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自分自身のために祈る(本)より その⑤ 『たとえどんなにかかったとしても』 続く

2021-04-20 08:22:57 | 日記
自分自身のために祈る(本)より
⑤の部分
<たとえどんなにかかったとしても>
 四百九十回! 私たちはこれだけの回数、一人の人を赦さなければならないのです。
*マタイ18:21-22
そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」
イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」
もしかしてあなたは今、一日四百九十回赦さなければならないだれかのことを思い浮かべているかもしれません。しかし、これは文字どおりの回数について言っているのではありません。神は私たちに、必要な限り相手を赦し続けることを求めておられるという意味です。主はあなたに、人を赦せる人間になってほしいのです。
 イエス様は、主人から多額の借金を免除されたしもべの話しをなさいました。
*マタイ18:32-35
そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。
私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか』
こうして、主君は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。
あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに、このようになさるのです。」
 これは非常に深刻なことです。イエス様を救い主として信じ、受け入れた私たちは、それによって大きな大きな借りを赦されました。ですから私たちには、ほかの人々を赦さないでいる権利がないのです。
神はこう言っておられます。
*エペソ4:32
互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。
もしも赦さないなら、私たちは自分たちの憎しみの牢に閉じこめられ、自分自身の苦々しさにさいなまれ苦しめられます。
 私たちが人生において行う永遠の価値を持つことはすべて、神を愛し、他の人々を愛するという二つの点にかかっているのです。人々を愛するよりも神を愛するほうがはるかに易しいのですが、神はそれらを等しいことと見なされます。私たちにできる最も愛を表す行為の一つは、赦すことです。自分を傷つけ、怒らせ、虐待した相手を赦すのは、とても大変です。しかし神は私たちに、自分の敵さえも愛してほしいと思っておられるのです。そしてそれを行っていく過程において、主が私たちを完全な者に変えていってくださるのです。
*マタイ5:48
ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。
赦せない事柄を見つけ出すのは、いつでも簡単なことです。それを見詰めるのをやめなければなりません。
 神はあなたに、あなたのために用意しているすべての祝福の中で生きてほしいと思っておられます。でももしあなたが人々を赦さないのなら、いつまでもそのところにくぎづけとなり、あなたの人生への神の働きを締め出してしまうのです。赦しはあなたの心と思いの扉を開き、あなたの中で聖霊が自由に働けるようにします。赦すことは、あなたがもっと神を愛せるようにし、より大きなスケールで神の愛を感じることができるようにあなたを解放します。それなしの人生など、何の価値もありません。
続く


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