ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

本物との出会い

2006年01月13日 12時04分20秒 | 祭人
伝統とは変化しないことではない。
先人たちによって脈々と伝えられた技術・文化などは時代の変化に対応してきた
から今日があるのだ。
頑なに形に固執することは、時には必要かもしれないが、多くの場合、その時代
の人から見向きもされなって、結果として相手にされなくなり忘れられる。

だから、時代とともに変化してきたものだけが残ってきたと言ってもいいのでは
ないだろうか。

祭りという文化。
それは「変化してきた形」を私たちは今日見ているのだ。
あらゆる社会情勢、人々の趣向など、様々な時代の風にさらされながら、それら
を乗り越えて大切にされてきたから今があるのだ。
それは不変のものたちでは無かったのだ。

そして、幾多の時代のふるいを通り抜けたものが 今あるのだ。
それはつまり、「この祭りが本物だったから」ではないだろうか。
どの時代の人たちも大切にするに値するモノだったのだろう。
骨董などは本物しか残らないという。

だから「本物」であることを残す・・・それが重要なのだ。
中心である軸をはずさなければ、変化してもいいのではないだろうか。


残るもの、変えるもの(二本松提灯祭り) その1

2005年12月16日 09時11分31秒 | 祭人
今日の祭りが私たちの目の前にあるのは、先人たちの熱い思いによって残されて
きたからあるのだ。形はそれぞれ違うとも、伝統を大切に守るという意味をその
時代の人たちが真摯に受け止めて実行してきたからに他ならない。
そういう先輩に敬意を表さずにはいられない。
決して学者が居たり、特別の人たちが居たというのでもない。
生活と共にありながら「祭りは大切なもの」として格別な扱いを続けたからであ
ると思う。

七つある町内はそれぞれ競い合って来た。
「他町に負けたくない」という祭りに対する意識の結果が洗練された祭りを作り
上げてきた。祭りのアウトラインとディテール、祭りのしきたり、粋さ、などな
ど、祭りに係わる全てのものに対して「変えない、変えよう」の問答が繰り返さ
れて、有形無形に係わらず時代とともに進化してきたのだ。
そして、そこにあるのは一貫して存在したのは「本物志向」だったと思う。

当たり前と言えばそれまでのことだけれど「提灯には電球を使わない」「お囃子
の練習を欠かさない」「屋台(太鼓台)の維持管理を徹底する」など、脈々と受
け継がれて来たのだ。決して豊かではない東北の一地方にありながら・・・。
他の祭りの存在意味がそうであるように「一年の思いをぶつける祭り」であって、
ありとあらゆる社会情勢の中でも続けられて来た祭りなのだ。

それは、時には意気消沈する人々の心を支えて来た。また、意気軒昂なときには
さらに地域の力となって社会を盛り立ててきたのだ。
何かある度に「太鼓台を出せ」となる二本松の人々なのだった。

私たち、今の時代に生きる者たちにとって、何をなすべきなのだろうか。
激しく変動するこの状況の中で、私たちの役目は何なのだろうか。
それこそ、先輩たちが「ただ浮かれて酒を飲んで祭りをしていた訳ではなかった」
ように、次の世代に受け継ぐということは何かを真剣に考えたい。


二本松提灯祭りDVDの編集

2005年12月01日 14時12分32秒 | 祭人
昨年、平成16年の二本松提灯祭りは雨にやられた祭りだった。
初日、宵祭り(10月4日)はけっこう雨が降ったが、ビデオ画面で見る限り
さして激しい雨には見えなかった。
実際のところは、出発式・5時半頃は小降りで雨が上がりそうな気配だった。
しかし、午後7時・根崎見付あたりで最も雨が強かったように思う。
提灯というものは霧雨のような雨の降り方はさして問題にならない。
ロウソクの熱によって提灯の表面は乾いてしまうのだ。
しかし、強い雨になれば、コーティングしてる和紙にも雨水が浸透してきて、
だんだん提灯が伸びてしまう。
二本松提灯祭りで使用している提灯は1個3500円くらいだ。
だから、300個やられてしまうと100万円くらいの出費となるから、主催者
としては、町内の財産でもあるわけだから、濡らさないように願い、気が気でな
いわけである。

そういう意味では何とかなった昨年の宵祭りだったが、次の日の本祭り(10月
5日)はどうしようもなかった。太鼓台を曳き回している若連達は我慢している
ようだが、肝心の映像となると問題があった。
太鼓台が濡れないようにビニールのシートで全体を覆ってしまったし、さらには
祭りに出ている人たちは傘をさしての登場となる。
つまり、絵にならなかった訳だ。

撮影をした人から、もったいないから何とかビデオにしましょう、との話をもら
ったけれど、発行責任者としては、断行する勇気が無かった。
昼の映像がまともでない訳だから、出して「こんな絵じゃいやだ」と言われたく
無かったわけである。
つまり、そういう訳で昨年はDVDの出版を涙を飲んで我慢したわけだった。

二年分の内容を凝縮した内容に完成した。
DVDのメディアの都合上120分の映像にしなければならなかった。
撮影時間は総延長時間で17時間になった。
編集者につきっきりで枝葉を払った。
枝葉と言えども、貴重な映像ばかりである。
すばらしいシーンも捨てた。
ギリギリの画面で内容の濃いものになったと思う。

まる二日間の編集の立会いは、慣れていない私にとって、本当に辛いものだった。
小さなモニタで、名場面の生き死にを決定すること、そして、何よりも経験の無い
私は時間が経つに連れて疲れが蓄積して行った。
最後のテロップを確認するところが疲労のピークで、ご協力頂いた方々のご芳名を
間違えてしまったり、抜けてしまった方があった。
本当にごめんなさい。

改めて言うのもなんだけれど、
二本松提灯祭りは、やっぱりスゴイ祭りです。
提灯の美しさ、お囃子のすばらしさ、数々の名場面が豊富にある祭りです。
そういうものを、確実に伝えたい、あれもこれも伝えたい。
自分は、何度見ても熱くなるのでした。

誰かが言っていたすばらしい言葉・・・

「自分が熱くならなくて、その熱を伝えられるハズがない!」と。

祭りの経済効果

2005年10月08日 11時33分43秒 | 祭人
地元の経済が祭りを支えてきたという話しをしてきた。
しかし、その反対のことも言える・
つまり「祭りを開催することによる経済効果」である。
その代表が観光なのだが・・・。

祭りと観光を結びつけると、祭典関係者からお叱りを受ける。
「我々は観光の為に祭りをやっているのではない」と。
確かにそういう考えの人もあるだろう。
しかし、そこまで考えないで祭りに参加している人もいるし、祭りを観る側の
人については全く問題視していないだろう。

祭典期間中に「祭りが及ぼす経済効果」について話しをした人がいた。
というのも、祭りをいつ開催したらその経済効果が大であるかどうかということ」についてだ。
つまり、今年のように、二本松提灯祭りは平日開催であって、10月
4・5・6日は、火・水・木曜日であった。
明らかに、土日に祭礼がかかる場合と人の出方が違う。
そして、祭りに参加する人も大変な苦労をして参加することになったわけだ。
また、参加できなかった人も多い。

さて、祭りの開催日移動について議論されて久しいが、正式な開催日移動について
話し合われたことを私は知らない。要するに、その一歩手前で、あるいは、憶測で
主催者が反対している・・・らしい、とのことで話し合いをせずに来たように思える。
私自身は、できるなら祭礼の開催日は変更しない方がいいと思って来たのだが、こ
こに来て大変なことになっているように思えた。

さらに、1年ぶりに行う祭りの準備というものは開催日が平日であろうが、休日に
開催しようが労力は同じである。相当前から主催者は祭礼の準備にとりかかる。
大きな祭りであるが故に段取りも大変である。そして、直接祭りに参加しない人達
にも大変な協力をもらっているハズである。

前述の祭礼期間中に話しをした人は「祭礼の為に一番金を出しているのは市役所であ
る」と言う。そして「その財源は、無論、納税者である市民である」と。
祭りの宣伝、ガードマン、しいては警察の協力・・・これも税金でまかなわれている。

しかしながら、市役所は主催者ではない。
祭礼の主体は神社であり、氏子でつくる町内会+若連連合会である。
祭りのやり方について市役所に発言権はない。

祭礼のあり方について真剣に話し合いの場をもって欲しいと思う。
私自身は一般市民であるので祭礼については部外者になる。
そして、ほかの皆さんと同じに祭りを心待ちにしている一人である。

話しをもどそう。
その人がいうには「もったいない話しだ」というのだ。
同じ準備をして祭礼を行うのなら、多くの人に来てもらってお金を落としてもら
った方がいいではないかというのだ。
私も確かにそう思う。せっかく膨大な労力を費やして祭りの準備をするなら、是非
町にたくさんのお金を落としてもらいたいと思う。

昔は祭りのまかないは地元の商店で買い物をして準備をしたものだ。
しかし、今現在では大型店などで祭り料理などの買い物をしている。
聞くところによると、二本松提灯祭りの為にそれらの大型店では寄付をしないという。
がっぽり収入だけ上げて税金の申告は二本松市外で行っている。
少なくとも二本松提灯祭りには寄与していない。
若連など祭り関係者が寄付のお願いに行ったら体よく断られたという。

では、二本松提灯祭り実行委員会で要求したらどうだろうか。
受益者負担。祭りで良い思いをしている大型店の経営者に「寄付をしてくれ」と
言うべきだと思う。祭典関係者の中にこの考え方を言い続けている人がいるが
二本松提灯祭り実行委員会として、そういう行為をした経歴はない。

これは批判をしているのではなく、要望をしているのだ。
二本松提灯祭り実行委員会はそうするべきだと思う。

ところで、二本松提灯祭りの実行委員長は二本松市長である。
しかし、先にも書いたように(理由ははっきりしないが)市役所に発言権はない。
名前だけの実行委員長なのだ。

できるなら地元の商店で買い物をしてもらいたい。
地元の商店、企業のみが寄付をしているからだ。しかし、言うはやすしでなかなか
大型店で買い物をしてしまう。
ならば、上記のようなことを行って欲しいというものだ。

最後に、真剣に祭りの有り様について話しをしてもらいたい。

全町内をまわりながら祭礼の取材をして痛切に感じた。
本当に苦労して祭りに参加している人が多い!    
主催者の皆様・・・どうか、来年も さ来年も祭りができるように してください。


お祭り取材

2005年10月04日 05時49分46秒 | 祭人
それにしても大変なことを始めてしまったものだ・・・
何しろ、好きな酒を飲んでいるヒマがない。

提灯祭りの美しさは格別なものがある
お囃子の美しさ・・・
提灯の情緒の深さ・・・

本来なら、そういうモノに酒があれば最高なんだろうけれど
カメラを片手に町中を飛び回っている・・・(*^o^*)

大変なことを始めてしまった・・・

祭りのすばらしさを伝えたい

それじゃぁ・・・行ってきます! アハハハハ

あなたが居なくても鉾は立つ

2005年09月18日 09時14分12秒 | 祭人
数年前、NHK特集で京都の祇園祭に長年携わってきた人のドキュメンタリーが放映された。
その人は京都の老舗のご主人で、ある町内では中心的に祭りに関わってきた人だった。その
人の口癖は「私が居なければ祭りは成り立たない」であった。
しかし、その人も病気で亡くなった。ご主人をふりかえって「あの人が居なくても鉾は立つ
のですね」と奥さんがしみじみと語った。今年も何も無かったように自宅前を通過する鉾が格
子戸ごしに見える。  千年の歴史・・・。

私も祭りの中心に居たとき「自分が居なければ祭りは成り立たない」という意識で太鼓台の
維持管理について勉強したり、祭りのあり方について妥協のない組織づくりに関わって
きたと思う。しかし、伝統の祭りにとっては、あるいは、長い歴史の中にあっては、そんなこ
となど一瞬のことでしかない。先輩だった人から「あなたが居なくても太鼓台は動く」と
言われたけれど、正に現実はそうなった。

自分が祭りの中心に居ると見えないことがある。近視眼でしか物事を見れないのだ。本人は
さも客観的に見ているようでも、実は非常に保守的で独善的な見方だったのだ。物理的にも、
最近は精神気にも二本松提灯祭りを俯瞰できるようになると別のものが見えてくるものだ。
祭りの中心に居るということ=人から見られる側に居るということだ。格好のよい所を見ら
れるのは気持ちがいい。ハレの舞台ならなおさらだし、それに応えようとする気持ちが祭り
に対する意識、知識、保存方法などの習得などについて自らのスキルを向上させて来たと思う。

だが、それはどんなに本人がそう思っていても、やはり自己満足の域を出てはいなかったのだ。

見る側に自分が立ったとき、後祭りの最後の最後に思う寂しさがいつでも自分の上にあるよう
な気がしてならなかった。「祭りは見るものではなく、祭りはやるものだ」と。
中心から外れた今、祭りを多くの人に本当の祭りを伝えたいという気持ちで出版活動を行って
いる。そして、少なくとも「祭りは自分が居なければ成り立たない」という気持ちを撮影や
執筆などの表現により伝えてゆきたいと思う。

激しく祭りに自己をぶつける若連の諸君を見ている自分が直接太鼓台に触れているような気に
もなってくる。だから、そんな熱いシーンのシャッターを切れる自分の指先が震える。

行政と市民を繋ぐもの(新二本松市の場合)

2005年08月09日 09時38分43秒 | 祭人
今年年末には合併による二本松市が誕生する。
先に「ケースワーカーが大事」という文を書いたけれど、これが不足しているから行政と市民生活が
かみ合わないのだ、と思う。

例:ふるさと村が出来たときの話し。
安達が原には、黒塚とその菩提寺である観世寺が前から存在していた。
ところが、ふるさと村を作るにあたって、行政が勝手に作ってしまった・・・と観世寺の住職から
ハナシを聞いたことがある。
現在は、ふるさと村を訪問する人はいても、本家の「観世寺と黒塚」を見て帰るひとは少ないと
いう。また、黒塚さえ知らない人もいる。
住職の話し「4号国道に以前あった、黒塚・安達が原の文字が消え、ふるさと村になってしま」と。
個人的には、ふるさと村と観世寺は共通入場券にすればいいと思うのだが、話しは簡単ではない。
ふるさと村建設の際には、行政がよく本家と話しをしなかったようだ。
だから、今は隣にあってもお互いに協力体制ができていないのだ。

この原因は何か。それは、市民生活と行政の間に入って根強く交渉を取り持つケースワーカーが
不可欠なのである。街づくりにしても、公と私を取り持つその存在が重要になってくる。
個々人は、それぞれに千差万別の事情があるからで、公の希望とおりには行かないことの方が多い
のが現実なのだ。

道路を一本貫通させるのに何十年もかかったハナシが二本松には存在する。
只今、六角川で移転などの保証が行われているけれど・・・結局、ハナシがまとまったところから
工事が行われて行く。
話しを簡単に決めた人から保証が行われ、工事も進む。
しかし、保証の額や条件は、担当者は同じだと言っているけれど、同じではない。
最後までゴネた人が得をしているのだ。
事実、最後までどけなかった人に御殿が建っているではないか。

私と公を繋ぐもの・・・ケースワーカーが大事なのだ。
良く人の話しを聞かないで行政を行う者も多い。
時間がかかるからと言って、あるいは、公の利益と言って押せないケースもあると思う。
よく相談もしないで開始すると、松岡トンネルのようなことになる。
つい最近廃案になったとか、ならないとか?

亀谷ロータリーもここに来てゴネている人がいるらしい。
T字路に戻すという計画らしいが・・・なんで昔にもどす必要がある?といい始めたとか。

こんな話しはゴマンとあるらしい。
公聴会と名をうって持たれる話し合いの場は無関心、老人の集会、イエスマンの集会。
発展が無い。

さてさて、今後どうなることやら。
理想論ばかりかかげても、問題の市民生活の一人一人に耳を貸す者が居なかったら、誰がやっても
同じ結末になる。
長期的に市民を何処へ案内すかというビジョンが無い。

今年は市町選挙がある。
昔、汚職で捕まった市長が居たけれど、この人の選挙事務所に出入りする古参の老婆が言っていた。
「○○さんは仕事するわよ」と。1期は無難に前任者の仕事を処理したが、2期目で本性が出た。
今年出馬すると言っている人たち。
何ができるんだろう。どんな実績があるのだろう? 注目したい。

ラジカルに行政を変えることが出来るのは首長しか居ない。
市議会議員では何もできない。
新市民はどんな人を選ぶの かな?

祭りは誰のものか

2005年07月18日 15時57分47秒 | 祭人
三島由紀夫の小説に「憂国」というのがあるが、私は「憂祭」という造語で話しをしてみたい。
取材で町に出ると祭りのあり方についての批判や心配の声が多くなってきている。

心配されることは人の問題である。祭りを支えているのは若い人達=若連である。その彼等に危機感はあるだろうか?少子化が語られて久しい。また、社会の老齢化も同じ意味だ。町内に若い人達が居なくなっている。現役若連の数は、名簿上は70人~100人と公表しているが、平日開催の日の町内廻りをする太鼓台には、20人くらいしか若連が居ないところもある。また、当の若連の町内在住者を調査したことがあるが、実に20~30%くらいである。
囃子の担当である小若(子供達)の数も問題が出ている。小若の数が10人台のところもあるのだ。さらに、何よりも「祭りが楽しくない」という人々の出現である。世の中にあまたある「楽しいこと=エンターテイメント(アミューズメントパークなど)」は、子供が休みになるからといって家族旅行へ出かけてしまう家族も多いと聞いている。祭りに参加しない子供たちとその保護者たちが増えているかも知れない。

さて、今の人達に「何ゆえに祭りに参加するのか?」と尋ねたら、多分「面白いか」と答えると思う。「面白くない祭りには参加しない」のである。だから、もっと楽しいこと、面白いことを求めて遊園地などへ祭礼の当日に出かけてしまうのである。

子供たちの数は、将来の若連数のベースになる。そのことに対して、若連諸君や地域の大人たちはどう考えて行くのだろうか。「地域社会の中のでこそ、祭礼はなりたっている」という考え方を忘れて祭りはできない。
酒に飲まれて酩酊し祭礼執行に支障をきたすような若連幹部の醜態は、お祭りをダメにすることに拍車をかけるだろう。誰のための祭りかと問いたい。「個人のお祭りでありながら、その人だけの祭りではない」のだ。祭りを私物化してはならない。大きな勘違いが起きてはいないだろうか?
町紋を背中に背負った祭礼組織の幹部は、その町内の代表を預かって祭りという生涯のハレ舞台を演じる主役でもある。その役目を見事に演じきってこそ「男が上がる」というものだし、そういう姿に地域の人々は拍手を送るのだと思う。苦しいながらも援助をするのだと思う。

もはや、若連組織だけで済む問題ではなくなっている。地域ぐるみで話しをする場所が必要なのだ。
7つの町内を結ぶ祭礼のための組織が必要だ。二本松提灯祭りの祭礼実行委員長は、「二本松提灯祭り」を利用して収益を上げている者に代表して、せめて、祭礼から恩恵に預かっている企業より協賛金をとるべきだと思う。
文化の維持にはお金がかかるのだ。この知的財産を有効に生かし、これらが生み出す経済効果を上手に使いながら、文化財の保護、祭礼の継続を考えて行かなくてはならない。

この、すばらしい祭礼を未来の子供たちへ継承したい。

4つの町と市が一体に・・・その中の観光とは

2005年07月10日 09時23分14秒 | 祭人
観光とは、人々が非日常に出合うために出かけて、異質な文化・生活に触れることにある。
そして、たとえば祭りなど、自分の体験できないものを見聞きすることがあれば、それは愉快な
観光になる・・・はずだ。

さて、二本松市がこの12月に合併が行われて新しい町が誕生する。
二本松、東和、岩代、安達である。
そして、そこにはそれぞれの文化が存在している。
今現在なら、二本松から見れば「二本松の菊人形」だの「二本松提灯祭り」「二本松少年隊」
「黒塚」などが誇れるものとして列挙できるが、合併によって、それらに対する考え方も変えて
行かなくてはならないと思う。

とっくに賞味期限が切れている二本松の菊人形だ。
世の中には、楽しいエンターテイメントを売り物にしているアミューズメントパークが星の数ほど
ある。そういう場所と観光を張り合って、催し物を開催続けるのは大変なことなのだ。
企業は、その盛衰をかかえて必死に努力して誘客に望んでいる。
しかし、データが示すとおり観光客の来場者は減少の一途である。
市民が行かない、興味がわかないモノなど、最初から問題外なのだ。
それなのに、打つ手を変えない愚かさ・・・どんなものなのだろうか。

安達が原は、謡曲に詠われているとおり全国版に通ずる「名称・知的所有権」があるのだ。
これが生かされていない。
2年ほど前、個人が同地で始めて薪能を開催した。
やり方には少々強引なところがあったが、それなりに素晴らしい催しだったと思う。
五重の塔のようなモノがあるが、似非で質を低めているかもしれない。
観世寺の住職さんに伺ったのだが、ふるさと村が出来てから、本物の黒塚の方へお参りする人は
めっきり少なくなったと言う。また、4号線から「黒塚」の案内標識が消えたというのだ。
五重の塔は、本来、仏舎利を安置する建物である。
ランドマークのつもりなのだろうが、意味の無い産物を作ってしまったようだ。

安達町には智恵子の生家がある。切り絵のコレクションもある。
光太郎夫人としての智恵子には、これも同様に全国区の認知度がある。
筆者は、数年前「智恵子きり絵コンペ」を安達町に提案したことがあったが、審査委員に池田
満寿夫氏を呼ぶことで提案したが、予算が無いということで大山忠作先生に取って代わり、しかも
全国へ情報発信の意味をどう勘違いしたのか、近隣の小学生の絵画展にしてしまった。
教育委員会の考え方が勘違いされたのだろう。

私の妹の知人に野口雨情のお孫さんが居る。
北茨木市は町中が雨情の作品を元にした町興しを行っている。いわゆる、生家を中心としたポエム
のメッカにしようという考えらしい。
私が話をしたいのは、その北茨城市の話ではなく「赤い靴」という童謡の話だ。
岩手県か青森県のどこかの小さな町だったか忘れてしまったが、この赤い靴を作詞したのは自分の
町に野口雨情が来たときのものだ・・・とか?で、それだけで町興しに使っているのだ。
たったそれだけのことなのに、町がそれでひとつになっている。

さて、二本松の話にもどる。
この町には素材が多すぎるのだ。どれもこれも全国区のモノが群雄割拠して、今の巨人軍みたいに
なってしまっている。それぞれにスターが居るが、チームとして勝てないのだ。
少年隊にしろ、提灯祭りにしろ、智恵子、安達太良山、木幡幡まつり、菊人形・・・全部、一流に
なれるものばかりなのだ。ちなみに、昨年、東和町・木幡幡祭りは国の重要無形文化財に指定された。
この祭りをどう新市民が捕らえてゆくかである。
しかし、その素材を生かしきっていない。

新生二本松市の観光を考えるとき、全国にどう我が町をPRして行くか考えなくてはならない。
大切なのは魅せ方である。どう、訪れる人々を楽しませ魅了するか・・・それにつきる。
そういう考え方を根底に持ちながら、本当の「観光立市」をやってもらいたい。

必要なのは、普遍なビジョンだのだ。

提案者は誰だ!

2005年05月20日 10時00分42秒 | 祭人
新しい動きを始めるにはエネルギーが要る。
まして、前例がないことや反対者が多い事についての場合ならことさらのことだ。
昔から持論にしてきたことは「池に石を投げる人」になろうである。そして、そういう考え方
は常に間違っていないと考えてきた。
しかし、しかしである。それは、自分自身が石を投げて良い立場にいるかどうかが問題である。
例えば、自分がある組織に属していて、その組織を改革するために一石を投ずるなら、投げて
もいい人間であるかどうかについては問題にはならない。
だが、部外者だったとしたら。他の家の池に石を投げたら「おまえ、何ゆえに投げるんだ」と
言われるだろう。

ポイントはここにある。他の家の池に石を投げて良いかどうか・・・。
それは、池がその家のものなら、間違いなく違反行為と言われるだろう。
世の中、すべてがこのように単純明快なことだけで済むなら世話はない。
その池というものが「万人に共通の問題」という池だったら・・・。これは、その石を投げる
人が誰でであっても「部外者が余計なことをするな」とは言えないだろう。

さて、二本松提灯祭りの話である。
この祭りは誰もものか、ということを考えれば話は分かりやすい。
地元に脈々と続けられて来た祭りは、一個人のものではない。
さらに、祭りを現在催行する当時者だけの祭りではない。地域の人々の心の拠りどころである
祭りなら、それは「みんなの祭りである」と言える。
祭りを私物化してはならない。ややもすると、祭りの中心にいる人達だけのもののような錯覚
をすることがある。それは間違いだ。
一年を地域の人たちが心待ちにしている大切な年中行事なのだ。特にこの地方の人達にとって
は暦の重要な部分を担っている。もしかすると、盆や正月以上の存在かも知れない。


さて、休日開催の提案や祭礼のあり方について提案するのは誰がするべきなのだろうか。
祭りは時代とともに進化し、時の流れに乗りながら変化して来た。だから、今現在にその形と
存在を許されているのだと思う。
私が流れを作ろうと言っているのではない。朝祭りが時代にそぐわない形式であったから、中
止されて今の形に変化してきた。朝まで祭りをやれない時代背景になったのだ。
同じような意味で、今の時代にあう形を考えなくてはならないのではないか、と言っているの
である。

新しい動きにはエネルギーが要る。
歴史がある祭りだからこそ、個人で変えられるようなものではない。皆がしっかりと議論を
重ね尽くし、そして、必要なら今ある形から進化させる意味で変化して行かなくてはならない
のではないだろうか・・・。
今、それを継続的に話し合う場所がない。何度も繰り返して言っているが「若連は単年度制で
継続審議をする役目は重過ぎる」のだ。

せめて、それを話し合う場所を作らないか!