キラリが書く小説。☆:・。*☆:・。*
話題のキラリちゃんの衝撃小説、
ご本人に承諾いただいてご紹介させていただきます。
転載
。☆:・。*☆:・。*。☆:・。*☆:・。*。☆:・。*☆:・。*
数あるブログの中から キラリのブログへお越しくださいまして
ありがとうございます
このブログは管理人のキラリが
幸福の科学に入信して20年
今年の2月に天上界に帰天した
キラリの実の父親との人生を振り返る物語です
幼い頃から確執のあった
キラリの実の父親との間にはさまざまなことがありました
母親の死 アルコール中毒 虐待 非行 宗教
借金 そして難病 15年にわたる介護・・・・
一見困難な人生と見られていた
キラリの諸問題は
幸福の科学の総裁 大川隆法先生
(主・エル・カンターレ)
の説く 仏法真理を学び・実践することによって
さなぎから蝶に美しく生まれ変わるように
素晴らしい人生を輝かせる経験に変わっていきます
すばらしい人生とは?
幸福とは?
家族とは?
そんな疑問がキラリのこの物語を読み進めて
いかれるうちに
キラキラとダイヤモンドのように
神様からのプレゼントのように
光り輝く人生にお役に立てましたら
こんなにうれしいことはありません
http://ameblo.jp/kirari1119jp/
。☆:・。*☆:・。*
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://ameblo.jp/kirari1119jp/entry-10950195527.html
第1話Theme: ブログ
お父さん 第1話
「 もっと おはぎ食わせろっっ!! 」
「 アカン! (。-`ω´-)
アンタこの間も
おはぎ食べ過ぎて 夜中胃が痛くなって
大騒ぎやったやろ!
施設の人言うてはったんやで!
もう 2個までにしとき!! 」
「 お前は親の言うことと
施設の人の言うことと
どっちを聞くんじゃ!! \(*`∧´)/ 」
「施設の人に
決まってるでしょーが!!(-""-;)
世の中
アンタ中心に回ってるじゃないんよっ!! 」
キラリと父は毎回こんなやりとりではじまります
キラリ・・・・39歳
大阪に住む普通の主婦です
7歳の男の子と1歳半の女の子の2児のママ
愛しいパパと4人家族です
キラリには父と名古屋にいる兄がいます
母はキラリが4歳の時に病死しました
母の記憶は断面的にはあるのは
ありますが
まぁ ほとんどありません
母が亡くなってから
キラリと小学校1年生の兄は
高知の室戸の父方の祖母の所に預けられました
まだ幼いキラリと兄を祖母が一人で
育ててくれたのは今思えば大変なことだったと思います
しかし 昔の考え方の人の祖母は男尊女卑がひどく
兄はすごく可愛がられていましたが
キラリは居場所はありませんでしたし
いつもフリフリスカートを履いていたキラリは
地元の同い年のジャージを着ている子達に
虐められ なかなかその土地に
馴染めませんでした
そして 兄はそのまま祖母と暮らしますけど
小学5年の頃に大阪にいる大好きな
父とキラリは一緒に住めるようになったのです
キラリは喜びました
これからは 大阪で素晴らしい生活が待っている
と胸躍り大阪の生活に憧れました
しかし キラリを待っていたのは
アルコール中毒に変わりはてた父でした・・・
そしてキラリが27の時
パパと結婚しましたが
その頃には父は58歳の若さで車椅子でした
結婚生活と同時に父の介護生活もスタートしました
過剰のアルコール摂取が原因で父の脳は麻痺し
言語障害に歩行障害
脳が痩せていく病気で 国が指定した難病でした
兄が父の家の家賃を払って
キラリが生活費を面倒を見て
食事や日常の世話もしていました
こう聞くと美談ですが
キラリは今までの恨みもあり
決して父に優しい娘ではありませんでした
一番辛かったのは
結婚して5年経って やっと授かった
息子のアキラが産まれて一ヶ月も
しない時に父が体調を崩し
総合病院で検査をしなければいけないと
言われた時でした
だっこ紐で産まれて数週間しか経っていない
息子を抱いて 父の車椅子を押すのは
とても大変で
3月のまだ寒い中
父を外の病院の玄関に車椅子で待たせたまま
キラリは車の中で息子におっぱいをあげていた時
こんなに小さくて外に出してしかも病院に
連れて来て 何か悪い菌に感染して
一生後悔するようなことになったらどうしようと
このまま父を置き去りにして
この子と家に帰りたい
と思って泣きました
あの時は本当に疲れていて
介護疲れで神経がおかしくなっていたと
思います
何十分も寒空の下
父を病院の玄関で待たせたこともありました
病気になった父の存在はキラリにとって
重荷でしかありませんでした
むしろ キラリがやっとつかんだ幸福を
父が邪魔しているように思えて
しかたがありませんでした
そんなキラリを支えてくれたのが
当時 幸福の科学に入信してした
キラリの信仰仲間のMさんでした
なぜ キラリが幸福の科学に
入信したかは後々書いていきますが
信仰仲間のMさんはキラリが一番辛い
時を支えてくださったうちの一人で
いつもMさんは
泣きながらキラリの今までのお父さんの
恨みを全部聞いてくださいます
そして
「人間は神様が決めた寿命があるの
それは 神様しかわからないのよ
でも 必ず人は死ぬわ
その時が来るまで キラリちゃんとお父さんが
和解するように 神様が時間をくれたのだと
思いなさい 」
とアドバイスもしてもらいました
そしてもう一人婦人のTさんはお姑さんと旦那さんの弟さんと
同時に二人介護され 最後看取られたすごい人です
あの時は髪の毛が全部抜けてしまうほど
大変だったと キラリに語ってくれました
そして こうも言ってくれました
「 親に感謝しなさいと言われるけど
無理に感謝しなくてもいいのよ
かたち (肉体)があるうちは感謝なんか
できるわけなくて
かたちが無くなってしまえば 自然と良い
思い出しか残らなくなるよ
Tさんや支部のみなさんのおかげで
キラリはお父さんに真理を伝えることができました
そしてそして昨年2月 2人目の子供
ヒカルを身ごもった頃
偶然施設に父が入居できるようになりました
施設に入居して介護をしなくてよくなって
キラリは大分楽になり
心にも余裕ができてきました
幸福の科学のボランティア活動もバリバリできるようになりました
そして 先日
幸福の科学特別祈願
「プレアデス・運命の輪をまわす祈り 」
を受けました
祈願の内容に まだ赤ちゃんの次女ヒカルが父を覚えて
おける年になるまで
あと2~3年は父を生かしてほしいと書きました
祈願のおかげか
その年は一度も風邪をひかない父にキラリは
プレアデスが守ってくださっていると
感謝していました
そして 冒頭の口喧嘩をして帰った夜・・・
もう寝ようといつものように
寝室で祈りを捧げていた時でした
「 ん? 」
フとキラリの回りの空気が変わりました
と思っていると キラリの携帯が鳴りました
施設の人でした
父が夕方から少し熱を出していて 今
意識が朦朧としているらしく
今から救急車で病院に行くから来てほしいと・・・・・
何度も入退院を繰り返していた父の
こんな電話はしょっちゅうです
「また 入院か~~~(~~_~~)
あした 大阪正心館で
ベガ・ヒーリング(病気平癒系の祈願)だな 」
とつぶやいて
もう寝ている子供達をパパに頼んで病院に向かいました
父の入院には もうキラリはずいぶん慣れっ子になっていました
しかし
その時は情況が違いました
病院の玄関で救急隊員が
キラリの到着を待ちわびていました
そしていつもの処置室ではなく
緊急手術室に通されました
鳴り響く心拍装置
バタバタ走りまわる 看護婦
酸素マスクの音
医者が寝かされている 父であろう体に
馬乗りになり 心臓マッサージをしています
「電気ショック! 」
医者が叫びます
バチンッ!
心拍停止してから30分経過
何が起こっているのか
ことの事態が飲み込めません
医者に呼び止められ
今までの経過を知らされます
今まで心臓マッサージをしていた汗だくの医者と
看護婦が父を囲み手をあわせます
「 2月3日 午前1時30分
ご臨終です 」
まさかの出来事でした・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続く☆
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お父さんNo2
http://ameblo.jp/kirari1119jp/entry-10952203289.html
(`・ω・´)