スッキリと気持ちが切り替えられればと、部屋の物の整理整頓をしてみました。
あれこれひっくり返したら、震災の次の日の新聞が出てきました。
新聞の一面は
「東北で震度7」

私が住む地域は、震度6強でしたが、近所のお家の屋根瓦が飛んできて、窓ガラスが割れ、テレビや電子レンジも飛んでしまうほど大きな地震でした。
新聞には、当時の仙台市青葉区のバス停の写真と仙台空港の写真が載っていて、
バス停の写真は、見たことがある風景でした。
それは、先月2度ほど
仙台を訪ねたからです。
仙台を訪ねるきっかけになったのは、
ソチオリンピックの羽生選手のインタビューで
「被災地を忘れないで欲しい」
と言う一声でした。
確かに、今では震災直後の食料品、生活用品、ガソリン、灯油など、生活必需品が足りないと言う事もなくなり、普通の生活が送れるようになりました。
しかし、被災地に出向いてみると、仙台市街地は被災された形跡もないほど、復興されている様子でしたが、郊外にはまだまだ支援が必要な場所が沢山あるのだと実感しました。
更に新聞の記事を見たことで、震災があった事実を風化させてはいけないと改めて思いました。
この新聞は、震災を忘れていけない事実として残しておきたいと思います。
あれこれひっくり返したら、震災の次の日の新聞が出てきました。
新聞の一面は
「東北で震度7」

私が住む地域は、震度6強でしたが、近所のお家の屋根瓦が飛んできて、窓ガラスが割れ、テレビや電子レンジも飛んでしまうほど大きな地震でした。
新聞には、当時の仙台市青葉区のバス停の写真と仙台空港の写真が載っていて、
バス停の写真は、見たことがある風景でした。
それは、先月2度ほど
仙台を訪ねたからです。
仙台を訪ねるきっかけになったのは、
ソチオリンピックの羽生選手のインタビューで
「被災地を忘れないで欲しい」
と言う一声でした。
確かに、今では震災直後の食料品、生活用品、ガソリン、灯油など、生活必需品が足りないと言う事もなくなり、普通の生活が送れるようになりました。
しかし、被災地に出向いてみると、仙台市街地は被災された形跡もないほど、復興されている様子でしたが、郊外にはまだまだ支援が必要な場所が沢山あるのだと実感しました。
更に新聞の記事を見たことで、震災があった事実を風化させてはいけないと改めて思いました。
この新聞は、震災を忘れていけない事実として残しておきたいと思います。