浜島の港から撮った写真です。
地元の方は、この浦を「那都可志浦」と呼んで親しんでいるそうです。
那都可志社の祭神で龍の化身である豊玉姫命は、自らの正体を隠し、彦火火出命とこの浜島の辺で暮らしていました。ですが、出産のときにその正体を見られ、恥ずかしさの余り、いとまごいをして竜宮に帰る事となってしまったのです。豊玉姫命は、楽しい日々を過ごしたこの浜島浦を懐かしみ、泣きながら「ああ懐かしや、懐かしや」と言って別れを惜しんだという事です。
この伝説に因んだものが、その「那都可志浦」の名前の由来となっています。
その時、豊玉姫が流した涙は真珠となり、海にこぼれ落ちたたそうです。そのせいか、この浦で獲れる真珠は特に質が良いと言われているようです。かの真珠王、御木本幸吉が真珠造りの基地として選んだ場所が、この那都可志浦と聞けば、そんな伝説も、まんざら神話だけの世界ではないと感じられるのではないでしょうか。
本当に綺麗な海です。
矢取島の全景です。
ちなみに、豊玉姫命は、かつてご紹介した相差の石神さまのご神体、神武天皇の母の玉依姫命(たまよりひめのみこと。海神(わだつみ)の娘)の姉になるそうです。
志摩の海は、このような神話伝説がよく似合います。
英虞湾を望む、浜島町大矢の浜。
夜は「なぶら」に宿泊し、朝6時に起きて、ここへ朝陽を撮りに行ってきました。
位置的に言えば、いつも訪れているともやま公園の丁度向かい辺りになるんでしょうね。矢取島の灯台を望み、その向こうに見えるのが英虞湾です。
どのように太陽が昇ってくるかは分からなかったのですが、誰もいない浜の遊歩道に陣取り、ひたすら日の出を待ちました。すると、ちょうど矢取島と、その近くにあった岩(小矢取島?)の間から太陽が顔を出してくれました。
もう少し位置が左だったら、丁度島と島の真ん中から顔を覗かせる朝日が見れたでしょう。ちょっと頑張って、歩き過ぎましたね。
お店へ帰る時も、ずっと太陽が追いかけてきます。どこで撮っても、海の朝陽の風景は様になります。
この写真に写っている矢取島には、色々な伝説が残っています。豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が別れ別れになる夫と子供への思いを矢文に託し、この島に放ったことからこの名前がついた、とか、昔、大矢高円と言う侍が対岸の御座に住んでいた頃、嵐に逢い、食料に難渋していた神功皇后を助けるために、浜島目掛けて矢文を放ったところ、海上に落ちた矢が流れ付いたのがこの島であった為、矢取り島と名付けられた・・・など。色々です。
その向かいにある岩は「小矢取島」です。神話伝説によると、彦火火出見命と豊玉姫が矢取り島で結ばれ、隣の小さな島で身篭もったということから、「子宿り」変じて「小矢取り島」と呼ばれることになったとも言われているそうです。その為か、何時の頃からか、この島を訪れると子供が宿ると言う言い伝えが広がり、子供に恵まれない夫婦や、大島と小島が夫婦のように寄り添って立つその姿から、夫婦円満を願う家族が密かに参拝しているのが見受けられるようになったそうです。
雑賀ですか?実は、この後半の部分の言い伝えは撮影時には知らなかったので、お参りしてきませんでした。今度訪れた時は、是非参拝してきたいと思います。
この矢取島へは、歩いて渡れます。「なぶら」から浜へ行く途中の「流木のオブジェ」のある所を左折すると、御座半島を右手に眺めつつ、矢取島へと辿り着く事が出来ます。
良かったら、この英虞湾に立つ、伝説の島を訪れてみませんか?朝陽がとても美しく、きっとご夫婦の愛も深まると思いますよ。
ちなみに、朝陽スポットとしてはあまり知られていないようです。この日、朝陽を撮っていたのは私だけでした。おそらく、穴場だと思います・・・・・・多分。
夜は「なぶら」に宿泊し、朝6時に起きて、ここへ朝陽を撮りに行ってきました。
位置的に言えば、いつも訪れているともやま公園の丁度向かい辺りになるんでしょうね。矢取島の灯台を望み、その向こうに見えるのが英虞湾です。
どのように太陽が昇ってくるかは分からなかったのですが、誰もいない浜の遊歩道に陣取り、ひたすら日の出を待ちました。すると、ちょうど矢取島と、その近くにあった岩(小矢取島?)の間から太陽が顔を出してくれました。
もう少し位置が左だったら、丁度島と島の真ん中から顔を覗かせる朝日が見れたでしょう。ちょっと頑張って、歩き過ぎましたね。
お店へ帰る時も、ずっと太陽が追いかけてきます。どこで撮っても、海の朝陽の風景は様になります。
この写真に写っている矢取島には、色々な伝説が残っています。豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が別れ別れになる夫と子供への思いを矢文に託し、この島に放ったことからこの名前がついた、とか、昔、大矢高円と言う侍が対岸の御座に住んでいた頃、嵐に逢い、食料に難渋していた神功皇后を助けるために、浜島目掛けて矢文を放ったところ、海上に落ちた矢が流れ付いたのがこの島であった為、矢取り島と名付けられた・・・など。色々です。
その向かいにある岩は「小矢取島」です。神話伝説によると、彦火火出見命と豊玉姫が矢取り島で結ばれ、隣の小さな島で身篭もったということから、「子宿り」変じて「小矢取り島」と呼ばれることになったとも言われているそうです。その為か、何時の頃からか、この島を訪れると子供が宿ると言う言い伝えが広がり、子供に恵まれない夫婦や、大島と小島が夫婦のように寄り添って立つその姿から、夫婦円満を願う家族が密かに参拝しているのが見受けられるようになったそうです。
雑賀ですか?実は、この後半の部分の言い伝えは撮影時には知らなかったので、お参りしてきませんでした。今度訪れた時は、是非参拝してきたいと思います。
この矢取島へは、歩いて渡れます。「なぶら」から浜へ行く途中の「流木のオブジェ」のある所を左折すると、御座半島を右手に眺めつつ、矢取島へと辿り着く事が出来ます。
良かったら、この英虞湾に立つ、伝説の島を訪れてみませんか?朝陽がとても美しく、きっとご夫婦の愛も深まると思いますよ。
ちなみに、朝陽スポットとしてはあまり知られていないようです。この日、朝陽を撮っていたのは私だけでした。おそらく、穴場だと思います・・・・・・多分。
旅館に泊まって、色々ご馳走を食べて・・・っていうと、結構な金額を請求されてしまいませんか?
今回志摩を訪れたのは、英虞湾からの朝日を撮るという事が目的。急に決まった旅行だったので、私達夫婦の希望は「いっぱい美味しい物を食べて、安く泊まりたい!」という事。
そこで見つけたのが、「なぶら」というお店。
磯料理を食べさせてくれるお店なのですが、何と、一日一組を限定に宿泊もさせてくれるというお店なのです!偶然インターネットで見つけたのですが、目指す浜島の海岸にも近く、これはもうここへ泊まるしかないでしょう!・・・という事で、行ってきました。
場所は、「浜島町磯体験施設 海ほうずき」のど真ん前。
周辺には港と、海洋センター、三重県栽培漁業センターなどの施設が多く、寒い冬のせいか人通りもなく閑散としてました。でも、娘と散歩するには絶好の場所です♪
そんでもって、料理もこれがまた最高でした!
伊勢海老から始まり、お刺身の盛り合わせ、煮魚定食、海鮮丼、伊勢海老の味噌汁、ふぐの天ぷら、天巻き、牡蠣フライ・・・(食べ過ぎかっ!?)
どれも、最高に美味しかったです。お酒が進む!進む!
しかも、このままお店で泊まれるので、飲酒運転の心配なし!もう、思う存分海の幸とアルコールを堪能しました。
「なぶら」(魚の群れという意味だそうです)は、ぶっきらぼうなご主人(海の男って感じでした~)と優しそうな奥さんで営んでいるお店。そんなに大きくはありませんが、とっても美味しいお店でした。しかも、食事に来ていたお客さんがとても優しい方で、娘もご満悦のご様子。ここを選んで、本当に良かったと思いました。
宿泊所は、居酒屋の2階。宴会にも使われる場所らしく、どど~んと広い和室にたった三つだけお布団を敷いて頂いての宿泊です。(何て贅沢!!)何だか、田舎の実家へ帰って来た・・・という感じの宿泊となりました。宿泊は、店内で飲食すると一人2000円で泊まらせてくれます。(安い!しかも娘は無料でした)外出自由、バストイレ完備。アメニティグッズやタオル、パジャマは全て持参(真冬だと毛布一枚くらい持っていった方が無難かも~)ですが、とにかく安いので、これからも撮影の拠点に利用させて頂きたいと思います♪
夜は、とにかく静かな場所でした。近くに、夜遅くまで経営してる酒屋があって、お菓子も買えたりするので、そんなに不自由は感じませんでした。何より、海に近い!!これ、最高の立地条件です。お勧めのお店です♪
今回志摩を訪れたのは、英虞湾からの朝日を撮るという事が目的。急に決まった旅行だったので、私達夫婦の希望は「いっぱい美味しい物を食べて、安く泊まりたい!」という事。
そこで見つけたのが、「なぶら」というお店。
磯料理を食べさせてくれるお店なのですが、何と、一日一組を限定に宿泊もさせてくれるというお店なのです!偶然インターネットで見つけたのですが、目指す浜島の海岸にも近く、これはもうここへ泊まるしかないでしょう!・・・という事で、行ってきました。
場所は、「浜島町磯体験施設 海ほうずき」のど真ん前。
周辺には港と、海洋センター、三重県栽培漁業センターなどの施設が多く、寒い冬のせいか人通りもなく閑散としてました。でも、娘と散歩するには絶好の場所です♪
そんでもって、料理もこれがまた最高でした!
伊勢海老から始まり、お刺身の盛り合わせ、煮魚定食、海鮮丼、伊勢海老の味噌汁、ふぐの天ぷら、天巻き、牡蠣フライ・・・(食べ過ぎかっ!?)
どれも、最高に美味しかったです。お酒が進む!進む!
しかも、このままお店で泊まれるので、飲酒運転の心配なし!もう、思う存分海の幸とアルコールを堪能しました。
「なぶら」(魚の群れという意味だそうです)は、ぶっきらぼうなご主人(海の男って感じでした~)と優しそうな奥さんで営んでいるお店。そんなに大きくはありませんが、とっても美味しいお店でした。しかも、食事に来ていたお客さんがとても優しい方で、娘もご満悦のご様子。ここを選んで、本当に良かったと思いました。
宿泊所は、居酒屋の2階。宴会にも使われる場所らしく、どど~んと広い和室にたった三つだけお布団を敷いて頂いての宿泊です。(何て贅沢!!)何だか、田舎の実家へ帰って来た・・・という感じの宿泊となりました。宿泊は、店内で飲食すると一人2000円で泊まらせてくれます。(安い!しかも娘は無料でした)外出自由、バストイレ完備。アメニティグッズやタオル、パジャマは全て持参(真冬だと毛布一枚くらい持っていった方が無難かも~)ですが、とにかく安いので、これからも撮影の拠点に利用させて頂きたいと思います♪
夜は、とにかく静かな場所でした。近くに、夜遅くまで経営してる酒屋があって、お菓子も買えたりするので、そんなに不自由は感じませんでした。何より、海に近い!!これ、最高の立地条件です。お勧めのお店です♪
「磯料理 なぶら」
三重県志摩市浜島町浜島
0599-53-2388
定休日 毎週木曜日
営業時間 昼 11時半~13時
夜 17時~22時
三重県志摩市浜島町浜島
0599-53-2388
定休日 毎週木曜日
営業時間 昼 11時半~13時
夜 17時~22時
志摩に「越賀」という地区があるのをご存知でしょうか?
かつてここは、北畠家の家臣であった越賀隼人(佐治隆俊)の居城があった所です。現在も、その砦跡が残る、歴史深い、この越賀地区。今回は、そこへ夕焼けを撮りに行ってきました。
越賀出身の人物として、唯一歴史に名を残した武将、越賀隼人。
かつては志摩地頭十三人衆として名を馳せた彼ですが、九鬼嘉隆の攻撃を受け、降伏。九鬼家の家臣となってしまいます。
穏やかな海に見えますが、かつてはこの海を巡って、醜い争いが絶えなかった志摩の海―――この場所を今回の撮影場所に選んだのは、天気が良い日には、ここから尾鷲の方まで見渡せるという情報を仕入れたからです。
ですが、生憎の雲で、はっきりとは見えませんでした。
後でニュースで聞いたのですが、日本海側では雪が降っているそうですね。寒い筈です。
また、天気の良い時に写真を撮りに来たいですね。
かつてここは、北畠家の家臣であった越賀隼人(佐治隆俊)の居城があった所です。現在も、その砦跡が残る、歴史深い、この越賀地区。今回は、そこへ夕焼けを撮りに行ってきました。
越賀出身の人物として、唯一歴史に名を残した武将、越賀隼人。
かつては志摩地頭十三人衆として名を馳せた彼ですが、九鬼嘉隆の攻撃を受け、降伏。九鬼家の家臣となってしまいます。
穏やかな海に見えますが、かつてはこの海を巡って、醜い争いが絶えなかった志摩の海―――この場所を今回の撮影場所に選んだのは、天気が良い日には、ここから尾鷲の方まで見渡せるという情報を仕入れたからです。
ですが、生憎の雲で、はっきりとは見えませんでした。
後でニュースで聞いたのですが、日本海側では雪が降っているそうですね。寒い筈です。
また、天気の良い時に写真を撮りに来たいですね。