てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#439(小立野寺院群いし曳の道編)

2023年01月22日 15時38分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
年末年始で食べ過ぎたうえに運動不足が続いているし、
今日は朝からイマイチ天気ではあるが、少し歩きたいなとカミさんと出掛けたのです。

以前観光案内所から貰ってきた金沢の3つの寺院群パンフ。


ずいぶん前に卯辰山寺院群「心の道」は歩いたことがあります。⇒ブラオイラ#106

今回は小立野寺院群「いし曳の道」を歩いてみたいと思います。


大乗寺坂から、


小立野台地の麓の縁を沿うように、


本行寺がありました。

久能山 日蓮宗 本行寺:1617年本行院日海が創建、ちなみに日海は日本初の棋聖本因坊(本因坊算砂)なんだって。
三代藩主前田利常に三年間囲碁の指南をしたとのこと、いきなりすごいお寺の存在を知ることになりました。

お寺だけでなく興味深いモノは撮っていこう、
パシャ


パシャ


パシャ


しばらく歩くと、


唯念寺。

松岡山 真宗大谷派 唯念寺:1597年寂善法師により創建。途中で転派したお寺と考えられる。

面白い坂道があります。


嫁坂、小立野台地に上がります。


眺めがいいね。


小雨が降って寒い一日ですが、歩いていると暖かくなります。


台地の崖の縁にある、


棟岳寺へ、

宝林山 曹洞宗 棟岳寺:1492年越前南条郡領主・赤座長秋が父母供養のために建立。
日本最初のオランダ医学の先駆者、吉田長寂なのど墓所もある。

ここからの眺めもいいね。





おっ


これは立派なしだれ桜があります。


ここは慶恩寺、

加須良山 真宗大谷派 慶恩寺:1491年創建と伝えられている。
春にもう一度来てみたいな。

この付近には、
法隆山 曹洞宗 真行寺と


戸室山 真宗大谷派 圓證寺や、


桂山 真宗大谷派 願成寺があります。




小立野通りに出ます。


いし曳(いしびき)とは、
金沢城築城の際に戸室山から石垣の石をこの道を引いたことによります。


通りを渡ると、旧町名継承碑があり、下百々女木町(しもどどめきまち)と書いてあります。


台地の北側からずんずん下ります。


台地の壁を見るとずい分下りてきたと実感できます。


源太郎川で削られたのか、谷が深く感じます。


このあたり木曽坂と呼ばれ、


信州の木曽山中のような幽邃な所なのでそう呼ばれたとあります。


なかなか雰囲気のあるエリアです。


台地北側でもあり日差しが制限されるのか残雪もありました。


安楽寺があり、

法真山 浄土宗 安楽寺:1602年開山、作家中野重治が下宿し著書「歌のわかれ」を書いた。

雲龍寺があり、

高嶽山曹洞宗雲龍寺:1511年創建、御本尊は華厳釈迦である。

松山寺がある。

円通山 曹洞宗 松山寺:1599年加賀八家の横山長知が丹波国の円通寺の融山を招いて開山した。

小立野台地の北側の代表的な坂、八坂。


ここは上らず、


そのまま兼六園下へ向かいます。


白鳥路にある金沢三文豪の像。

向かって左より、泉鏡花、室生犀星、徳田秋声。

結構雨に降られたので、


持参したパンフが濡れてボロボロになっちった。


最後に(パンフより)、
金沢を並行して流れる犀川と浅野川、金沢城はこの2つの川を天然の外堀とした小立野台地の先端に築かれた。その際、戸室山から切り出した石垣を運んだのが「いし曳の道」である。
一帯は起伏に富んだ地形で坂道が多く、いまも風情豊かな町並みを残している。
1616年ころ、金沢城の防備や寺社の管理、一向宗対策として城下に散在していた寺社を3か所に移転・配置したのが金沢三寺院群。
北東の「卯辰山寺院群」、南東の「小立野寺院群」、南西の「寺町寺院群」、それぞれに趣のある3つの寺のまちを歩けば、知らなかった金沢が見えてくる。

春になったら寺町寺院群「静音の小径」を歩いてみたいな。
コメント
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