ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

ちと、ぐちっぽいが・・・

2006年11月20日 11時04分38秒 | 祭人
まだ、ダイドーのブログは続いております。
お祭りを終えたと同時に私の書き込みも終了させてしまいました。
思えば、このダイドーの日本の祭りとの出会いは偶然からでした。
昨年の同プログラムは、福島県代表は相馬野馬追いでした。そちらを見ていて、一般者と
して投稿をしていた私でした。それが、どういう訳か、二本松提灯祭りに話が来まして、
市観光課からこんなブログがあるのだけれど・・・と言われて、即、現地リポーターに
志願しました。それが、テレビ番組にまで使われるということは全く知らないでいたので
すが、どんどんハナシが進んで今回の形になった訳です。

さて、ほらどっこいなどの出版活動を通じて、二本松提灯祭りをもっとメジャーにしたい
という私の願いは、ある意味でひとつのカラを破ったのかも知れません。
ただ、そういう根本にあることを理解してもらえない地元の人達も多いようで、これから
が難しいところへ入って行くと思います。

最初に本を出した時、あんなもので金を取るなんて・・・と言われました。
ただで配るべきだ、と。
今年で4回目になりました。少し、マンネリ化して来たかもしれません。
新しいメディアにも挑戦しましたが、大変に難しいです。
はっきり書きますが、すごい祭りだけれど、やっぱり小さな田舎の祭りなんです。
そういう祭りにスポットライトを当てようとすると相当なエネルギーが欲しいです。
お金がからんで来ることです。本当に難しいです。

今、ライブ版CDの編集、頑張ってます。
何度も何度も同じものを聴いて、嫌になるくらい聴いて・・・。もう嫌だと思って。
出すの止めようか・・・売れなかったら協力してくれている人に迷惑がかかるし。

でも、また朝起きてから聴くと「ああ、○○の囃子がいいなぁ・・・」「やっぱり
本番の音が本物だな・・・」と思ったりして、気を取り直したり・・・。

そうだ、原点に返ろう。
何ゆえにこんな事はじめたのか=理由は簡単=誰のためでもない。
自分で見たい写真だから、自分の撮りたいように写真を撮った。
そして、涙が出るくらい感動する、いろいろな場面・局面でのお囃子を録音したい。
自分の為に収録したことだ・・・そう思う人が居るはずだ。

それを信じよう

二本松提灯祭り実行委員会(三者会談)

2006年11月05日 09時42分07秒 | 祭人
若連連合会という組織の体質は、国連に似ているかもしれない。つまり、ト
ップは事務総長である若連連合会長で常任理事国は本町をはじめとする7つ
の町内であり、そしてその町内会の代表は若連会長である。7つの若連会は
それぞれに独立国であり、互いに干渉はしない。治外法権で他の若連会のい
う事がそのまま他に伝わることはない。さらに、各若連会は拒否権をもって
いる。祭り全体が国連であり、常任理事国が強力に全体の運営を指揮してい
る。だから、7分の1が拒否権を発動すると祭りにならなくなる。

今、若連連合会で話し合いがもたれようとしている。議案は二つだ。一つ目
は、祭礼の開催時日に付いてであり、もう一つは、亀谷ロータリー廃止にと
もなう今後の曳き回しコースについてである。若連連合会という組織でこの
ことについて今年のうちに話をしようというのだ。

さて、この二つの案件について話がなされるのは今年が初めてではない。少
なくとも筆者の記憶にあるだけでも20年は続けられている。私は昭和59
年に若連会長を務めた。その時に、すでにコースの話しは出ており、霞ヶ城
公園から出発できないかと話しがだされている。また、10年ほど前には祭
り全体が大変危機的な状態に陥ったことがある。三町(郭内、竹田、根崎)
側が話しに付かないなら祭りに参加しないとの強行姿勢に出たのだ。結果は
時の町内会町会が全体会を招集し話し合いがもたれ、当時の市長も話しに加
わり、霞ヶ城出発案などは継続審議としてその年の祭りは例年通りに開催さ
れた。だから、周知のように、未だにその願望(箕輪門出発)は成就してい
ない。

このウェブサイトでも再三にわたって明言してきたことだが、祭り全体を話
し合う会議スタイルに問題があるのだ。若連または、若連連合会の役員は単
年度制である。上下関係を重んじる若連組織において、次の年のことを話す
ことについては大変はばかりがある。つまり、その年その年で違う考え方が
それぞれに存在するのだ。このことにより、若連という組織では、継続する
審議は不向きなのである。

祭りの前にこの不向きな組織を補完する意味で三者会談が開かれたという。
詳しくは知らないけれど、議題は前述の内容であるようだ。この三者会談と
いうのは、単年度で終了する若連の組織に加えて、その若連の属する町内から、
町内会長、祭典事務長が会議に加わった形をいう。

それでは、何ゆえに町内会長や祭典事務長が話しに出てきたのかということ
になる。つまり、それには、若連会長の各町内における立場や権限に問題が
あるのだ。今までに話しをしたことについての全ては、その町内の中でどの
くらいの発言権や影響力があるかを話せば明確に説明できるのだ。つまり、
各町内において若連会長はどんな役目を果たしているかである。多分、町内
会において若連会長は町内住民若手のトップであるに過ぎない。与えられて
いるのは、祭典中の曳き回しにおける全責任のみである。祭りの象徴でもあ
る太鼓台の保存、管理責任は、当然に町内会にあって、町内会長が最高責任
者である。時には、祭典事務長がこれに代わる町内もある。

二本松提灯祭りの祭り全体を考える場合には、若連会長等で組織する若連連
合会のみで話し合いをいくらしても決められないのだ。たとえコースの話し
をするにしても、例えば、今までに行ったことのない場所へ行こうとする場
合には、当然に若連会長は自分の町内の同意を得ることになる。だから連合
会に出てきて話をするにも独断で即決即断というわけには行かない。従って
若連会長が自分の町内でどのくらい話を煮詰めてから連合会に赴いて話しを
しているかに掛かっていたのだった。だが、実際は町内でのあらゆる内容に
ついて統一見解を持参した全権大使であったとは思えない。若連会長とはそ
ういう役柄ではないのだ。

そういう意味で三者会談ということが行われたということは興味深い。筆者
は、3年前の2月にこの三者会談を提唱して、常にこのこの会議を設置する
ことを提案した。町内会長、祭典事務長、若連会長で組織する円卓会議を提
唱したのだった。しかし、私自身が部外者であったために余計なことはする
なと叱責されてだけで会議を終わらなければならなかった。今回、この私の
考えがあったから三者会談が開かれることになったとは言えないが、いずれ
にしても、永続的に三者会談(円卓会議)が設置されることを歓迎したい。

今年の祭礼中にある若連会長と話をする時間があった。実によく祭礼の内容
について掌握していると感心した。そして、彼自身が当然のように若連の体
質というものを理解しているので安心した。次に行われる三者会談で是非き
たんのない話をし、将来の二本松提灯祭りに対する具体的な改革案を構築し
てもらいたい。今有る二本松提灯祭り実行委員会は正確には機能していない。
実行委員長は現職の市長がなることになっているが、明らかに象徴であり何
の権限もないのだ。祭りのコースや開催日の話しに加わることはない。

若連をとりまく諸問題は非常に深刻である。どん底の不景気と少子化傾向か
ら抜け出せない社会情勢は二本松も無縁ではない。だから、祭りを維持して
ゆくことは、単に若連連合会だけの問題ではないのだ。もっと大きな組織で
考える時になっている。三者会談はもちろん、当然のことに二本松神社様も
加わり、一般市民も支援者として発言できる場が望ましい。

祭りに若連が出やすい社会環境を二本松市全体で考える必要がある。そして
感動的ですばらしい二本松提灯祭りを多くの人に観に来てもらえる体制作り
を進めなくてはならない。そういう話し、会議になることを期待する。

プロフェッショナル

2006年10月27日 08時48分52秒 | 祭人
昨晩のNHKのプロフェッショナルは面白かった。
企画にはトゲが重要だという。
さしさわりのない無難な商品には大ヒット商品は生まれないという。
前例がないものは世に出にくい。

会議をするときに日本人の悪いクセは、その会議の中での最大公約数を常に探そう
とう気持ちが働くそうである。要するに自分の考え方を前面に押し出して行くとい
うことが下手なのである。ガンガン主張すると、なんだアイツはとなる。

自分の信念に基づいて、絶対に変えないという姿勢が大きな壁を突き破るのだと
思う。迷ったら原点に返れ、とも言っていた。
大勢の人を動かすことは難しい。
おうおうにして、その大勢を動かすことのために、それに合わせようとし、最初の
自分の考えを忘れがちになる。

出来るなら、自分の信ずるところを行きたいものだ。

(ある会議にプレゼンして提案が見事に蹴られた翌日)
(日本シリーズで日ハムが日本一になった翌日)

最後に、プロフェッショナルとは? >>>たまごっちの産みの親

「素人がどんなに束になって掛かってもカナワナイ人をプロという」

あれから20年あまり

2006年10月14日 16時43分21秒 | 祭人
自分が祭りの中心にいた頃から、はや20年が経ってしまった。
自分が現役若連の時は、まだ、今のように祭りの有り方について厳格に討論する
ような環境でなかったようだ。
今では、若連連合会といえば祭りの中心をとりしきる組織として存在するけれど
当時の若連連合会とは単なる連絡役でしかなかった。

徐々に、交通規制など、社会的責任が問われかかった時代にさしかかっており、
祭りのあり方が真剣に議論され始まったころだったと思う。
二本松提灯祭り、伝統があるとはいえ、まだ本当にそのあり方が確立されている
とはいえないと思う。
伝統文化の継承・・・事は簡単ではない。
激しい時代の流れの中で、何とか子々孫々まで磐石な体制をつくりあげることに
力を出したいと思うのだが。

自分は、今、一部外者でしかない。

オークレージー

2006年10月08日 11時37分08秒 | 祭人
とにかく、二本松の人たちの祭り好きには別格のものがあることを証明したね。
こんな嵐のお祭りは記憶がない。横殴りの風、そして雨。
今年の祭りは今年しか無い!
だから、やるべきことをやる。嵐のエネルギーまで見方に付けてしまいそうな
気迫で祭礼を続行したのだ。

一旦、ずぶ濡れになったのを着替えて再度取材に出かけた。
手が冷たい。かっぱを買おうと思ったけど、そんなのじゃ役にたたない。
傘も壊れる。(*^o^*)
とにかく、カメラが濡れないようにだけ気をつけて何枚か撮った。

最後に根崎町の秘曲を録音してからもどった。
この時はとっくに7日になっていた。

日本の二本松か・・・いい言葉だね

2006年09月24日 09時03分34秒 | 祭人
安達町で合併後の町づくりフォーラムが開催されたようだ。
尊敬するmildwoodsさんのブログを読んで思うところを書いてみた。

行政の首長が変わる度に町のあるべき姿を右だの左だの方向付けされてはたまった
ものではない。この町には特有のアイデンティティがあるハズだ。
それを明確に引き出して、培養して、他との差別化ができるようにするには容易な
ことではない。有能な指導者が欲しいわけであるが、なかなか、時の首長がそれを
持ち合わせているとは限らない。

40年以上も前に町の活性化をねらった都市計画図があった。今より相当前の首長
が町の威信をかけたプロジェクトとするハズだったけれど、未だにそれは完成して
いない。しかし、実際のところは、あたかも新しい手法を持ち出したように、自信
ありげに提案されるそれは大きく違うところがない亜流の連発に思える。

起案者はプランを提出することで事業を完成させたような満足感があるらしい。
勉強不足の人間にとっては、あるいは、記憶力の乏しい者にとっては、新しい提案
が為されるたびに、毎度のささやかな期待をしてしまうもののようだ。

町中に負の遺産がいっぱい存在する。
グリンピア、原瀬射撃場、観音遊歩道、歴史資料館、ふるさと村・・・。
箱モノばかりで維持に莫大な金がかかる。

実践こそ命。(しかし、入れ物を作ることが行動ではない)
アクションあってのプランに血が通う。
一歩踏み出すことを忘れている。
しかし、大きな体躯を始動するにはものすごいエネルギーが要るのだ。
さらに、動き続けるには、野にあって地道なケースワーカーが本当に必要になって
くるのだ。そういう人たちが不足している。

祭りの心意気

2006年08月29日 14時03分25秒 | 祭人
どの地方にも祭りはある。
激しい祭り、雅な祭り。
やり方や考え方なども様々だけれど、日々の生活に感謝し、神を畏れる気持ちは
どの祭りにも存在する祭りの心意気だ。

先日、岸和田へ行ってきた。
漁師町として、気性の荒い祭りゆえに有名になった祭りである。
二週間後に祭りを控えて、各町内の若い衆が町に見えていた。

自分は違う祭りを背中にしょっているけれど、
そこに流れるもの、言葉はうまく見つけられないけれど、感じる共通の何かが
あった。わくわくするような、どきどきするような何かがある。

あと30日余りで私の祭りがやってくる。

祭りは誰のものか その2

2006年04月07日 08時53分43秒 | 祭人
旧態依然の祭り組織にメスをいれるべく改革をこころみて、結局、私は松岡
の祭典事務を止めました。先にも書きましたように、昭和59年には若連会
長もさせてもらいました。
夢中で勤めました。また、なかなか紋付組になれない松岡で、幸いなことの
に2年の休みの後に祭典事務に入れてもらい18年を祭りの中心から眺めて
きました。しかし、伝統を守るということと改革を進めて行くことは、時に
は相当な抵抗に合いまして、結果として、自分の気の短さが原因で飛び出し
てしまいました。

「ほらどっこい」だ出来た理由は、もっと祭りをオープンなものにしたい、
全国に広めたいと思う一途な思いでスタートした訳でした。お陰様で3回の
発行を出来たわけです。
そして、一つの字に居て見えなかったものが、七つの字全部を回ることによ
って見えてくるものがありました。また、多くの祭り好きと出会うことが出
来たのは幸いでした。

さて、話しの話題を元にもどしましょう。

若連の組織というものが何であるか、ということを良く分からない幹部が居
るようです。それぞれの字において「今年の会長は不作だから」と諦めムー
ドが祭り前から漂い、実際祭り本番になったら、おおきなポカをやって「あ
あ、やっぱり」というようなことがあったのを見ていますし、知っておりま
す。

人が運営する組織ですから、いろいろな人がトコロテン式にトップに上りま
す。自分の立場をよくわきまえ、周囲を常に気遣いながら指導力を発揮する
すばらしい人も居ますし、その反対にひどい祭りで終える人も居ます。簡単
には片付けたくないけれど、そういう人さえも長い歴史のなかで「この祭り
は残って来た」のです。別に、学識のある者が会長になる訳でありませんし
時には人望の無い人だって会長になることもある。

私は、根気強く言い続けることと考えております。

はっきり言います。
「暴力を振るうような若連は、若連から去れ!」
「お前のような者が、祭りをダメにするのだ!」
「金を使うのは止めろ!」
「普段は地域に密着して、字の行事にも参加せよ!」
「飲み食いで人気を取るのはやめろ」
「金が100万無いと会長ができない、なんてバカだ」
(私が会長時代に、自分の金を使った記憶はほとんど無い)

良く行く飲み屋のオヤジが言っていました。
「おら家の子供は、若連がおっかないから行かない」と。
良く行くお菓子屋のオヤジが言ってました。
「酒飲めないなら若連やめろと息子は言われたので、今年から行かない」
子供に気を配り、若い者に気を配り、地域の人たちと一緒に祭りをやって
いるのだという考えがなければ、祭りはダメになります。

最後に、松岡若連の名誉の為に書いておきますが、近年の幹部連中の努力
によって、本当に家族的な雰囲気が完成しつつあります。素晴らしいこと
です。そして、それは若連の「こころ粋」となって祭りに現れております。
200世帯あまりの一番小さな町が四日朝の宮参りの際、二本松神社の階
段に並べないくらいの若連が詣でました。当然、曳き回しの際の若連の数
は多いです。

問題になっている若連の幹部は、目先のことだけにとらわれずに「本当の
意味での将来の二本松提灯祭りを考える行動をして欲しい」

祭りでも少子化が問題+幹部は何をすべきか?

2006年03月17日 09時23分52秒 | 祭人
最近、子供の数が少ない。学級閉鎖に追い込まれる学校も多々あるよう
だ。こと、二本松提灯祭りの現状でも少子化は無縁の話しではない。

一昨年聞いたはなしだけれど、二本松提灯祭り・竹田町の場合は、太鼓を
打つ子供の数が12人だったという。ご承知のように、太鼓台に乗る小若
の数は1チームで最低は4人である。4人で乗った場合、休憩というのは
全くない。小太鼓3と鉦1であるため、ずっと演奏し通しになるからだ。
太鼓を打ったことのある人なら分かると思うが、太鼓打ちはけっこうハー
ドな運動になる。太鼓台が曳き回されている間中、演奏が止められること
は無い。場面などにより囃子の内容が変わったり、祭典事務所前、太鼓台
同士の交差以外はずっと太鼓を打ち通しになる。だから、4人よりは5人
を乗せたいところだ。

しかし、町内回りの他、合同曳き回しとなると2から3チームでは数が足
りない。そして、何よりも小若というものは将来の若連の基礎となる若連
予備軍である。祭りを大切に思う気持ちとはうらはらに、少子化は将来の
二本松提灯祭りにも影を投げかけている。

子供を育成することに金がかかるから少子化なのだろうか?
確かに、教育にはお金がかかる仕組みの社会である。そのあたりを改め
て行く必要がある。(難しい問題は頭の良いひとに考えてもらおう)

さて、地域ではどんな取り組みをすれば良いのだろうか?
祭りに興味を示さない子供、保護者が増加しつつあるようだ。
少子化はともかく、地元に居ながら祭りに参加しない子供達、若連の数を
何とかしなくてはならない。

再三書いていることだけれど、祭りを楽しいものにしなくてはならない。
祭りを私物化することは、新規に参加するもの達には敬遠されがちだ。
さらに、言語道断なハナシだが、幹部の者が暴力を振るったりすることも
あると聞いている。

暴力を振るっている本人は祭りから去れ! と、言いたい。
いい気になっていると、祭りそのものがダメになる。

長期的に祭礼に携わる人たちは、新人育成、新人開発を念頭に祭りを
運営しなくてはならにのだ。それが幹部の務め、祭典事務員の務めである。

ダイドーコーヒーの「お祭りブログ」スタート

2006年02月01日 13時56分31秒 | 祭人
平成18年度 2006年のダイドーコーヒー 「お祭り現地特派員」に
なった。

このページは全国から18のお祭りをピックアップして、お祭りの様子や
お祭りにかかわる人が登場して日本人の元気の素である「お祭り」を企業
がサポートするものである。

その中に我が二本松提灯祭りも選ばれたということだ。

そして、私もお願いして現地リポーターになれた、とう訳である。

このホームページは2月1日よりスタートする。
このことによって、もっと二本松提灯祭りが全国に知れるといいね (*^o^*)v