海の風景 風の景色

坊主兼主婦の雑日記です。

浜島浦周辺・・・

2006-12-05 22:47:10 | 海の風景~写真集~(伊勢志摩)

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 浜島の港から撮った写真です。
 地元の方は、この浦を「那都可志浦」と呼んで親しんでいるそうです。
 那都可志社の祭神で龍の化身である豊玉姫命は、自らの正体を隠し、彦火火出命とこの浜島の辺で暮らしていました。ですが、出産のときにその正体を見られ、恥ずかしさの余り、いとまごいをして竜宮に帰る事となってしまったのです。豊玉姫命は、楽しい日々を過ごしたこの浜島浦を懐かしみ、泣きながら「ああ懐かしや、懐かしや」と言って別れを惜しんだという事です。
 この伝説に因んだものが、その「那都可志浦」の名前の由来となっています。
 その時、豊玉姫が流した涙は真珠となり、海にこぼれ落ちたたそうです。そのせいか、この浦で獲れる真珠は特に質が良いと言われているようです。かの真珠王、御木本幸吉が真珠造りの基地として選んだ場所が、この那都可志浦と聞けば、そんな伝説も、まんざら神話だけの世界ではないと感じられるのではないでしょうか。
 本当に綺麗な海です。
 矢取島の全景です。
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 ちなみに、豊玉姫命は、かつてご紹介した相差の石神さまのご神体、神武天皇の母の玉依姫命(たまよりひめのみこと。海神(わだつみ)の娘)の姉になるそうです。
 志摩の海は、このような神話伝説がよく似合います。



浜島からの朝陽・・・

2006-12-05 14:49:48 | 朝陽の風景~写真集~
 英虞湾を望む、浜島町大矢の浜。
 夜は「なぶら」に宿泊し、朝6時に起きて、ここへ朝陽を撮りに行ってきました。
 位置的に言えば、いつも訪れているともやま公園の丁度向かい辺りになるんでしょうね。矢取島の灯台を望み、その向こうに見えるのが英虞湾です。
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 どのように太陽が昇ってくるかは分からなかったのですが、誰もいない浜の遊歩道に陣取り、ひたすら日の出を待ちました。すると、ちょうど矢取島と、その近くにあった岩(小矢取島?)の間から太陽が顔を出してくれました。
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 もう少し位置が左だったら、丁度島と島の真ん中から顔を覗かせる朝日が見れたでしょう。ちょっと頑張って、歩き過ぎましたね。
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 お店へ帰る時も、ずっと太陽が追いかけてきます。どこで撮っても、海の朝陽の風景は様になります。
 この写真に写っている矢取島には、色々な伝説が残っています。豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が別れ別れになる夫と子供への思いを矢文に託し、この島に放ったことからこの名前がついた、とか、昔、大矢高円と言う侍が対岸の御座に住んでいた頃、嵐に逢い、食料に難渋していた神功皇后を助けるために、浜島目掛けて矢文を放ったところ、海上に落ちた矢が流れ付いたのがこの島であった為、矢取り島と名付けられた・・・など。色々です。
 その向かいにある岩は「小矢取島」です。神話伝説によると、彦火火出見命と豊玉姫が矢取り島で結ばれ、隣の小さな島で身篭もったということから、「子宿り」変じて「小矢取り島」と呼ばれることになったとも言われているそうです。その為か、何時の頃からか、この島を訪れると子供が宿ると言う言い伝えが広がり、子供に恵まれない夫婦や、大島と小島が夫婦のように寄り添って立つその姿から、夫婦円満を願う家族が密かに参拝しているのが見受けられるようになったそうです。
 雑賀ですか?実は、この後半の部分の言い伝えは撮影時には知らなかったので、お参りしてきませんでした。今度訪れた時は、是非参拝してきたいと思います。
 この矢取島へは、歩いて渡れます。「なぶら」から浜へ行く途中の「流木のオブジェ」のある所を左折すると、御座半島を右手に眺めつつ、矢取島へと辿り着く事が出来ます。
 良かったら、この英虞湾に立つ、伝説の島を訪れてみませんか?朝陽がとても美しく、きっとご夫婦の愛も深まると思いますよ。
 ちなみに、朝陽スポットとしてはあまり知られていないようです。この日、朝陽を撮っていたのは私だけでした。おそらく、穴場だと思います・・・・・・多分。