和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:子罕第九 〔20〕 之に語げて惰らざる者は、其れ回か


論語を現代語訳してみました。



子罕 第九

《原文》
子曰、語之而不惰者、其回也與。

《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、之〔これ〕に語〔つ〕げて惰〔おこた〕らざる者は、其〔そ〕れ回〔かい〕か。 




《現代語訳》


孔先生はまた、次のように仰られました。


このたとえ話をして、その内容(=孔子の本音)を理解し、実践して怠らないのは、おそらくは顔回だけだろうな、と。


〈つづく〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

この語句をもって前述の『一簣を覆えして進むと雖も、吾が往くなり』の中の孔子の本音というものを、理解してくれるのは顔回だけだろう、とする思いが伝わってきます。

また、子貢にして『一を聞いて以て十を知る』といわしめた顔回。そんな顔回というのは、孔子すらも及ばないほどに、純粋で謙虚深く、そして仁愛に満ちていた人物だったことも伝わってきますが、しかしながら、他の弟子も顔回と同様に、孔子の本音を見抜いていたからこそ、この語句がいまもなお語り継がれているのだと思います。



※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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