重度の鬱病では、幻覚、妄想、行動異常があらわれます。
行動異常の内容は、激しい興奮・多動症状・長期化する社会的な引きこもり、著明な精神運動抑制・混迷などの自発行動や意思表示が極端に低下している状態です。さらに、幻覚症状・妄想障害・統合失調症に関する精神病像を伴う躁うつ病が、精神病性の鬱病ということです。
鬱病は早期発見が困難な病ですが、早期発見が早期改善につながります。
鬱は、いつから、始まるのでしょう?
本当は存在しない私なのに、いつから存在していると、誤解されたのでしょうか?
それは、繰り返し、繰り返し、仇名で呼ばれることで、始まりました。
それは、私が存在する前提の、IT/イット。物と呼ばれ、動物と呼ばれ、馬鹿と呼ばれました。
“それ”が見えたら、終わり。“それ”は、ある日突然現れる。平和で静かな心を恐怖が覆い尽くす。
それは、分離がある前提の、社会で生活することで、始まりました。
そして、それは、他人と接することで、より確かなものになっていきました。
人生というストーリーを生き始めることで、もはや疑うこともないくらいリアルなものになっていました。
そうです。私という存在は、元々はいませんでした。後付けの存在です。
私というものは、最初は居ませんでした。付け足された存在なのです。
私という物は、オプションのような存在です。
でも、オプションのついた私という物が存在することを、疑うことが出来ない状態になりました。
あまりにも長い間、繰り返し繰り返し、オプションの付いた私が存在していると教え込まれ、刷り込まれて、本当は存在しない私を、存在している物と、信じ込んでしまったのです。
あまりにも長い間、私が存在すると洗脳され、本当は存在しない私を、存在している物と、妄信してしまったのです。
私という物の始まりは、仇名で呼ばれ、その仇名に反応を示し出した時です。
私に掛けられた呪いは解除されました。
私が存在しないと、苦しみも終わります。
私を続けることは、苦しみを続けることです。
私という苦しみは存在しないという真実に目覚めることが、苦しみからの解放です。
私たちが、今存在すると信じているこの世界は、実体がある世界によく似せて作られた偽物の世界です。
偽物の現実世界は、唯一、自分だけが感じている五感覚の思考の世界です。
思考の領域の空想か、もしくは妄想の延長線上に、偽物の現実世界が創作されています。
すなわち、錯覚という土地の上で、妄想を膨らませた砂の城を作り出して、降りることが出来ないから、苦しいのです。