あれからだいたい一ヶ月が過ぎた。そろそろつぶやこう。
世の中は不思議がいっぱいだ。
改めて実感した出来事。
とあるプールのタダ券があるから、ということで、友人とプールへ行った。
いざ、と更衣室へ。
ロッカーはお金が返却されないコインロッカー。
・・・ここが運の悪かったところだった。
鍵は僕がかけ、しばしの間水遊びを楽しんだ。
プールでの楽しかった思い出、などなどは割愛。
さて、いい加減帰ろうか、ということになり、更衣室へ戻った。
ロッカーを開けると、
中身が違った。
混乱した。「2ねん3くみ なかばやしけんた」と書いてあったかどうかは分からないが、そう書いてあってもおかしくないようなものがこの立方体の小さな世界に広がっていた。
もう一度考えてみた。
「プールへきた」→「荷物をロッカーに預けた」→「鍵を閉めた」→「お金は戻ってこないのかよ。けちだな。」→「水着のお姉さんがたくさんいた」→「なんかビデオカメラを片手にしているおじさんも近くにいた」→「おじさんのフットワークが妙にいいのに感心した」→「プールを出た」→「帰り支度をしよう」→「ロッカーを開けた」→「なかばやしけんた」
もう一度混乱した。
なんであんなにおじさんのフットワークがよかったのだろう。
おっと、違う。
なんで「なかばやしけんた」なんだ。
おじさんが軽快なフットワークを披露している間に、一体何が起きたんだろう。
これはおじさんの陰謀に違いない。
ああ、混乱している。
おじさんが軽快なフットワークだからといっておじさんを疑うだなんて、僕はどうかしている。
そもそも、おじさんが軽快なフットワークをしているということは、いいことではないか。休日に家でごろごろして、「あんた、休みの日ぐらい云々」「休みの日ぐらいゆっくりさせろ云々」などという定番な場面が展開されているよりずっといい。
ああ、軽快なフットワークのおじさん万歳。
ああ、混乱している。
落ち着いて考えてみたが、やはり理解できない。
なんで僕らの荷物が「なかばやしけんた」にならなきゃいけないんだ。
幼き日に退行した、といっても限度がある。というか人違いだ。
ふと、その隣の,鍵が開いているロッカーを開けてみた。
そこには、見覚えのある財布があった。
それを筆頭に、僕らの荷物がそこにあった。
ますますわけがわからない。
荷物をつめて、戸を閉めて、そして鍵をかけて・・・この一連の動作「戸を閉めて」と「そして鍵をかけて」の間に、「となりのロッカーに移動して」がどういうわけか紛れ込んでいた、ということになる。
「なかばやしけんた」の方は想像がつく。
プールで遊ぶお金をおこづかいの中からひねり出し、うきうき気分でプールにやってきた「なかばやしけんた」くん。
「でも、おかしいなあ。ロッカーくんが「おかねをはらわないとにもつをあずかってやんないよ」とひねくれているよ。
いっしょうけんめいプールにいくおかねをためたぼくは、ロッカーくんにあげるおかねがありませんでした。だから、ロッカーくんにはおかねをあげずに、かぎをしめないできがえをおいたんだよ。」
という、小学生の夏休みの宿題「絵日記」に今日の出来事としてこんなことを書いていそうな「なかばやしけんた」くん。
・・いやはや、不幸中の幸いであった。
結果的に鍵をかけずに貴重品をおきざりにした自分。へたをすれば友人の貴重品まで盗難にあっていたかもしれないのだ。
そして「なかばやしけんた」くんがとてもプール好きの少年で助かった。
もし彼の方が先にプールを出ていたら・・
「あれ、おかしいなあ。ロッカーくんがおくちをあけてくれないんだ。ぼくのきがえがロッカーくんにとられちゃった。どうしよう。」
という日記が追加され、夏休み終了後、その宿題を受け取った先生は、日記の感想に「それはひどいことをされたね。ロッカーくんがいじわるな人にいたずらされちゃったんだね。」と書いたに違いない。
いや、待てよ。もしかしたら
「かかりのおにいさんにたすけてもらおうとしているあいだに、いつのまにかロッカーくんはおくちをあけていたよ。」
となっているかもしれない・・・。
また、もし、ロッカーに荷物を入れていたのが、「なかばやしけんたくん」ならぬ、「きあいのはいったおにいさん」だったら、日記に
「今日プールでブイブイいわしてきたらよぉ、どっかのクソヤロウがよぉ、俺っちのロッカーによぉ、鍵かけてトンズラこきやがってよぉ、マジチョベリバだぜ。ぶっ殺す」
などと書いていたに違いない。ああ恐ろしや。
ともかく、「なかばやしけんた」(仮名)くん、そして僕の友人にはすまないことをした。
もはやなんでこんなことになってしまったか、それは当時の自分でも、一月たって振り返った現在の自分でも分からない。
ただ、言える事がある。
「世の中は不思議でいっぱいだ。」
「自分」という、自分に最も身近な存在がこの世で一番わからない。自分探しはまだまだ続く。
追伸
この後、その友人と銭湯に行ったのだが、そこで僕はロッカーの鍵を紛失した。
もう一度言おう。
「世の中は不思議でいっぱいだ。」
世の中は不思議がいっぱいだ。
改めて実感した出来事。
とあるプールのタダ券があるから、ということで、友人とプールへ行った。
いざ、と更衣室へ。
ロッカーはお金が返却されないコインロッカー。
・・・ここが運の悪かったところだった。
鍵は僕がかけ、しばしの間水遊びを楽しんだ。
プールでの楽しかった思い出、などなどは割愛。
さて、いい加減帰ろうか、ということになり、更衣室へ戻った。
ロッカーを開けると、
中身が違った。
混乱した。「2ねん3くみ なかばやしけんた」と書いてあったかどうかは分からないが、そう書いてあってもおかしくないようなものがこの立方体の小さな世界に広がっていた。
もう一度考えてみた。
「プールへきた」→「荷物をロッカーに預けた」→「鍵を閉めた」→「お金は戻ってこないのかよ。けちだな。」→「水着のお姉さんがたくさんいた」→「なんかビデオカメラを片手にしているおじさんも近くにいた」→「おじさんのフットワークが妙にいいのに感心した」→「プールを出た」→「帰り支度をしよう」→「ロッカーを開けた」→「なかばやしけんた」
もう一度混乱した。
なんであんなにおじさんのフットワークがよかったのだろう。
おっと、違う。
なんで「なかばやしけんた」なんだ。
おじさんが軽快なフットワークを披露している間に、一体何が起きたんだろう。
これはおじさんの陰謀に違いない。
ああ、混乱している。
おじさんが軽快なフットワークだからといっておじさんを疑うだなんて、僕はどうかしている。
そもそも、おじさんが軽快なフットワークをしているということは、いいことではないか。休日に家でごろごろして、「あんた、休みの日ぐらい云々」「休みの日ぐらいゆっくりさせろ云々」などという定番な場面が展開されているよりずっといい。
ああ、軽快なフットワークのおじさん万歳。
ああ、混乱している。
落ち着いて考えてみたが、やはり理解できない。
なんで僕らの荷物が「なかばやしけんた」にならなきゃいけないんだ。
幼き日に退行した、といっても限度がある。というか人違いだ。
ふと、その隣の,鍵が開いているロッカーを開けてみた。
そこには、見覚えのある財布があった。
それを筆頭に、僕らの荷物がそこにあった。
ますますわけがわからない。
荷物をつめて、戸を閉めて、そして鍵をかけて・・・この一連の動作「戸を閉めて」と「そして鍵をかけて」の間に、「となりのロッカーに移動して」がどういうわけか紛れ込んでいた、ということになる。
「なかばやしけんた」の方は想像がつく。
プールで遊ぶお金をおこづかいの中からひねり出し、うきうき気分でプールにやってきた「なかばやしけんた」くん。
「でも、おかしいなあ。ロッカーくんが「おかねをはらわないとにもつをあずかってやんないよ」とひねくれているよ。
いっしょうけんめいプールにいくおかねをためたぼくは、ロッカーくんにあげるおかねがありませんでした。だから、ロッカーくんにはおかねをあげずに、かぎをしめないできがえをおいたんだよ。」
という、小学生の夏休みの宿題「絵日記」に今日の出来事としてこんなことを書いていそうな「なかばやしけんた」くん。
・・いやはや、不幸中の幸いであった。
結果的に鍵をかけずに貴重品をおきざりにした自分。へたをすれば友人の貴重品まで盗難にあっていたかもしれないのだ。
そして「なかばやしけんた」くんがとてもプール好きの少年で助かった。
もし彼の方が先にプールを出ていたら・・
「あれ、おかしいなあ。ロッカーくんがおくちをあけてくれないんだ。ぼくのきがえがロッカーくんにとられちゃった。どうしよう。」
という日記が追加され、夏休み終了後、その宿題を受け取った先生は、日記の感想に「それはひどいことをされたね。ロッカーくんがいじわるな人にいたずらされちゃったんだね。」と書いたに違いない。
いや、待てよ。もしかしたら
「かかりのおにいさんにたすけてもらおうとしているあいだに、いつのまにかロッカーくんはおくちをあけていたよ。」
となっているかもしれない・・・。
また、もし、ロッカーに荷物を入れていたのが、「なかばやしけんたくん」ならぬ、「きあいのはいったおにいさん」だったら、日記に
「今日プールでブイブイいわしてきたらよぉ、どっかのクソヤロウがよぉ、俺っちのロッカーによぉ、鍵かけてトンズラこきやがってよぉ、マジチョベリバだぜ。ぶっ殺す」
などと書いていたに違いない。ああ恐ろしや。
ともかく、「なかばやしけんた」(仮名)くん、そして僕の友人にはすまないことをした。
もはやなんでこんなことになってしまったか、それは当時の自分でも、一月たって振り返った現在の自分でも分からない。
ただ、言える事がある。
「世の中は不思議でいっぱいだ。」
「自分」という、自分に最も身近な存在がこの世で一番わからない。自分探しはまだまだ続く。
追伸
この後、その友人と銭湯に行ったのだが、そこで僕はロッカーの鍵を紛失した。
もう一度言おう。
「世の中は不思議でいっぱいだ。」