これで杵築から更新するブログは最後となります。
みなさま、とってもとっても幸せな時間をありがとうございました
「さよなら」ではなく、「またね。」という言葉で挨拶をさせてください。
今日は、大分県入選した、愛息子のマチャが書いた作文を載せて締めくくらせていただきたいと思います。
この作品は深い悲しみをおった息子を心温かく受け止めご指導してくださった先生、杵築小学校の環境そのものだと思います。 そして、優しい仲間達との交流で、こんなに優しい作品を書き上げられたのだと思います。
本当にありがとうございました。
県外の方、ぜひこんな素敵な環境の大分県の杵築に足を運んでみてください。
優しい町です。
ありがとう、おじいちゃん
杵築小学校2年今村 昌輝
タカラクリニックでぼくは生まれました。
はじめての赤ちゃんだったので、みんなが見に来てくれてました。
おじいちゃんは、とくによろこんで、毎日だいてくれたそうです。
あたごにすんでいた時、だいてお出かけしてくれたのもおじいちゃんです。
だんだん大きくなって、長さきのマンションでキャッチボールをしてあそんでくれたのも、楽しい思い出です。
だけど、お父さんが大分にてんきんになって、おじいちゃんとわかれることのなってとてもさびしかったです。
でも、休みの日に長さきに行くと、「よく、来たね。」と、とてもよろこんでくれました。
そんな大すきなおじいちゃんが、十月に大とうみゃくりゅうがはれつして入いんすることになりました。
ぼくはその時、ゆめを見ました。
おじいちゃんが、公園で遠くに歩いていっていました。ぼくはふしぎに思って、
「おじいちゃん。」と、声をかけたら、おじいちゃんがふりかえってやさしくわらってくれました。
ぼくは、うれしくて、手をつないで帰りました。
すると、おじいちゃんは、「まさきのおかげでたすかったよ。ありがとう。」と言ってくれました。
おじいちゃんは大どうみゃくりゅうがはれつしてたおれた時、ぼくのゆめを見たそうです。
「かんおけの中に入れられて、やかれそうになった時、まさきの声がして、『おじいちゃんは生きてる。』といってたんだ。
今、ここにこうしているのもまさきのおかげだ。」 そう話してくれました。
手じゅつが終わって、てんてきを手のこうのまん中ぐらいにしている時は、とってもいたそうでした。
それなのに、「まさき、ありがとう。」とか、「こんど、キャッチボールをしよう。」と言ってくれ、
やっぱりおじいちゃんはやさしいなぁと思いました。
でも、十二月二十三日、ロフティー(今住んでるマンション名になってますが、長崎のマンションです。)の前でねむるようにたおれてしんぞうがとまってしまいました。
本当にねむっているようでした。とてもかなしかったです。
クリスマスイブがおそうしきでした。
クリスマスのさいごは、おじいちゃんがやかれる日でした。
やさしかったおじいちゃんがほねになって、かなしかったです。
けどおじいちゃんは、またぼくのちかくで生まれかわると思います。
大すきなおじいちゃん、いつまでも見まもっていてください。
昌輝がプロテスタント系の幼稚園で覚えた聖書の言葉をおじいちゃんに教えて、とても気に入っていた言葉があります。
「受けるより与えるほうが幸いである。」
晩年はよくこと言葉を口にしていたなぁ~。パパはそれをまっとうした人だと思います。
私たちもそんな毎日を送っていきたいです。
新しい環境はとても不安もありますが、きっと素敵な出会いも待っています。
そして、今まで出会えた人たちとこれからも繋がっていけます。
JRから菜の花のきれいな杵築を見ながら、明日旅立ちます。
ほんとうにほんとうに、ありがとう。
この言葉以外はみつかりません。 みなさん、だいすきです。
「ありがとう。」
みなさま、とってもとっても幸せな時間をありがとうございました
「さよなら」ではなく、「またね。」という言葉で挨拶をさせてください。
今日は、大分県入選した、愛息子のマチャが書いた作文を載せて締めくくらせていただきたいと思います。
この作品は深い悲しみをおった息子を心温かく受け止めご指導してくださった先生、杵築小学校の環境そのものだと思います。 そして、優しい仲間達との交流で、こんなに優しい作品を書き上げられたのだと思います。
本当にありがとうございました。
県外の方、ぜひこんな素敵な環境の大分県の杵築に足を運んでみてください。
優しい町です。
ありがとう、おじいちゃん
杵築小学校2年今村 昌輝
タカラクリニックでぼくは生まれました。
はじめての赤ちゃんだったので、みんなが見に来てくれてました。
おじいちゃんは、とくによろこんで、毎日だいてくれたそうです。
あたごにすんでいた時、だいてお出かけしてくれたのもおじいちゃんです。
だんだん大きくなって、長さきのマンションでキャッチボールをしてあそんでくれたのも、楽しい思い出です。
だけど、お父さんが大分にてんきんになって、おじいちゃんとわかれることのなってとてもさびしかったです。
でも、休みの日に長さきに行くと、「よく、来たね。」と、とてもよろこんでくれました。
そんな大すきなおじいちゃんが、十月に大とうみゃくりゅうがはれつして入いんすることになりました。
ぼくはその時、ゆめを見ました。
おじいちゃんが、公園で遠くに歩いていっていました。ぼくはふしぎに思って、
「おじいちゃん。」と、声をかけたら、おじいちゃんがふりかえってやさしくわらってくれました。
ぼくは、うれしくて、手をつないで帰りました。
すると、おじいちゃんは、「まさきのおかげでたすかったよ。ありがとう。」と言ってくれました。
おじいちゃんは大どうみゃくりゅうがはれつしてたおれた時、ぼくのゆめを見たそうです。
「かんおけの中に入れられて、やかれそうになった時、まさきの声がして、『おじいちゃんは生きてる。』といってたんだ。
今、ここにこうしているのもまさきのおかげだ。」 そう話してくれました。
手じゅつが終わって、てんてきを手のこうのまん中ぐらいにしている時は、とってもいたそうでした。
それなのに、「まさき、ありがとう。」とか、「こんど、キャッチボールをしよう。」と言ってくれ、
やっぱりおじいちゃんはやさしいなぁと思いました。
でも、十二月二十三日、ロフティー(今住んでるマンション名になってますが、長崎のマンションです。)の前でねむるようにたおれてしんぞうがとまってしまいました。
本当にねむっているようでした。とてもかなしかったです。
クリスマスイブがおそうしきでした。
クリスマスのさいごは、おじいちゃんがやかれる日でした。
やさしかったおじいちゃんがほねになって、かなしかったです。
けどおじいちゃんは、またぼくのちかくで生まれかわると思います。
大すきなおじいちゃん、いつまでも見まもっていてください。
昌輝がプロテスタント系の幼稚園で覚えた聖書の言葉をおじいちゃんに教えて、とても気に入っていた言葉があります。
「受けるより与えるほうが幸いである。」
晩年はよくこと言葉を口にしていたなぁ~。パパはそれをまっとうした人だと思います。
私たちもそんな毎日を送っていきたいです。
新しい環境はとても不安もありますが、きっと素敵な出会いも待っています。
そして、今まで出会えた人たちとこれからも繋がっていけます。
JRから菜の花のきれいな杵築を見ながら、明日旅立ちます。
ほんとうにほんとうに、ありがとう。
この言葉以外はみつかりません。 みなさん、だいすきです。
「ありがとう。」