善隣の道
2022-08-31 | 日記
私の母は、結婚する前は東京で暮らしていました。
当時としては最先端の洋服を着て、はやりの洋画をみて、英語の勉強をするようなハイカラさんでした。
その母が結婚して長男三歳の時、長崎の父の田舎に引っ越し、家業の手伝いをしながら
祖父母との同居が始まりました。
それは大変な生活だったようです。
そんな時、子宮の病がみつかり、この善隣教にご縁がありました。
当時は御神尊様ご存命の時、様々な事情を抱えた人が大勢導かれた時代でした。
私の母もその一人でした。
母は、当時の講習会に参加して、御神尊様のみ教えを拝聴して即決の救いを頂いたようです。
それ以来今日まで、健康で熱心な信徒でした。
この信仰は、ただ神様にすがれば助かるということではなく、
人間としての生き方を悟り、祈り、心の改善によって助かるという道です。
悟るということは簡単なことではありませんが、
私達信徒は御神尊様がご啓示を受けられた御教えを拝聴させて頂いています。
御神尊様のみ教えは数多く、万人に当てはまる真理です。
かといっても、中々御教えのようには生きるのは困難ではありますが、
日々の精進で、少しでも御教えを実行できるよう努めるのが信仰ではないでしょうか。
最近ある宗教団体のことで嫌なニュースが流れています。
一部の悪徳な宗教のせいで、本来の信仰の良さが、捻じ曲げられ
悪いイメージだけが残ってしまうのは本当に残念です。
善隣のみ教えは、簡単なようで、奥の深い話が多くあります。
これはみ教えではありませんが、
最近聞いたお話の中で、とても分かり易かった言葉があったので載せたいと思います。
事実は、目を開けて見よ
真実は、目を閉じて視よ
目には見えない真実の心は、見える世界だけでは分からないということです。
信仰は、見えない世界のことなので、難しいとは思いますが、
全ての人に心があり、その心を善なる方向で使っていきたいものです。
信仰心を磨き、今見えることだけで物事を判断せずに、
深く、広く、永く、悟りの眼で視る努力をしていきたいと思いました。
やります やります やります
当時としては最先端の洋服を着て、はやりの洋画をみて、英語の勉強をするようなハイカラさんでした。
その母が結婚して長男三歳の時、長崎の父の田舎に引っ越し、家業の手伝いをしながら
祖父母との同居が始まりました。
それは大変な生活だったようです。
そんな時、子宮の病がみつかり、この善隣教にご縁がありました。
当時は御神尊様ご存命の時、様々な事情を抱えた人が大勢導かれた時代でした。
私の母もその一人でした。
母は、当時の講習会に参加して、御神尊様のみ教えを拝聴して即決の救いを頂いたようです。
それ以来今日まで、健康で熱心な信徒でした。
この信仰は、ただ神様にすがれば助かるということではなく、
人間としての生き方を悟り、祈り、心の改善によって助かるという道です。
悟るということは簡単なことではありませんが、
私達信徒は御神尊様がご啓示を受けられた御教えを拝聴させて頂いています。
御神尊様のみ教えは数多く、万人に当てはまる真理です。
かといっても、中々御教えのようには生きるのは困難ではありますが、
日々の精進で、少しでも御教えを実行できるよう努めるのが信仰ではないでしょうか。
最近ある宗教団体のことで嫌なニュースが流れています。
一部の悪徳な宗教のせいで、本来の信仰の良さが、捻じ曲げられ
悪いイメージだけが残ってしまうのは本当に残念です。
善隣のみ教えは、簡単なようで、奥の深い話が多くあります。
これはみ教えではありませんが、
最近聞いたお話の中で、とても分かり易かった言葉があったので載せたいと思います。
事実は、目を開けて見よ
真実は、目を閉じて視よ
目には見えない真実の心は、見える世界だけでは分からないということです。
信仰は、見えない世界のことなので、難しいとは思いますが、
全ての人に心があり、その心を善なる方向で使っていきたいものです。
信仰心を磨き、今見えることだけで物事を判断せずに、
深く、広く、永く、悟りの眼で視る努力をしていきたいと思いました。
やります やります やります
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