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自分自身のために祈る(本) その③

2021-04-19 23:50:36 | 日記
③部分
<まず家族から>
家族に対して赦せない思いを抱くのは、いとも簡単です。家族はいちばん長く一緒に過ごし、私たちを最もよく知り、深く傷つけることができるからです。しかし、まさにこの理由で、家族のだれか一人に対して抱く赦せない思いが、私たちの人生に最大の荒廃をもたらします。だからこそ、赦しをまず家の中から始めなければならないのです。
 まず第一に、両親を赦しているかを確かめることがとても大切です。聖書はこの問題について非常にはっきりしています。十戒の第五の戒めはこう言っています。
*出エジプト記20:12
あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。
もしあなたが両親を敬わないなら、あなたの人生を縮めてしまいます。そして両親を赦していなければ、完全に尊敬することはできないのです。
 私が母を赦そうと決め、実行できたのは、神に従いたいためと、神が備えてくださっている祝福すべての中で生きたいためでした。もう大人になっていたので、うまくいったのだと思います。しかし、一回母を赦せたからといって、もう二度とそれについて心配しないでよくなるのではありません。私の内側には長年積み上げられてきた赦せない思いが幾重にも重なって存在し、その中の一つが表面に出てくるたびに、そのつど母を赦さなければならないことに気づきました。実際は母に会うたびに、毎回赦さなければなりませんでした。母の病状は年々悪化するばかりだったからです。
 ある日だれかに対する赦せない思いを告白したからといって、もうそれで二度と、赦せない思いを持たなくなるということにはなりません。だからこそ、赦しは私たちが「毎日」すべき選択なのです。自分がそうしたいか否かに関係なく、赦すことを選び取るのです。それは決断することであって、感じることではないのです。もし私たちが良い気分、良い感情が訪れるのを待っているなら、一生待ち続けることになりかねません。どんな苦々しさや赦せない気持でも持ち続けているなら、手放すという選択を自分がしていないのであって、それは常に私たちの過ちです。神に告白し、私たちが赦して前進していけるように助けを祈り求める責任が、私たちにあるのです。
 また、だれか家族に赦すべき人がいないか、示してくださるよう神に祈り求める必要があります。私たちは、自分が人を赦せない人間だとはあまり考えない傾向にあります。いらいらしたとしても、赦せないほどではない、と思います。でも思い出してください。私たちの基準は神の基準よりも著しく低い物であることを。そしてそのゆえに、私たちはしばしば、赦すべき事柄を、そうと認めないのだということを。家族のだれかに対してあなたが持っている、どんな赦せない気持ちも示してくださるように、神に祈り求めましょう。それが解決されるまでは、ずっと惨めな気持ちを引きずることになります。
続きは後日(笑)さすがに体力の限界です。
おやすみなさい


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