12月14日(火曜日)
”ときは元禄十五年十二月十四日(正しくは十五日午前四時頃)大石内蔵助良雄以下四十七士は吉良邸へ。表門には大石内蔵助を頭として片岡源五右衛門ら二十四名、裏門からは大石主税を頭とし堀部安兵衛ら二十三名、 両門より襲撃し六時頃本懐を遂げる。その後四十七士は、泉岳寺の長矩の墓前にその首を捧げ復讐の報告をする。 翌、十六年二月四日、細川、松平、毛利、水野四候家にて切腹す。”でお馴染みの忠臣蔵。
先日石山寺に行った時、山科の有料道路を出たところから道路沿いに 「12月14日 義士まつり」 のノボリが立ち並んでいた。
今日はその12月14日だ。愛妻は朝早くから息抜きのため京都市内の柚子の里へ、友人と出かけた。病院の爺さんの付き添いは、親類のオバが夕方までやって、その後交代することになっている。
私は留守番をしていたが、昼になり 「義士まつり」 のことを思い出した。出かけるには絶好だ。
山科の大石神社まで45分ほどで到着した。車で神社のそばまで行ったが、駐車するところが無い。仕方がないので、元来た道を引き返し、近くにどこかないかと探した。有料駐車場があったが、隣に○ヤマムセンの駐車場が空いていたので、安い買い物(500円)をして置かしてもらった。
大石神社の参道には露天が立ち並んでいる。
平日なので子供が少ない。境内には子供義士隊の皆さんが、山科の町から行進して到着したところだった。
幼稚園児かな?大きな子供がいるので小学生の低学年もいるのかな?
「今日は学校は休みですか?」と先頭の子に尋ねてみた。「学校と違う幼稚園だよ」の返事が返ってきた。境内には無料の忠臣蔵宝物殿があり、お宝を拝見した。
境内の紅葉は、ほとんど散っていた。
2週間ほど早ければ、さぞかし見事だったことだろう。 岩屋寺 はこちら→の立て看板があったので、山道を登って行くと無料の甘酒が振舞われていた。
午後1~2時の時間限定だった。
私も1杯いただいた。年に一度飲むか飲まないかの甘酒は、美味しく感じる。隣のテントでは「討ち入りそば、うどん」が300円で売られていた。腹も減ってきたので「討ち入りソバ」を食べた。
討ち入りと名前が付いているが、特別なものは何も無い、単なる掛け蕎麦だ。この寺も紅葉がかなりあるが、大石神社と同様にほとんど散っていた。
石段の下では坊さんが護摩行をやっている。一枚300円也。
もう一度、大石神社へ。本殿の前には大勢の人が集まっている。何をやっているのかと思えば、こども歌舞伎だった。



新聞
によれば
今年が2回目だそうだ。山科区の3つの幼稚園から22人の園児が出演している。三段目「松の間」や、主君の無念を晴らすために大石内蔵助にあたる大星由良之助らが、吉良上野介にあたる高師直の屋敷に討ち入る十一段目「高家討入の場」も上演していた。相当練習を積んだことだろう。会場からやんやの喝采、拍手が沸き起こる。
こども歌舞伎が終わると、遠くから何やら声が聞こえてくる。
きっと大人の、大石内蔵助をはじめとする四十七士の義士隊が帰ってきたはず。急いで門前へ。
大石神社に入って来るのかと思っていたが、隣の岩屋寺の方へ行進して行った。今日の大行列は子供義士隊、大人の義士隊、女人列、婦人舞踊列など総勢250名が参加していたとのこと。
これが土、日であればもっと賑わうであろうに。もったいない。何とかならんか。12月14日は変えるわけにはいきません!
夜のテレビニュースでは、赤穂大石神社の義士祭りをやっていた。こちらは見物客が数万人と、何と多い人出だ。
【参 考】
1.京都山科大石神社:昭和十年赤穂義士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため、大石内蔵助良雄公をご祭神 として大石隠棲の地(京都山科)に創建された。
2.赤穂大石神社:大正元年に大石内蔵助をはじめ四十七義士を祀る神社として、 播州赤穂城内大石内蔵助の屋敷跡に創建された。祭神である四十七義士が苦労の末、見事 本懐を遂げた事に由来し、大願成就・願望成就の御神徳がある。
明治天皇が「百世の不感奮興起せしむ」と仰せられたその義挙と誠忠は今日に到っても広く熟知さて、そのご神徳(大願成就)を心に秘めて、討入りの十二月十四日の義士行列等の義士祭はもとより、一年を通して全国より多数の参拝者がみえる。