昔、学生時代、人生の中で尊敬する人を持たないことは寂しいことだ、と教えられた。
50を過ぎても、分からないことばかりだ・・・。
中国の故事なら、とっくに「迷ってはならない世代」に入っていなければならないのに
まだまだ迷ってばかりいる。
尊敬する人のひとりに、作家の藤本義一さんがいる。
私がこの人が好きで尊稀するのは、モノの言い方にその理由がある。
人は偉くなればなるほど、完成されたモノ言い方をするようにないものだ・・・。
人と接して、あるいは文字を書くとき、その言い方で人柄が分かるというものだ。
どこが好きかとうと、何か自分の考え方を伝えるとき藤本義一さんは「○○○でないかな」
というふうに、自分の考え方を断定しないで話すし、記述する。
人がうなるような素晴らしいことを言いながらも「○○でないかな」と言う。
なかなか出来るものではない。
自分なぞ、まだまだだ。修行が足りない。(*^o^*) 読んでみて →→ ここ
50を過ぎても、分からないことばかりだ・・・。
中国の故事なら、とっくに「迷ってはならない世代」に入っていなければならないのに
まだまだ迷ってばかりいる。
尊敬する人のひとりに、作家の藤本義一さんがいる。
私がこの人が好きで尊稀するのは、モノの言い方にその理由がある。
人は偉くなればなるほど、完成されたモノ言い方をするようにないものだ・・・。
人と接して、あるいは文字を書くとき、その言い方で人柄が分かるというものだ。
どこが好きかとうと、何か自分の考え方を伝えるとき藤本義一さんは「○○○でないかな」
というふうに、自分の考え方を断定しないで話すし、記述する。
人がうなるような素晴らしいことを言いながらも「○○でないかな」と言う。
なかなか出来るものではない。
自分なぞ、まだまだだ。修行が足りない。(*^o^*) 読んでみて →→ ここ