会議というものは、議論を戦わせる場所だ。
二本松出身の高名な歴史学者・朝河貫一博士が日本人の会議の仕方について論評している
内容を思い出した。
日本人というのは、会議の中で自分の考え方をどんどん言うことが不得意で、まず、参加した
会議に於いてすることといえば、この会議に集った人たちの集約される考え方というものが何か
ということを真っ先に考えるという。つまり、この会議で決着するべき妥協点はどこかを考える
という。そして、自分の考えをその妥協点へ近づけてゆくというふうに会議を持って行こうとす
る、という。
この考え方が、日本人の本性を表しているという。
従って、どこまでも自分の考え方を貫こうとするような人は、会議の中で異端児となり、いわゆ
る白い目で見られるようになってしまう。
だから、会議において独創的な考え方が生れることが少ないわけだ・・・・。
その点、欧米の人たちの会議に対する姿勢というもは、全く正反対だとも述べている。
さて、自分が何を言いたくてこんなことを書いたかといことだ。
昔、自分は青年会議所という団体に所属していた。
会議所というくらいだから、会議が多い?のだけれど、それも、相当最後のころになって気づい
たことがあった。
一人の人間が(例えば、自分が)一方的に話を続けて行くと、他の人はだんだん黙り込んで行く
ようになる。自分はいい調子で話をしているが、実のところ、他の人は「納得して、あるいは
感心して静聴している」わけでなく、「ああ、また独演会がはじまった・・・」と思っていたわ
けなのだ。
昔からよく言われるように「人は目と耳は二つずつ、口を一つ持っている」なのだ。
だから、いい調子で自分が話をしている時は、相手の表情にも気を配って行かなければならない。
また、自分が言う口数よりも、多くを聞かなければならないのだ。
相手が黙り込んだとき、それは納得したとは限らない、ということだ。
良い話し手という者は、聞き上手なのだった。
人とのコミュニケーションをとりながら、素晴らしい会議や議論を戦わせ、実りある未知の領域へ
行動を導かなくてはならない。所詮、人間ひとりの力などというものは、たかが知れているのだ。
組織でしか多くのことを変えるようなことはできない。
さてさて、今日は誰の話を聞きに行こうか・・・。
話し方の名人 >>>> 参考(鈴木健二)
二本松出身の高名な歴史学者・朝河貫一博士が日本人の会議の仕方について論評している
内容を思い出した。
日本人というのは、会議の中で自分の考え方をどんどん言うことが不得意で、まず、参加した
会議に於いてすることといえば、この会議に集った人たちの集約される考え方というものが何か
ということを真っ先に考えるという。つまり、この会議で決着するべき妥協点はどこかを考える
という。そして、自分の考えをその妥協点へ近づけてゆくというふうに会議を持って行こうとす
る、という。
この考え方が、日本人の本性を表しているという。
従って、どこまでも自分の考え方を貫こうとするような人は、会議の中で異端児となり、いわゆ
る白い目で見られるようになってしまう。
だから、会議において独創的な考え方が生れることが少ないわけだ・・・・。
その点、欧米の人たちの会議に対する姿勢というもは、全く正反対だとも述べている。
さて、自分が何を言いたくてこんなことを書いたかといことだ。
昔、自分は青年会議所という団体に所属していた。
会議所というくらいだから、会議が多い?のだけれど、それも、相当最後のころになって気づい
たことがあった。
一人の人間が(例えば、自分が)一方的に話を続けて行くと、他の人はだんだん黙り込んで行く
ようになる。自分はいい調子で話をしているが、実のところ、他の人は「納得して、あるいは
感心して静聴している」わけでなく、「ああ、また独演会がはじまった・・・」と思っていたわ
けなのだ。
昔からよく言われるように「人は目と耳は二つずつ、口を一つ持っている」なのだ。
だから、いい調子で自分が話をしている時は、相手の表情にも気を配って行かなければならない。
また、自分が言う口数よりも、多くを聞かなければならないのだ。
相手が黙り込んだとき、それは納得したとは限らない、ということだ。
良い話し手という者は、聞き上手なのだった。
人とのコミュニケーションをとりながら、素晴らしい会議や議論を戦わせ、実りある未知の領域へ
行動を導かなくてはならない。所詮、人間ひとりの力などというものは、たかが知れているのだ。
組織でしか多くのことを変えるようなことはできない。
さてさて、今日は誰の話を聞きに行こうか・・・。
話し方の名人 >>>> 参考(鈴木健二)