祭りの啓蒙をかねて出版事業を展開して5年になるが、あらゆる面において
活動に限界を感じ始めている。例えば、マンネリにならないだろうか等のこと。
単なる金儲けとしか受け取られないということなどから、いよいよ平面の事業
から立体へと展開する時期なのではないだろうか。
そのような意味からして、非営利法人(NPO)を設立することはどうだろうと
考えている。

非営利法人にするにあたってもいろいろメリット、デメリットがあるよようだ。

メリット:
団体が契約の主体になれる /団体が資産を持てる /代表者の交代が円滑になる
資金調達が容易になる /公共事業への参加が容易になる /節税が可能
従業員を雇える /社会的信用が高まる

デメリット:
活動内容に制約がある /厳正な事務処理が必要 /税務申告義務がある
設立に時間が掛かる /情報開示が必要 /財産の名義変更に問題がある

などだそうだが、事業を行う面において最大の問題点は、法人の支出総額の
50%を超えて営利事業ができなくなる。このあたりに公共性という意味合いが
あると思うのだが、このあたりはまだよく調べてみなくてはならない。

収益を上げて、祭りそのものにも貢献したい。
例えば、太鼓台に使用する「ヤマナシノキ」の植樹事業や、祭礼保存、お囃子
保存などの直接的な事業も展開して行きたいと考えている。さらに、地域社会に
おいて、祭りを通して社会教育なども展開してゆきたいと考えている。行政で
限界のある部分について祭りを実際の教育の場として使うのだ。

例えば、お祭り会館を運営して、生涯学習としての地域研究や社会奉仕ワーク
ショップの現場とすること。青少年の健全育成を目的とした、お囃子伝承館と
して定期的に研究会などを老若入り混じって行うことなどは意味深いものが
あるのではないだろうか。

いずれにしても、お祭り会館を観光客のみを対称として運営することには限界
があるだろうし、全国には「作ったは良いけれど地域のお荷物」になっている
例は上げたらきりがない。通年観光の拠点としての役割を果たすのは当然とし
ても、プラスアルファで、常に存在の意味がある完成度の高いものに結び付け
て行けないものかと考えている。

5年間続けてきたベースを基にして、私達が続けてきた事業をより公共性を
持たせる意味でも、NPOを含めて地域と溶け込んだ形が必要になって来ている
のではないだろうか。

ネームって何じゃい?

2007年01月19日 11時05分44秒 | マイ・ブーム
ネームとはラフスケッチのことを言うらしい。

漫画の世界では、漫画全体構成を簡単な絵で表現する。そのラフスケッチを
元に編集者と漫画製作者が綿密な打ち合わせを繰り返し内容を充実させて行く。
そして完成したネームは実際の作画に入って行く。
ネームをどの位完成度の高いものして行くかが、その漫画が売れるかどうかに
影響してくるのは言うまでもない。独創的なネームを描けることが売れっ子と
いうことにもなる。

昨晩放映されたNHKプロフェッショナル・仕事の流儀では、人気漫画家・
浦沢直樹を取り上げていた。漫画「YAWARA」など数々のヒット作品を
世に出している売れっ子作家である。詳しい内容については番組ウェブサイト
をご覧いただきたいが、特筆すべきことは、創造能力と構成能力のこと
である。その二つの能力によって人気作家であり続けてきたのだ。

真っ白な紙の上にラフを書き上げるということは、クリエイティブな仕事を
持っている者達にとっての常に試練の時ともいえるだろう。無から有を産み
出すことは時には想像以上の苦しみを伴うようである。
アイディアが出ないときは出ないのである。
だが、20年以上にもわたってヒット作品を出し続けることができたという
ことは、卓越したセンスを持っているに他ならない。

作家にはオリジナリティが不可欠である。
亜流はいつまでたっても二番手を超えることはできない。
だが、本流を行くということは、時には人々に理解されないということもあ
るのだ。余りに進みすぎた創作は人々に理解されない。そして、それゆえに
世に出ないで終わってしまうことも多々あるのだ。
天才と言われながらも苦渋の現世に終止した例は星の数ほどあるだろう。

世の中に名作と言われて残ったものの全ては、現在の人々から理解されている
作品ということになる。良いものが残るとは限らない。
そういう意味で人心を魅了する何かのセンスは、やはり神が与えたものとしか
言いようがない。
人々の心を掴む何か・・・いつの日か女神に微笑んでもらいたい。

神様が見ている

2007年01月15日 09時27分17秒 | マイ・ブーム
「太鼓台のある地域の学区では非行が少ない」という。
実際、中学校の郷土研究の講師として呼ばられて話しをしに出かけた時にも伺った
ことがある。

地域の人達の目がよく行き届いているということにあるのではないだろうか。
太鼓を打ちに来る子供達は「どこそこの子供、○○君」と分かっている。
当然、子供達も中間の大人の代表として若連のお兄さん達を知っているわけで、
そいう人達から見られているという意識も働いていると思う。
都会などの犯罪の一原因としては、多すぎる没個人であって、どこの誰だか分からない
ことで何をやってもかまわないという考え方が生まれるのだろう。

太鼓打ちが即、教育改革に効果があるなどと結びつける気はないが、少なくとも
効果があることには違いはないと思う。厳しい上下関係や挨拶を基本とする地域社会に
おける社会教育ということが無意識ながら行われていることになるのだろう。

JCの大先輩に竹田町・真行寺ご住職・佐々木道昇師は数々の名説法を記憶して
いるが、その中にドイツでのバスの中での話しがある。
ドイツでの子供達の叱り方は「神様が見ている」だそうである。
バスの中で騒いで悪さをしていた子供達に向かって「神さまが見ているよ」と叱ったという。
同じようなことが、この小さな二本松でも行われてるのだと思う。

地域の中での子供の役割もある。
まして、若連の諸君たちの役目もあるということになる。
殺伐とした事件が多いけれど、この地方がそういうことに無縁であって欲しい。
小さい町だから可能なことも多いハズである。

お祭り会館だけじゃ無理じゃろ

2007年01月13日 11時57分33秒 | 祭人
人間というものは、相当欲張りにできているらしい。
今や、世の中にあまたのエンターテイメントが溢れている。
だから、おじいちゃん、おばあちゃんの老後の楽しみとしてスタートした二本松の
菊人形は時代遅れとなってしまっている。

聞くところによると1億円以上の赤字が昨年に続いて出たとか。
普通の企業だったら、銀行に対しての印象も悪いわけだから、即このプロジェクト
は中止にさせられるだろう。
毎年毎年、NHKの大河ドラマ おんぶじゃ 飽きられているのだ。
しかし、継続できているのは役所がバックにあるからなのか。
はてまた、やめるに止められない事情というモノが存在するからなのかも・・・。

ハナシがそれた。
そこで、お祭り会館をつくりたいなどとのヌカシテいるこの私なのだが、やはり
お祭り会館だけでは人は呼べないと思う。
お祭り会館には、常に情報を発信できるような仕掛けが必要なのだ。
毎年毎年、同じようなものを見せているだけでは飽きられる。
菊人形がいい例である。

だから、お祭り会館はユニークなモノでなければならない。
常に新しい? そんなことができないか?

冒頭に書いたけれど、全国で人が集まってくるお楽しみのスポットは盛沢山の
アイディアで溢れていて、そら飽きない仕掛けがあるのだ。
例えば、食い物とのコラボレーションなんか・・・どうかな?
全国から食いしん坊を集めるお祭り会館・・・なんちゃってネ。

 お祭り会館で ラーメン 食べよう!
 日本全国のお祭りに出会える+ラーメン博物館 <<< ちと悪ノリ かな

お祭り会館とは何か

2007年01月11日 10時37分22秒 | 祭人
他地方におけるお祭り会館の現状。と、言っても、そう多くのお祭り会館を
見てきたわけではない。これから、本当にお祭り会館を建設するのが良いの
かも含めて、調査や研究を続けて行きたい。
まず、第一回目としては、お祭り会館とはどういうものなのかを考えてみよう
と思う。

お祭り会館は本当に必要なのだろうか?
いわゆる通年観光の拠点としてお祭り会館があることによって、お祭りを年中
見たり、触れたりすることができる、というものだ。
しかし、本来ならお祭り本番に来て見てもらうのは一番いいに決まっている。
では、それでもお祭り会館は欲しいのだろうか。

太鼓台の展示室として
今、二本松市が所有する太鼓台のレプリカは、二本松市歴史資料館に常設展示
されている。ただ、訪問してご覧になった方は分かると思うが、提灯枠までは
ついているのだが、肝心のスギナリの頂点が天井につかえている状態なのだ。
知らない人が見たら、ああいうものかと思うかも知れない。
もっとも、太鼓台の展示用に建てられた建物で無いのでいたしかた無いのだ。
また、よく口にして言われることは「観光バスの入れない久保町にある」とい
うことで、多くの二本松市への来訪者がその見るチャンスを少なくしている訳
でもある。

場所はどこがいいのか
この問題は多くの議論を重ねることになると思う。何しろ、二本松市内には
多くのTMOが存在して、その核ともなりうるお祭り会館はハナシがあちこち
で出ている。ただ、お祭りそものもの存続や維持を願っている私達にとって
場所の問題よりも重要なのは、二本松提灯祭りを正しく多くの人に見てもらう
ということが重要であって、どこの出来るかはさして問題にならないと思う。
強いて言うなら、観光客の利便、いや、市民の利便を最優先するべきである
と思う。

お祭り会館の目的
場所の部分でも少々触れたけれど、観光客だけを相手にしたお祭り会館だけ
では不足があるというものだ。お祭り会館は二本松提灯祭りの殿堂としての
位置づけが欲しい。例えば、地元の小中学生が郷土研究でお祭りを知りたいと
思ったら「お祭り会館」へ行けば判る、という風にありたいものだ。
つまり、単に太鼓台や祭りのシーンを見せるだけの入れ物であってはならない
ということである。

最近、亀谷町の唐破風が里帰りしたという記事を書くために、二本松市の文化
財倉庫(旧原瀬小校舎)を見せていただいた。二階の教室だった一室にそれは
置いてあった。原瀬の盆踊り屋台に使われていたものが亀谷に戻され、亀谷町
では保存ができないという理由から二本松市へ寄託したわけである。文化財の
保存について述べるだけの知識はないので二本松市の保存の仕方について論評
はしないが、亀谷町の破風のほかに他町から寄贈された車輪や山車の土台など
も一緒に置いてあった。
少なくとも、一般市民の目に触れやすい場所でないことは確かである。
その点からすると、貴重な二本松提灯祭りの歴史を振り返る意味では役不足と
言わざるを得ない。だから、そういう歴史研究の場としてお祭り会館があるこ
とは必要であると思う。