おはようございます。
エルです。
昨日の記事はちょっと言葉が足りなかったなあとモヤモヤしてしまったので
再度挑戦!
「私なんかどーせ幸せにしかなれないし」
この部分ですね。
幸せにサスティナビリティはあるのか?
あるんじゃない?
形は変わっていくかも知れないけど
日々、色々なちょっとした事に幸せを感じるなら
そうした日々が続けば
幸せは持続可能である、ということにならないだろうか。
生きているものは絶えず変わっていくわけで、生の無いものでさえ風化する。
そういう意味では永遠は無い。
永遠はあくまでも心のなか。
切り取られた記憶のなか。
もともと柔に出来ていた私のハートは
職場でのいじめ(無視)でズタボロ。
これが時間がかかって、15年以上(時々寛解しては再発)薬のお世話になっています。
胃潰瘍も併発しちゃって、退社。
それ以降は正社員歴もあるにはあるけど1年くらいしか持たなかった。
反省ばかりしてると辛いのでその辺は割愛。
だけども、親の脛があったもので生活は出来た。
友人がいたので、孤独も免れた。
それを幸せと言わなかったら罰があたるというもの。
どうしても「タラレバ」妄想は襲ってくるし、同い年の友人を羨んだりしちゃうけど(もうすぐ定年で親方日の丸で後の悠々ライフ良いな、とかね)
でもとりあえず生きてるじゃん!
雨が降って靴のなかに水が入って「うええ」となっても、虹が出るかもしれない。
その時にきっと感動してしまうんだから、幸せなんだと思う。
寝る前に、呪文のように(笑)
今日も有り難うございます!明日も宜しくでーす。と感謝。
なんだろう、子どもの頃から家に仏壇があって、毎朝起きたら拝んでいたからか、感謝は息をする如く。
だってバイクでトラックにぶつかったり、自転車で車に巻き込まれたり
それで怪我が無かったのだから、
神様、ご先祖様、アタクシのファン(?)に感謝なんです。
普通に日々は辛いよ?なんせしょっちゅう風邪気味だし、頭痛持ち出し。
でも、それとは別に幸せなんだなあ。
もう、お布団に入るだけで「あったかいんだからぁ~」。
ああ、あまり纏められなかったかな。
今日の良いこと・明日から休日。枕元に未読の本。まもなく予約していた漫画も届く。これは至福。
皆様に幸運を!