昨晩の焼肉で、


「明日は三人でどこかに行こうよ」となって、
「福井のゆりを見にこう」と推薦がありまして、
今日、福井のゆりの里公園ユリーム春江に行って来ました。

ゆりねぇ・・・、

まぁ綺麗といえば綺麗、
それなりといえば、それなり・・・。

福井方面に行くのならオイラには途中寄りたかった場所がありました。
先日、富山の岩瀬浜にある北前船の廻船問屋の凄いお宅を訪れました。
ならば石川県の方でも北前船豪商宅を訪れてみたいと、やって来たのは加賀の橋立です。

ここはかって日本一の富豪村と言われた場所なんだって、

こちらに入ります。

北前船の里資料館。
ここは旧北前船主、酒谷長兵衛のお宅だったところ。

当然、凄い造りでありまして、

多くの貴重な品や、

めずらしいモノが残っており、

こういう点では岩瀬浜の豪商宅と

似たような感じです。

それにしてもこのお宅、

迷路のようで面白かったです。

天皇陛下も皇太子時代に来館されていました。

それではかって日本一の富豪村を散策してみます。




福井の笏谷石(しゃくだにいし)を存分に使った石垣。

なかなか興味深い集落ですね。

次に行きたいのは奥の細道関連の大聖寺にあるお寺ですが、
その前に海岸へ、


加佐ノ岬です。
カミさんが来たこと無いと言うので、やって来ました。

晴天だったら、もっと美しいのだけどね。
あれ、カメラマンの人達が何か撮ってるぞ?

おぉ、岬の眼前にある切り立った島の上に鳥の巣があって親鳥がいます。トンビかな?

さてオイラは以前より松尾芭蕉「奥の細道」に興味があって、いつか東北の足跡地を巡ってみたいと思っているのですが、
今はそんな時間もないので、せめて県内の芭蕉が訪れた地を訪問したいと思っていました。
そんな地の一つが大聖寺の全昌寺というお寺です。

奥の細道にて、

一章設けられています。

さて入りましょう。

むむ、拝観料は500円か、

ということで、カミさんと娘は
「ウチらいいわ~」
と車で待機することになりました。
ここは芭蕉と曽良のゆかりの地で有名だけど、五百羅漢像でも知られています。

ど~ん!

凄い迫力です。

168番に、169番と、
ちなみに最初の第1番はこちらの像です。

さて奥の細道については、芭蕉も曽良もここで一句詠んでいます。

それまでずっと随行していた曽良が病気療養の為、山中温泉で芭蕉と別れました。
先に立った曽良が、ここ全昌寺に宿泊します。
曽良:「夜宵秋風聞くやうらの山(よもすがら あきかぜきくや うらのやま)」
【意味】一晩中、眠れず寺の裏山に吹いている秋風の音を聞いていると、師匠(芭蕉)と別れた寂しさが身に染みてくる。
あれが全昌寺のうら山です。

翌日に芭蕉も全昌寺に到着、
前日に曽良が泊まったことを知り「一夜の隔て、千里に同じ」と文章をつづっています。
その芭蕉が翌朝に出立しようとするも、全昌寺の若い僧たちが紙やすずりを抱えて句を乞うてくるので、
草鞋を履いたまま、
芭蕉:「庭掃きて出ばや寺に散柳(にわはきて いでばやてらに ちるやなぎ)」と詠んで寺を出たといいます。
【意味】今朝は、柳の葉がはらはらと散り落ちる。一宿のご恩返しに庭を掃除して出かけようと落葉を一掃き掃き清めてゆくとしよう。
その柳はこれかな、

実際は、芭蕉は掃除はしていないようですが・・・、

芭蕉や曽良がここに泊まったんだと思うと、なんだかロマンを感じます。
このあと近くにある、

蘇梁館へ、

橋立から移築したと書いてあります。
立派なお庭です。

さてこのあと車は福井へ向かい、オイラは越前そばとソースかつ丼を食べてから、

ゆりを見に行きました。



「明日は三人でどこかに行こうよ」となって、
「福井のゆりを見にこう」と推薦がありまして、
今日、福井のゆりの里公園ユリーム春江に行って来ました。

ゆりねぇ・・・、


まぁ綺麗といえば綺麗、
それなりといえば、それなり・・・。


福井方面に行くのならオイラには途中寄りたかった場所がありました。

先日、富山の岩瀬浜にある北前船の廻船問屋の凄いお宅を訪れました。
ならば石川県の方でも北前船豪商宅を訪れてみたいと、やって来たのは加賀の橋立です。

ここはかって日本一の富豪村と言われた場所なんだって、


こちらに入ります。

北前船の里資料館。
ここは旧北前船主、酒谷長兵衛のお宅だったところ。

当然、凄い造りでありまして、

多くの貴重な品や、

めずらしいモノが残っており、

こういう点では岩瀬浜の豪商宅と

似たような感じです。

それにしてもこのお宅、

迷路のようで面白かったです。

天皇陛下も皇太子時代に来館されていました。

それではかって日本一の富豪村を散策してみます。




福井の笏谷石(しゃくだにいし)を存分に使った石垣。

なかなか興味深い集落ですね。

次に行きたいのは奥の細道関連の大聖寺にあるお寺ですが、
その前に海岸へ、



加佐ノ岬です。
カミさんが来たこと無いと言うので、やって来ました。

晴天だったら、もっと美しいのだけどね。
あれ、カメラマンの人達が何か撮ってるぞ?


おぉ、岬の眼前にある切り立った島の上に鳥の巣があって親鳥がいます。トンビかな?

さてオイラは以前より松尾芭蕉「奥の細道」に興味があって、いつか東北の足跡地を巡ってみたいと思っているのですが、
今はそんな時間もないので、せめて県内の芭蕉が訪れた地を訪問したいと思っていました。
そんな地の一つが大聖寺の全昌寺というお寺です。

奥の細道にて、

一章設けられています。

さて入りましょう。

むむ、拝観料は500円か、


ということで、カミさんと娘は
「ウチらいいわ~」

ここは芭蕉と曽良のゆかりの地で有名だけど、五百羅漢像でも知られています。

ど~ん!


凄い迫力です。

168番に、169番と、
ちなみに最初の第1番はこちらの像です。

さて奥の細道については、芭蕉も曽良もここで一句詠んでいます。

それまでずっと随行していた曽良が病気療養の為、山中温泉で芭蕉と別れました。
先に立った曽良が、ここ全昌寺に宿泊します。
曽良:「夜宵秋風聞くやうらの山(よもすがら あきかぜきくや うらのやま)」
【意味】一晩中、眠れず寺の裏山に吹いている秋風の音を聞いていると、師匠(芭蕉)と別れた寂しさが身に染みてくる。
あれが全昌寺のうら山です。

翌日に芭蕉も全昌寺に到着、
前日に曽良が泊まったことを知り「一夜の隔て、千里に同じ」と文章をつづっています。
その芭蕉が翌朝に出立しようとするも、全昌寺の若い僧たちが紙やすずりを抱えて句を乞うてくるので、
草鞋を履いたまま、
芭蕉:「庭掃きて出ばや寺に散柳(にわはきて いでばやてらに ちるやなぎ)」と詠んで寺を出たといいます。
【意味】今朝は、柳の葉がはらはらと散り落ちる。一宿のご恩返しに庭を掃除して出かけようと落葉を一掃き掃き清めてゆくとしよう。
その柳はこれかな、

実際は、芭蕉は掃除はしていないようですが・・・、


芭蕉や曽良がここに泊まったんだと思うと、なんだかロマンを感じます。

このあと近くにある、

蘇梁館へ、

橋立から移築したと書いてあります。
立派なお庭です。

さてこのあと車は福井へ向かい、オイラは越前そばとソースかつ丼を食べてから、

ゆりを見に行きました。

