お祭りオヤジも負けちゃいられねぇ・・・ 2008年10月19日 08時32分50秒 | 祭人 清原が引退した放送は見なかった。てか、見れなかった。 何でも、長渕剛が清原のテーマソングのトンボを唄ったらしい。 最近したった、亮さんのブログに記述があった。 52歳の筋肉マンかっ! お祭りオヤジも負けちゃいられねぇ・・・<ホントかよ 笑 亮さんのブログ
ウェブサイトの更新 2008年10月10日 08時17分26秒 | 祭人 今年の二本松提灯祭りの写真撮影は、3日間で3000枚だった。 去年より少し少ない。 ただ、相変わらず、撮影に成功した画像は少ない。 シャッタースピードが遅いせいか、やはり、ぶれた画像や露出不足が多いのだ。 本当に提灯の明かりと人間を同時に撮影するのは難しい。 今、今年の更新を前に思っていることがある。 このまま同じスタイルでサイトを運営するか、流行のブログ形式にしてしまうか である。おかげさまで、6年目で20万ヒットを超えた。 これも読者の皆さんの協力によるものだと思っている。 そして、掲示板などのコミュニケーションのツールが大きく影響しているものと 認識している。 このいい雰囲気をどう継承してゆくか、今、真剣に考えている。 写真は、二本松神社例大祭 二日目の本祭り 発輿祭の天狗さん (今年、いつも思ってたのだけれど、天狗さんが誰かわかったヨ(笑))
取材の準備中 2008年10月02日 00時57分13秒 | 祭人 いよいよ明後日になった二本松提灯祭り。 カメラやストロボの点検をしている。 本日、市観光課から腕章が届いた。 記録という文字と市のマークが入った白い腕章だ。 昨年、亀谷坂上で宵祭りの晩に祭り橋に上がったら警察官に排除されて端上からの 撮影ができなかった。今年は、あらかじめ市の方から警察に了解をとってもらった のだ。 今年は、例年と違う動きをしようと思っている。 同じような二本松提灯祭りのシーンばかりが写った写真が多くなったためだ。 同じところを撮っているのだからあたりまえ。反省して、違う面白さを追ってみる つもりでいる。 台風がそれて、日々の天気予想が刻々と変化している。 宵祭り、本祭りは当たりそうだが、後祭りは雨マークが登場してあやしい。 いずれにしても、今までで最高の動きをしてみたい。 72時間を無駄なく動く予定表を検討して すべてGO! だよ・・・。
二本松提灯祭りとカメラ 2008年09月10日 09時38分47秒 | 祭人 ほらどっこい6号の最終校正を終えて一息ついている。 この冊子を作り始めてからもう6年になるのかと思ってしまう。 今、しきりに頭を悩ませているのはカメラのことだ。 創刊号の写真撮影は知人からかりた家庭用のデジカメで撮影した。 普通のカメラは持っていたが、デジカメはもっていなかったので 借り物でスタートし、だんだんと一眼レフのレンタルを経て、や っと自前で中古のキャノン20Dを揃えて2年目。 しかし、人間の欲というものは限りがない。 今では、どうしてもフルサイズに写るカメラ、最低でも5Dと 広角の明るいレンズが欲しい病気にかかっている。 ご承知のように、提灯祭りの被写体は暗い。 しかも、人もそれなりに撮りたいし、太鼓台も綺麗に写したい。 太鼓台は地上からてっぺんまでは11メートルある。 だから、広角で明るいレンズが欲しいのだ。 現在の20Dは、映した画像が1.6倍のサイズになってしまう。 シグマの10―20ミリレンズを持っているが、明るさが暗いの で、昨年撮影した写真たちは、ストロボの光量が多すぎたためか 白っぽく写った提灯が多かった。満足する写真を探すのに一苦労 した今年の編集だった。18―50は2.8と明るいのだが、 18ミリは28ミリ相当になるので広角ではなくなってしまうの である。 新しい5Dが出るというウワサがあるけれど、10月4・5・6 日の祭りには間に合いそうもない。フルサイズのカメラとレンズ をレンタルで借りると6万円くらいかかるようだし、もったいな い。今年も20Dで我慢してシャッタースピードを遅くするかし て撮影するしかないか・・・なあ。
村の鍛冶屋 2008年08月02日 10時46分18秒 | 祭人 私の家は鍛冶屋だった。 器用でアイディアマンの祖父と職人気質でまじめな父。 最近、町の中を離れて辺鄙なところで鍛冶屋をやろうか と思ったりしている。 そういえば、村の鍛冶屋という歌があったっけ。 歌詞をネットで検索したら面白い。 村の鍛冶屋 一、 しばしも止まずに槌うつ響。 飛散る火の花、はしる湯玉。 ふいごの風さへ息をもつがず、 仕事に出す村の鍛冶屋。 二、 あるじは名高きいつこく老爺、 早起・早寝の、病知らず。 鐵より堅しとほこれる腕に 勝りて堅きは、彼がこころ。 三、 刀はうたねど、大鎌・小鎌、 馬鍬に作鍬、鋤よ、鉈よ。 平和のうち物休まずうちて、 日毎に戰ふ、懶惰の敵と。 四、 かせぐにおひつく貧乏なくて、 名物鍛冶屋は日日に繁昌。 あたりに類なき仕事のほまれ、 槌うつ響にまして高し。 なのだ・・・、そして、感慨深いねぇ。
祭礼とイベントの違い 2008年07月14日 08時59分05秒 | 祭人 お祭りが脈々と伝えられ守り続けてこれたのは故郷の先人達の惜しみない 努力のたまものだと思っている。 伝統の文化が続けられるということは、地域の経済と無縁ではない。 経済が衰えると祭りも衰えることになる。 生活の中に余裕がなければ成し得ないことだと思うし、少なくとも、それ を守り続けようとする意識が無くてはならない。 今まで祭りが続けられてきたことは、地域を大切にしようとする考え方と 一体だったと思う。 今、地域の経済が危うい。 社会的に人口減少化傾向も、祭礼を継続しにくくしてきている。 伝統の祭りを継続できるように、祭りに参加するものの全てが協力してこ れにあたらなくてはならない。 よく語られるように、単に週末に祭りを開催すれば祭礼に参加する人員確 保ができるというようなものではないと思う。もっと、大きな社会のうね りのようなものがあるようだ。 ほらどっこいも今年で6年目になる。 気軽に始めた祭りの案内冊子であったが、取材をしていて最近思うことは、 祭りに対する意識の低さである。固いことを言うつもりはないのだが、祭 りが乱れ始めているように思える。祭りの衰退は服装の乱れから始まると 言う人がいる。祭りに参加することは、神を敬う気持ちを表現することで ある。だから、祭りを始める前には正装で参殿し、敬神と感謝の気持ちで 拝礼するのだと思う。神社に一度も詣でなくて、祭りに参加する資格はな い。 あらためて言いたいのは、祭りとイベントは違うということだ。 二本松提灯祭りの太鼓台曳き回しは、二本松神社例大祭の中の太鼓台行事 である。一年を無事に過ごせたことに感謝する、あるいは、豊かな自然の 恵みに感謝する感謝祭なのだ。そして、普段の生活に失ったものを取り戻 すために、元気になるために行われるのが祭りなのだ。 ともすると、何かと太鼓台を曳き出すことの多い二本松だけれど、会社の イベントに出演したり、単なる場の盛り上げに参加する太鼓台やお囃子な どと区別するものが「祭礼」なのだ。 だから、PRを大義名分として地方に遠征するような出張行事は祭礼には あたらない。ましてや、海外遠征など何のことだったやら。 「例大祭」とは、一年の決められた日に行われる年に一度の祭りである。 そして、それぞれの氏子におとずれるハレの舞台なのである。 だから、その祭礼に臨む姿勢は厳粛でなくてはならない。 単なる楽しみとしてそれを行うことは、祭りそのもののレベルを下げるこ とになる。 この素晴らしい祭りを後世に残したい。 と、思う。
人は10年、自然は100年 2008年06月18日 09時36分58秒 | 祭人 「木の家に住むことを勉強する本」(泰文館刊)に興味深い記事が載っていた。 豊饒の海、森にたなびく大漁旗・・・。 アースコンシャスが叫ばれて久しいが、一人の漁業経営者が、漁業と林業がひ とつであることに気づいて、長期間にわたる努力の結果、海が再生し始めたと いう内容である。 宮城県の北部、リアス式海岸が連なる唐桑半島に舞根湾(もうねわん)がある。 ここは日本有数の種牡蠣の養殖地である。 しかし、生活排水や漁業形態の変化で海が汚染され始めていたのだった。 そんな中、NHKで放映された海洋学者の番組で海と川の重要な関係を知るこ とになる。北海道大学の松永勝彦教授は、川と海のつながりは驚くべき精緻な メカニズムであるという。 昔から牡蠣の産地だったこの地方は、牡蠣の生育に必要な養分は、北上川に よって運ばれていたからだった。 牡蠣の最大産地 ブルターニュ地方、ロワール川への研修視察によって、川の 大切さを知ることになる。そして、故郷へもどって海の再生に着手したのだ。 地域の人たちの協力により、牡蠣を育む森への植樹祭、北上川上流に広葉樹を 植えた・・・。 そして、20年かかって海が元にもどり始めた。 木が育つのは100年かかる。 しかし、人は10年で育つ。 だから、まずは人を育てよう・・・と。 地域は人によって、いやようにでも変えることができる。
私の好きな人 2008年05月20日 06時27分31秒 | 祭人 本棚から久しぶりに石津謙介氏の世界を書いた本を取り出して読んでみた。 (1993年、「VANヂャケット博物館」扶桑社刊) 石津謙介氏は、あの、アイビールックの産みの親、ファッション界のカリス マと呼ばれた人である。 本の中には「私はファッションを作ったのではない、風俗を作ったのだ」と。 単に企業が売れる着物を作ろうとしたのではなく、着る事という考え方その ものを創り出したのだ。私も学生時代にボタンダウンのシャツ、お店でくれ る茶色の買い物袋、斬新なロゴなどにあこがれたものだった。 自分のやっていることがわからなくなると、時々この本を出して眺めている。 私は何のために仕事をしているのか、生きているのか、と。 ネット上で石津謙介という名前を検索してみたら面白い記事が載っていた。 2001年の東洋経済に掲載されたご本人のコメントに、「家は君の分身」 というのがあった。衣食住というが、そこそこの金ができれば着る物や食べ 物に気を使うようになる。しかし、究極は安息の場所である家にこだわるべ きであると言っている。 あれがおいしい、この服が格好いい、位までは言ったことがあるかも知れな いけれど、私の場合、家まではまだまだたどりついていない。 もっとも、この記事の中で言っていることは、豪華な家に住めといっている わけではなく、安息の場所として「借家やアパートだっていい、自分の好き なものに囲まれて暮らしなさい」と言っているのだ。 明治44年生まれの石津謙介氏、平成17年、享年93歳で他界されたが、 その考え方は今も生きているし、そして、まだまだ新しい。 時代を通して通用する考え方を残せたことは、まさに風俗を作ったといえる わけだ。並みの人間ではなかったのだ。文化は一代にしてならず。さすがに 育ちのいい、しかも、波乱の時代を生き抜いた別格のセンスの持ち主だった ことに違いはない。ライフスタイルにこだわり「病床にあってもパジャマを 着ることを拒み、三宅一生の服を着て息をひきとった」という。 日々の生活に追われて、何をやっているのだか分からない毎日だ。 今日の延長線を明日にしたくないと思っても、凡人にはなかなか実現でき ない。残り時間が少なくなってきた私だ。その時間内でどのくらいのことが できるか分からない。昔読んだ本に「歳をとると、何ができるかではなく、 何ができないか、と考えるようになる」と。
鼓舞 2008年05月16日 08時21分57秒 | 祭人 鼓舞(こぶ)とは、気持ちを奮い立たせることを言う。 戦争などにおいて味方の士気を上げることに太鼓が使用されたり したのが主な用法なのだ。 元は「舞いながら太鼓を打つこと」という意味らしい。 私の持論なのだが、太鼓を打つ速さという要素が、この鼓舞すると いう意味で大切な部分を占めていると思っている。 昨年出版したライブ版「二本松提灯祭り祭り囃子集」の録音を聴き 比べてもらいたい。いわゆる「のれる囃子」と「のれない囃子」が 歴然としている。最後まで聴いてみたいと思う囃子はゆっくりだ。 超高速での早打ちでリズムが乱れない打ち手をあまり知らない。 (私が知る限りで、この40年くらいの間で2人くらいか) 小太鼓の速さを意識しつつ、笛を導きつつ、そして早く打つことは 至難の業なのだ。大体の大太鼓の打ち手は、自分の速さに狂いを生 じて曲にならなくなってしまう。例えば、最初の打ち出しは良くて も持続できずに、自分の意図とは別に早さが落ちてしまうのだ。 結局、他の楽器がついて来れずに、あるいは、リードできずに、や り直しで最初から打ち直すことになる。 それを本人は自分の腕が未熟であることに気づかないだけなのだ。 はっきり言って、早打ちは乗れない。 自己満足で決して「鼓舞すること」になっていない。 二本松提灯祭りのお囃子の場合、参加している若連、小若だけでは なく、周囲の人たちをも興奮の渦に巻き込むことで祭りが盛り上が って行くものなのだ。俗にいう「わっしょいギャルズ」たちの数も 単に格好のいい若連がいる町内に多いだけではなく、乗れるお囃子 を演奏している町内にその数が多いように思える。 彼女達が呼応する掛け声の盛り上がりは、あきらかに、正確で力強 くリズムを刻むことの出来る囃子において時にエネルギッシュだ。 何度か書いたことがあるが、化学的な裏づけをとったわけではない けれど、私は母親の胎内の心音と太鼓の音は一緒なのではないかと 思っている。泣く子供に心音の録音を聞かせるたら泣き止んだとい う実験があるけれど、その心音のスピードは決して速くはない。 毎分60から140位がその範囲だと思う。筆者も大太鼓の経験者 だが、この分を読まれた囃子方の人が居たら試してもらいたい。 太鼓の革に自分の打つ撥の感触を確かめながら、きっちり、ゆっくり 敲いてみてはどうだろう。 お囃子とは、正に「囃すこと」なのだから。
他の祭りも見に出かけよう 2008年05月01日 11時12分48秒 | 祭人 井戸の中の蛙ではまずい。 他の有名な祭りに出かけて、いいところは吸収したほうがいい。 大きな祭りは長い歴史をもつものが多い。 祭りが続けられてきたことは、継続することに値する何かがあ ったから今日にその伝統を引き継いでいるのだと思う。 観光客がたくさんくる祭りもある。 観光客を上手に受け入れている祭りもある。 何ゆえに多くの人が見に来るのだろうか。 観光客は、その祭りに参加している人たちが本気で祭りをやって いる姿を見にくるのである。非日常的な出来事として、観光客 自身の生活の中に無いものを見にやって来るのだ。 例えていうなら、すばらしい温泉旅館に泊まってみたいと思う のは、日々の生活で味わえない時間を、たまには奮発して、贅沢 な時間を過してみたいと思うから、はるばる出かけて来るのだ。 だから、観光客自身の生活の中にいつでもあるものなら、わざ わざ遠くまで出かけて来ることはないのだ。 二本松の祭りのすごさは、美しい提灯の景色と、類をみない 洗練されたお囃子にあると思う。 そして、それを本気で祭りに参加している姿が見る人に感動を 与えているのだと思う。 だが、二本松の祭りには酒が入る。 時々、自分を失って醜態をさらしているのを見かけることがある。 年に一度のハレの舞台、一段と格好のいいところを見せてもらい たいものだ。酒に飲まれて無様な姿をわざわざ見に来た観光客は 幻滅して帰ることになる。 酒を飲むなとはいわないけれど、見られている自分を意識しても らいたいものだ。 激しく屋台を曳き回す祭り、一糸乱れぬ曳き回しで魅了する祭り、 そういう祭りを見ると、組織がしっかりしているのだろうと思う。 例えば、秩父夜祭りの警備体制などは特筆に価する。 神社、消防と警察、観光協会の連携が旨く行っているのだろう。 一晩に30万人もの人出をこなしている。 そういうところを、是非二本松の人たちも見て来てほしい。