荒川静香さんが女の子を出産「娘の良き理解者に」
06年トリノ五輪金メダリストで、プロフィギュアスケーターの荒川静香さん(32)が
6日に第一子となる長女を出産したことを12日、発表した。
予定日よりも早い出産となったが、母子ともに産後の経過も順調だという。
荒川さんは報道各社へのリリースで
「11月6日に2860グラムの元気な女の子が誕生しました」と報告した。
無事に初産を終え、「初めての経験に喜びや期待、不安や戸惑うこともありましたが、
生まれてきた我が子が、ぎゅっと手を握ってくれた時には、安堵と、
言葉にできない感動を味わいました」と喜びを表現している。
今後へ向けて「新しい人生をスタートさせた娘の、人生のサポーターであり、
良き理解者となれるよう、娘からたくさんのことを学びながら、
母として愛情を持って精一杯向き合って参りたいと思います」と、
ママとしての決意をつづった。
荒川さんは昨年12月に外科医の男性と結婚した。
荒川静香さん、ご出産おめでとうございます。
赤ちゃん、可愛いでしょうね。
荒川静香さんのスケートを生で観たのは、4月の代々木のSOIの時。
荒川さんの優雅で美しいスケーティングは、
金メダリストならではの貫禄が見受けられました。
その数日後、妊娠を発表。
SOIの時にも、ジャンプやスピン、イナバウアーなど
妊娠初期にも関わらず、あれだけの演技をされた
プロ根性に頭が下がります。
母子共に産後の経過も順調で良かったです。
荒川静香さんは羽生結弦選手の尊敬する大先輩。
また、沢山の共通点もあります。
同じ仙台市出身で、同じスケートリンクで練習。
出身高校、大学も同じ。
そして、お二人の共通点のイナバウアー。
羽生選手のイナバウアーは、
荒川静香さんへの【感謝】と【尊敬】を込めて滑っていると。
それは、羽生選手の練習するスケートリンクが
経営難により閉鎖された頃。
荒川静香さんが金メダルを取り、仙台のスケートリンクの
厳しい現実を世界に伝えました。
この言葉で、宮城県と仙台市が動いて、
総額一億円の支援が決定。
翌年の2007年、スケートリンクがオープンしました。
スケートリンクが再開され、羽生選手も練習が出来るようになりました。
【荒川静香さんが金メダルを取ってくれたから、僕はスケートを続けられる】
しかし、2011年3月11日。
東日本大震災により、再びスケートリンクが閉鎖。
羽生選手は【もうスケートが出来ないんじゃないか】と
思いました。
この時にも、羽生選手を救ったのは荒川静香さんでした。
真っ先に、被災地の復興支援を呼びかけ、チャリティー公演を開催。
金メダリストの演技が、観客に夢を与えます。
そして、その姿が羽生選手にとって、大きな道標となったのです。
【いつか荒川さんのように、夢を与えられる支援をしてみせる】
【荒川静香さんがいたからこそ、僕は今ここにいる】
羽生選手を含め、これから未来のある選手の力になった荒川静香さん。
今度は素敵なママを目指して頑張って下さいね。
※画像はお借りしました。
06年トリノ五輪金メダリストで、プロフィギュアスケーターの荒川静香さん(32)が
6日に第一子となる長女を出産したことを12日、発表した。
予定日よりも早い出産となったが、母子ともに産後の経過も順調だという。
荒川さんは報道各社へのリリースで
「11月6日に2860グラムの元気な女の子が誕生しました」と報告した。
無事に初産を終え、「初めての経験に喜びや期待、不安や戸惑うこともありましたが、
生まれてきた我が子が、ぎゅっと手を握ってくれた時には、安堵と、
言葉にできない感動を味わいました」と喜びを表現している。
今後へ向けて「新しい人生をスタートさせた娘の、人生のサポーターであり、
良き理解者となれるよう、娘からたくさんのことを学びながら、
母として愛情を持って精一杯向き合って参りたいと思います」と、
ママとしての決意をつづった。
荒川さんは昨年12月に外科医の男性と結婚した。
荒川静香さん、ご出産おめでとうございます。
赤ちゃん、可愛いでしょうね。
荒川静香さんのスケートを生で観たのは、4月の代々木のSOIの時。
荒川さんの優雅で美しいスケーティングは、
金メダリストならではの貫禄が見受けられました。
その数日後、妊娠を発表。
SOIの時にも、ジャンプやスピン、イナバウアーなど
妊娠初期にも関わらず、あれだけの演技をされた
プロ根性に頭が下がります。
母子共に産後の経過も順調で良かったです。
荒川静香さんは羽生結弦選手の尊敬する大先輩。
また、沢山の共通点もあります。
同じ仙台市出身で、同じスケートリンクで練習。
出身高校、大学も同じ。
そして、お二人の共通点のイナバウアー。
羽生選手のイナバウアーは、
荒川静香さんへの【感謝】と【尊敬】を込めて滑っていると。
それは、羽生選手の練習するスケートリンクが
経営難により閉鎖された頃。
荒川静香さんが金メダルを取り、仙台のスケートリンクの
厳しい現実を世界に伝えました。
この言葉で、宮城県と仙台市が動いて、
総額一億円の支援が決定。
翌年の2007年、スケートリンクがオープンしました。
スケートリンクが再開され、羽生選手も練習が出来るようになりました。
【荒川静香さんが金メダルを取ってくれたから、僕はスケートを続けられる】
しかし、2011年3月11日。
東日本大震災により、再びスケートリンクが閉鎖。
羽生選手は【もうスケートが出来ないんじゃないか】と
思いました。
この時にも、羽生選手を救ったのは荒川静香さんでした。
真っ先に、被災地の復興支援を呼びかけ、チャリティー公演を開催。
金メダリストの演技が、観客に夢を与えます。
そして、その姿が羽生選手にとって、大きな道標となったのです。
【いつか荒川さんのように、夢を与えられる支援をしてみせる】
【荒川静香さんがいたからこそ、僕は今ここにいる】
羽生選手を含め、これから未来のある選手の力になった荒川静香さん。
今度は素敵なママを目指して頑張って下さいね。
※画像はお借りしました。