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自分自身のために祈る(本) その② 

2021-04-19 23:50:36 | 日記
②部分
<優れた選択>
 私は「憎しみ」が非常に強いことばだと知っています。そして私たちはどんなことについても、「憎い」とか「嫌い」と言うのを嫌がります。自分がだれかに対する憎しみを実際に抱いたかもしれないと考えることさえ嫌います。しかし、それこそが赦せない思いというもの――憎しみの根なのです。赦せない思いを心に抱く時、それらは私たちの内側で憎しみに変化するのです。イエス様はこのことについてとても強く感じておられました。こう記されています。
*Ⅰヨハネ3:15
兄弟を憎む者はみな、人殺しです。あなたがたが知っているように、だれでも人を殺す者に、永遠のいのちがとどまることはありません。
またこうもおっしゃいました。
*マルコ11:25
また、祈るために立ち上がるとき、だれかに対して恨んでいることがあるなら、赦しなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださいます。
 ここで少し整理しましょう。私たちが赦さない時、私たちは永遠への希望を少しも持たない殺人者と見なされ、他人を赦すまでは、自分への神の赦しを期待すべきではない者となるのです。つまり、もし赦すか赦さないかの問題なのであれば、赦すほうがはるかに良い選択に思われると申し上げたいと思います。
 赦さないことを選ぶ時、私たちは暗闇の中を歩くようになってしまいます。
*Ⅰヨハネ2:9-11
光の中にいると言いながら自分の兄弟を憎んでいる人は、今でもまだ闇の中にいるのです。
自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちに
はつまずきがありません。
しかし、自分の兄弟を憎んでいる人は闇の中にいて、闇の中を歩み、自分がどこへ行くのかが分かりません。闇が目を見えなくしたからです。
物事をはっきりと見られなくなり、混乱の中でつまずくからです。赦せない思いは私たちの判断力を働かなくさせ、私たちは過ちを犯します。私たちは弱くなり、病気になり、苦々しくなります。周りの人々はこのすべてに気づきます。なぜなら赦せない思いは、その思いを持つ人の表情やことば、行動に現れるからです。たとえそれが何なのかはっきり確認できなくとも、人々はそれを見、その周りにいるのが居心地悪く感じます。私たちが赦す選択をする時、それは私たちの益となるのみならず、周りの人々にとっても恵みとなります。


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