中島みゆき劇場版ライヴ・ヒストリーの予告公開、「糸」「時代」など歌唱シーンをダイジェストで
12/13(月) 21:32配信
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「中島みゆき 劇場版 ライヴ・ヒストリー 2007-2016歌旅~縁会~一会」フライヤー (c)2022 YAMAHA MUSIC ENTERTAINMENT HOLDINGS, INC.
1月21日に劇場公開される中島みゆきのライブ作品第10弾「中島みゆき 劇場版 ライヴ・ヒストリー 2007-2016歌旅~縁会~一会」の予告映像がYouTubeで公開された。 【動画】【1/21(金)全国公開】中島みゆき 劇場版 ライヴ・ヒストリー 2007-2016 歌旅~縁会~一会(他2件) 本作は中島みゆきが2007年から2016年までに行い、その後映像化された「中島みゆきLIVE『歌旅劇場版』」「中島みゆき『縁会2012~3 劇場版』」「中島みゆきConcert『一会(いちえ)』2015~2016 劇場版」の3作品からセレクトした15曲を、5.1chサラウンドで上映するというもの。予告映像ではこの中から「糸」「ファイト!」「地上の星」「空と君のあいだに」「時代」などの一部歌唱シーンがダイジェストで楽しめる。 なお「中島みゆき 劇場版 ライヴ・ヒストリー 2007-2016歌旅~縁会~一会」は1月21日より東京・新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国の映画館で公開される。 ■ 上映セットリスト ・糸 ・宙 船(そらふね) ・ファイト! ・誕生 ・地上の星 ・空と君のあいだに ・時代 ・倒木の敗者復活戦 ・世情 ・ヘッドライト・テールライト ・旅人のうた ・命の別名 ・麦の唄 ・浅い眠り ・ジョークにしないか
婚約から11年後に結婚式を挙げたカップル、3日後に末期がんの妻が旅立つ(英)
12/13(月) 21:00配信
結婚式を先延ばしにしていたカップル、ホスピスで式を挙げる(画像は『Ben Cooper 2021年11月18日付Twitter「I finally married the love of my life on Wednesday.」』のスクリーンショット)
2010年の婚約から11年が経った今年11月、イギリス在住のあるカップルがようやく結婚式を挙げた。5年前に乳がんの治療を終えた女性だったが昨年に再発、このほど余命わずかと診断されたため急遽ホスピスで式を執り行ったそうだ。その写真をTwitterで公開したところ2人を祝福する温かいメッセージが多く寄せられたが、女性は結婚式の3日後に息を引き取ったという。『The Mirror』『Daily Mail Online』などが伝えている。
英シュロップシャーのニューポートで暮らすベン・クーパーさん(Ben Cooper、34)とジェンさん(Jen、43)は婚約から11年が経った今年11月17日、テルフォードにある「セバーン・ホスピス(Severn Hospice)」で結婚式を挙げた。
2人は2010年に婚約したにもかかわらず、仕事や家庭の事情で結婚式を延期し続けていた。それでも11月27日に式を予定していたが、がんを患うジェンさんが余命わずかと診断されたため急遽、病室で執り行うことにしたという。
ベンさんは結婚式当日のことをこのように振り返った。
「式に参加したのは私たちとジェンのお母さん、立会人の2人だけでしたが、完璧で素晴らしいものでした。式までの間、看護師はジェンのベッドからドレスが見えるようにかけておいてくれて。当日そのウェディングドレスを着たジェンのためにボン・ジョヴィの曲を演奏し、みんなでシャンパンを飲みました。子供たちは参加することはできませんでしたが、家に帰って式のことを話すととても喜んでくれました。」
その翌日、結婚式の写真をTwitterに公開したベンさんは「水曜日についに最愛の人と結婚しました。予定していた日ではありませんでしたが素晴らしかったです。この結婚が年単位で続くものではないことに心を痛めています。物事を先延ばしにせず、愛する人たちに今、愛していると伝えてください」と綴っていた。
そして結婚式から3日後の11月20日、眠るように息を引き取ったというジェンさん。その最期の瞬間をベンさんはこう明かしている。
「その時流れていた映画がちょうど終わって、私は場の空気を変えようと『ジェンが最期に観る映画が「ビッグママ・ハウス(Big Momma’s House)」だ
なんて信じられない』とジョークを言って看護師と笑いました。それから彼女の手を握りながら愛していると伝え、子供たちもジェンのことを愛していると伝えて。そのあと彼女の胸が動いていないことに気づき、看護師が死亡を確認しました。ジェンが最後に聞いた言葉は『愛している』だったのか、それとも私のくだらないジョークだったのか…どちらにしても彼女は幸せだったと思います。その後も友人が迎えに来てくれるまで彼女のそばで手を握って話しかけていました。そして最後にキスをして『おやすみ』と声をかけて子供たちのところに帰りました。」
愛する人を亡くし悲しみに暮れるベンさん一家だったが、嬉しいことがひとつだけあったそうだ。
「今回の結婚式の費用のために仲間たちがクラウドファンディングサイト『Just Giving』で寄付を募ってくれたり、今後の生活を支えるための基金を開設してくれたおかげで、もともと結婚式を予定していた11月27日には子供たちのために盛大な誕生日パーティーを開くことができました。我が家にはジェンと前夫の間に生まれた2人、私たち夫婦の間に生まれた3人の合計5人の子供がいます。特別な日を楽しく過ごすにはどうすればいいか、私ひとりでは見当がつきませんでした」と語るベンさんは、この寄付のおかげで母親のいない初めての誕生日やクリスマスも楽しく過ごすことができると感謝していた。
なおこのニュースについて、ネット上ではベンさん一家を励ます次のようなコメントが多数寄せられている。
「彼らが特別な日を楽しむことができたことをとても嬉しく思います。これからも家族にたくさんの幸せが訪れますように。」
「子供たちのことを思うと涙が出ます。ママがいつも見守っていてくれるでしょう。」
「本当に気の毒。特に子供たちはとても辛いことでしょう。家族に笑顔が戻ることを祈っています。」
「この悲しい時に神のご加護がありますように。」
「彼女が安らかに眠れますように。子供たちが元気に笑って過ごせますように。」
「子供たちのことを思うと涙が出ます。ママがいつも見守っていてくれるでしょう。」
「本当に気の毒。特に子供たちはとても辛いことでしょう。家族に笑顔が戻ることを祈っています。」
「この悲しい時に神のご加護がありますように。」
「彼女が安らかに眠れますように。子供たちが元気に笑って過ごせますように。」
画像は『Ben Cooper 2021年11月18日付Twitter「I finally married the love of my life on Wednesday.」』『The Mirror 2021年12月9日付「Couple who put wedding off for 11 years finally get hitched - 3 days before bride dies」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 上川華子)
(TechinsightJapan編集部 上川華子)
「自然に体が」脳腫瘍から復活…元阪神外野手が振り返る“奇跡のバックホーム”
12/13(月) 19:04配信
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ボールも観客席も「二重に見えていた」
元阪神・横田慎太郎さん【写真:本人提供】
元阪神外野手、横田慎太郎さん。左打ちのスラッガーで将来の中軸打者として期待されていたが、脳腫瘍を患い、2019年にプロ6年目・24歳にして現役引退を余儀なくされた。しかし、引退試合では“奇跡のバックホーム”で走者を刺し、野球ファンの目にその雄姿を焼き付けた。昨年9月、腫瘍が脊髄に転移していたことが判明。再び試練にさらされながら乗り越え、現在は講演活動などに取り組む。横田さん本人に、2年前の奇跡の瞬間を振り返ってもらった。 【実際の写真】2017年、抗がん剤と放射線による治療など壮絶だった闘病生活 2019年9月26日、阪神の2軍本拠地・鳴尾浜球場で行われたウエスタン・リーグのソフトバンク戦には、大勢のファンや、この日試合のなかった1軍のチームメートたちが足を運んでいた。誰もが横田さんにとって3年ぶりの実戦出場、そして現役最後の試合となることを知っていた。 2017年3月に18時間に及ぶ開頭手術を受けた。その後抗がん剤と放射線による壮絶な治療、リハビリを経て、ようやく漕ぎつけた実戦復帰。とはいえ、この時点でも横田さんの視界は後遺症のため、満足に野球ができる状態ではなかった。 「センターの守備位置から見ていると、フライが上がった瞬間にボールが消え、落ちてくる時に現れるけれど、そのボールが二重に見えました。観客席も上下二重に見えていました」。練習を再開した当初は戸惑いしかなかった。「凄く怖くて、何度かボールが顔に当たりそうになりましたが、数をこなしていくうちに少しずつ慣れました」と振り返る。ノックに参加できるようにはなったが、実戦形式の練習で打席に立つことは危険と判断され、最後まで禁じられたままだった。 2-1とリードして迎えた8回の守備。2死二塁のピンチを迎えたところで、横田さんは平田勝男2軍監督からセンターの守備に就くことを命じられた。「実は試合前には、9回の守備にだけ就くことになっていたのですが、突然ピンチになって、平田監督からキャッチボールをしろと言われてびっくりしました」。全力疾走でセンターの定位置に到着し、もう1度驚いた。「3年ぶりにセンターから見た球場の景色はもの凄くきれいで、こんなにきれいだったかなって……。初めて見るような景色で、絶対に何かやってやるぞ、という気持ちになりました」
平田2軍監督は号泣、そして鳥谷から掛けられた言葉
最初の打者のソフトバンク・市川友也捕手が放った打球は、横田さんの頭上を越えるセンターオーバーの同点二塁打。必死にボールを拾い、中継の内野手へ返球する。ここで二塁走者として代走・水谷瞬外野手が起用された。 続く塚田正義外野手の打球も、痛烈なライナーとなってセンター正面を襲う。ただでさえ中堅手にとって正面のライナーは、距離感をつかみにくい。この時の横田さんの状態では、エラーするか、打った瞬間に大事を取って後ろへ下がるはずの打球だった。ところが、「まるで誰かに押されたかのように背中が前へ出ました」。横田さんは両方の手のひらを前へかざして回想する。 二塁走者の水谷は三塁を蹴って本塁へ突入。ワンバウンドでボールを捕った横田さんは思い切り左腕を振り、絶妙のノーバウンド送球となって捕手のミットに吸い込まれていった。タッチアウト。「ファンの皆さんが物凄く喜んでくれていて、内野手の皆さんがガッツポーズしていて、それでアウトだと気づきました」と横田さん。「病気になってからノーバウンド送球はしたことがなかった。これは自分の力ではないと感じました。自然に体が動いた、本当に不思議な瞬間でした」と今も夢見心地で振り返る。 ベンチで出迎えた平田2軍監督の頬は涙で濡れていた。興奮したままベンチ裏のロッカールームへ向かった横田さんの背中に、球場を訪れていた1軍選手の鳥谷敬内野手(翌2020年からロッテへ移籍、今季限りで現役引退)が手を置いて語りかけた。「野球の神様は、本当にいるな」。その瞬間、横田さんの両目から「ぼわーっと」涙があふれてきた。「絶対にグラウンドに戻るという目標を、見失わずにやってきてよかったと思いました」 あれから2年が過ぎた。現在は故郷の鹿児島県を拠点に、リモートを含めた講演活動、YouTubeなどを通して自身の貴重な体験を語っている。児童養護施設で講演した後には、子どもたちから「僕には目標が何もなかったのですが、講演を聞いて自分にできることは何かを考えられるようになりました」「小さい目標を立てながら頑張っていけそうです」といった手紙が届いた。「目標を立てて入院生活を過ごした経験は、決して無駄ではなかった」と横田さん。“奇跡の男”は穏やかな笑顔を浮かべている。