佐竹館長「魂の発展について」
2010.12.27
湯布院正心館 七の日感謝奉納式典
佐竹館長講話
魂の発展について
皆様、こんにちは。ようこそ、湯布院正心館においで頂きました。
本日は2010年度、最後の七の日でございます。
この尊い日を、ここ湯布院正心館におきまして相集うことができました
ことを、主に心より感謝申し上げます。
私たちは地上で実人生というものを歩んでいるわけでございます
けれども、仏教においては、釈尊は人生は苦であるとこのように
説かれました。
人生には多くの苦しみ悩みが出て参ります。それに対する救済
というものが必要になる。
ここに伝道の意義というものがあるのだということです。
自らの問題を解決しつつ、他の方の悩み・苦しみを解決することに
よって、ユートピアを創っていくという働きをしております。
そこで、この人生というものを考えるにあたりまして、人生を単に
この地上人生だけのことをいうのではなくて、永遠の人生という
考え方を致しますと、人生とは転生輪廻である、このような考え
方になります。
この世とあの世、実在世界からこの世に来、また戻るということを
繰り返している、これ自体が人生ではないか。
本当の人生はこちらだということになりますと、現在の今世というのは、
この一つの人生の中の一部ではありますけれども、すべてではない
とこのように言えるのではないかと思います。
そこで、今世魂修行の学校として地上に生まれて来ているわけです
けれども、ではなぜ人生とは苦なのか。それは、この苦しみに見える
ものをどう捉えるかという視点を変える必要があるということだ
と思います。
天上界からの目で見たならば、この世は仮の世であって、あの世が
実在の世界であったとしたら、実在の世界から見たらどう見えるか
というと、この地上に生まれるにあたって計画があったということだと
思います。
計画してのことであると。そして、この計画には、おおよそ計画と
いうレベルでは三つでございます。三つというのは何かというと、
本来私たちは天上界から生まれて参りますので、この地上の生活
が終わってまた戻って行く時に、一番目はまあ地獄に落ちなければ
いいやという程度の計画がございます。
二つ目は同じくらいの場所に戻りたいなという計画がございます。
三つ目がランクアップ、さらに霊格を上げたいという計画があるの
だということです。
計画レベルではこの三つでございます。でも、現実にはもう
一つ加わりまして、地獄に落ちるというのがありますから、
四つということになります。ただ地獄に落ちることを計画する
人はいないので、計画レベルでは三つなんです。
しかし、受験もそうですけれども、落ちることを目的として受験す
る人はいないけれども、現実には落ちることもあるのだということです。
しかし、これは計画ではない。この三つなんですけれども、
問題は最初の地獄に落ちなければいいなという程度だと、
当会に伝道されてある程度の仏法真理を知っていれば、何かかなり
メチャクチャな人生でもギリギリセーフという場合もありますね
。で、そこそこ自分の今の位置に戻るということも結構大変な
ことで、これでもかなりの苦難困難が待ち受けていると考えられます。
ただ最後のランクアップということになるとですね、これは
ちょっとかなり難しい。というのは、自己ベストを更新すると
いうことを意味しますので、その自己ベストもですね、
過去千年二千年とか一万年ぐらいの自己ベストを更新すると言って
いるのではなくて、永遠の生命の中で自己ベストを更新するという
ことを言っているわけです。
ですから、水泳だって競泳のタイムとしたら、過去1ヶ月の自己
ベストを更新するというのではなくて、今までの選手生活の中
での自己ベストを更新するということになると、そんなに甘いもの
ではないということが分かります。問題はですね、自己ベストを
更新しようと計画した場合、これは非常にハードなトレーニングに
なるので、苦難困難がやってくるということになると思います。
そして、自己ベストを更新するというところに魂の発展という
ものがあると。発展する以上、現在よりも更に向上したいと。
向上して発展。ですから、もし発展を目指しているのである
ならば、地上の実人生というのはちょっと大変なものになる
のではないでしょうかということになります。
何でこんなに次から次へと問題が起きるんだと。途中で愚痴
の一つも出てくるわ、嫌になるわ、文句も言うわ、人のせいに
もするわということになるんですけれども、その根本理由は、
ひょっとしたらあなた、自己ベストの更新を目指すという三番目
の人生計画を選択して来たんじゃないのかということになる
のではないかと思います。
今回、偉大なる主が降臨されておられます。我らが主は、
大宇宙の根本仏でございます。
それはこの度発刊されました『救世の法』第六章の中に
載っておりますように、この大宇宙の創造のエネルギーで
あると言われる以上、大宇宙を創造された方が今降りられ
ているということです。
その方のことを大宇宙の根本仏というのである。その方が
今地上に出られているということは、私たちの人生、この
永遠の転生輪廻の中においても最大の機会が訪れたと
いうことですから、我々としたらどんな計画を立てたのかなと。
しかも、過去仏法真理に縁ある者であるとすれば、当然張り
切ったに違いないと。張り切るに違いないと。それで、地獄へ
落ちない程度で満足するかと。そんなことはちょっとあり得
ないですね。
ここ一番の勝負ですから、オリンピックの出場権を与えられた
というようなことですから、そら自己ベスト更新したいと思うの
は当然ではないかとこう思うわけですね。
そうするとですね、おそらく自分の目的においても、最高の
レベルを目指そうと計画したのではないかと。また、使命に
おいても最大の使命を発揮しようと計画したのではないか
とこうなります。
ということになりますと、最高の目的を達しようとすると、
過去の転生輪廻の中で上手くいかなかった問題を、棚卸
ししにやって来てる可能性がありますね。
全部引っ張り出して一気にけりをつけるというような、
まぁ物凄い計画立てた可能性もありますし、使命において
はそれは伝道なんか、一万人であろうが二万人であろうが
十万人であろうが、どこかの国一国ぐらいやってやるぐらい
の計画立てたかも分かりませんね。
ここにロマンがあると思うんですよ。救世運動というのは、
無限の目標、永遠の目標に対して果敢にトライするところに
ロマンがあるのであって、目標数字が少なくなって喜ぶよう
なことじゃ話になりませんね。そんな水たまりをまたいで渡
れるような目標に、どこに人間が情熱を燃やすのか、どこに
ロマンがあるのか、あり得ませんね。
ですから、そのような使命に対する最大のものを願ってきたの
ではないかと思いますね。ですから、今世いろいろなことが
起きて、私の人生はなぜこれまで苦難困難なんだと。仏法真理に
基づいて三宝帰依したのにも関わらず、何でこんなに次から次
へと出てくるのかと言ったって、当たり前だというのが結論で
ございます。当然であろうと。
しかも、そこに苦難困難があるが故に、救世運動やっている
証拠なんだと。そういう魂なんだということになりますし、もし
そういうものがないのであるならば、それはもうすでにあなた
は目標クリアしたのであるということですね。
目標クリアしたということは、目標の設定点が低かったという
ことになります。永遠の目標を目指しているのならば、そんな
ことあり得ない。ですから、逆に苦難困難を望む必要はない
と思いますけれども、次から次へと出てくるんだったら喜べば
いいということになります。これはあの世の視点から見ると
そうなります。
かつて、主はこのように言われたことがあります。自分には
苦難困難があると。次から次へと出てくると。我が魂の兄弟
や守護霊は、それをどのように見ておられるのでしょうかと
、過去に質問した人がいるんですね。それに対する主のお
答えは、守護霊は喜んでいると。本当は一緒に共に嘆き悲
しみ、この苦しみに対して共有し泣いてくれているのかと思っ
てたらですね、いいトレーニングしていますって喜んでいます
というのが本来の筋であって、これがタラタラやっているので
あればですね、むしろ天上界としては、魂の兄弟としては、
悲しんでいるということですね。これが真実であるということ
だと思います。
では、なぜそのような計画を立てたのかと。通常だったら、
ぼろぼろになって廃人になろうかというような計画をなぜ
立てるのかと。そこに必要十分条件というのは満たされな
ければならないと思います。その十分条件とは、一体何か
というと、最強の信仰心を手に入れるためであると、これが
結論だと思いますね。
いろんなことがあって、魂を揺さぶられるものがあります。
自分自身の苦難困難、或いは政治的な問題、景気は
うまくいかなくなる、会社は潰れる。
いろんなことがありますが、本年度主からお教え頂いており
ますような仏宝護持研修、こういったもので魂が揺さぶられ
るものがあると。
その中にあって不動のものがあるかどうか。不動であるならば、
強い魂になって来ているということではないかとこのように思い
ます。ですから、今私たちが必要とされているものは最強の信仰。
過去の転生輪廻の中で、最強のものを、今私たちは得ようと
しているということではないかと思います。この大宇宙最強の
信仰を得て初めて、この人生というものは意味をなして参ります
し、それによってこの救世運動というのは一気に花開いてくる
のではないか。
この直前、この産みの苦しみというものが、今起きているので
はないかとこのように思います。
しかし、そのような人生を与えられたということ自体は、
やはり考えてみますと大いなる祝福の中にあるということだと
思いますので、今一度主に対する深い感謝を捧げなければ
ならないと思いますし、このような奇跡の瞬間に共にいると
いうことが、どれほどの喜びであるか考えてみる必要が
あると思います。
今、この場に転生できなかった人の目から見たらどうなのか
。或いはズレて転生する人から見たらどうなのか。或いは、
今私たち出ておりますけれども、私たちを送り出してくださっ
た魂の兄弟の目から見たらどのようなものなのかということ
を、視点を変えて考えてみる時に、主から頂いているご
慈悲の実体、その無限の慈悲というものが、少しずつ分
かってくるのではないかとこのように思います。
今年も年の瀬ではございますけれども、今一度来年に向けまして、
今年一年間主に賜りました大いなるご慈悲に対して祝福に
対して、感謝を捧げまして、また年末から来年に向けまして、
主のご期待に応えられるような信仰心を持ち、活動できる者
となって参りたいと思います。
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湯布院正心館 七の日感謝奉納式典
佐竹館長講話
魂の発展について
皆様、こんにちは。ようこそ、湯布院正心館においで頂きました。
本日は2010年度、最後の七の日でございます。
この尊い日を、ここ湯布院正心館におきまして相集うことができました
ことを、主に心より感謝申し上げます。
私たちは地上で実人生というものを歩んでいるわけでございます
けれども、仏教においては、釈尊は人生は苦であるとこのように
説かれました。
人生には多くの苦しみ悩みが出て参ります。それに対する救済
というものが必要になる。
ここに伝道の意義というものがあるのだということです。
自らの問題を解決しつつ、他の方の悩み・苦しみを解決することに
よって、ユートピアを創っていくという働きをしております。
そこで、この人生というものを考えるにあたりまして、人生を単に
この地上人生だけのことをいうのではなくて、永遠の人生という
考え方を致しますと、人生とは転生輪廻である、このような考え
方になります。
この世とあの世、実在世界からこの世に来、また戻るということを
繰り返している、これ自体が人生ではないか。
本当の人生はこちらだということになりますと、現在の今世というのは、
この一つの人生の中の一部ではありますけれども、すべてではない
とこのように言えるのではないかと思います。
そこで、今世魂修行の学校として地上に生まれて来ているわけです
けれども、ではなぜ人生とは苦なのか。それは、この苦しみに見える
ものをどう捉えるかという視点を変える必要があるということだ
と思います。
天上界からの目で見たならば、この世は仮の世であって、あの世が
実在の世界であったとしたら、実在の世界から見たらどう見えるか
というと、この地上に生まれるにあたって計画があったということだと
思います。
計画してのことであると。そして、この計画には、おおよそ計画と
いうレベルでは三つでございます。三つというのは何かというと、
本来私たちは天上界から生まれて参りますので、この地上の生活
が終わってまた戻って行く時に、一番目はまあ地獄に落ちなければ
いいやという程度の計画がございます。
二つ目は同じくらいの場所に戻りたいなという計画がございます。
三つ目がランクアップ、さらに霊格を上げたいという計画があるの
だということです。
計画レベルではこの三つでございます。でも、現実にはもう
一つ加わりまして、地獄に落ちるというのがありますから、
四つということになります。ただ地獄に落ちることを計画する
人はいないので、計画レベルでは三つなんです。
しかし、受験もそうですけれども、落ちることを目的として受験す
る人はいないけれども、現実には落ちることもあるのだということです。
しかし、これは計画ではない。この三つなんですけれども、
問題は最初の地獄に落ちなければいいなという程度だと、
当会に伝道されてある程度の仏法真理を知っていれば、何かかなり
メチャクチャな人生でもギリギリセーフという場合もありますね
。で、そこそこ自分の今の位置に戻るということも結構大変な
ことで、これでもかなりの苦難困難が待ち受けていると考えられます。
ただ最後のランクアップということになるとですね、これは
ちょっとかなり難しい。というのは、自己ベストを更新すると
いうことを意味しますので、その自己ベストもですね、
過去千年二千年とか一万年ぐらいの自己ベストを更新すると言って
いるのではなくて、永遠の生命の中で自己ベストを更新するという
ことを言っているわけです。
ですから、水泳だって競泳のタイムとしたら、過去1ヶ月の自己
ベストを更新するというのではなくて、今までの選手生活の中
での自己ベストを更新するということになると、そんなに甘いもの
ではないということが分かります。問題はですね、自己ベストを
更新しようと計画した場合、これは非常にハードなトレーニングに
なるので、苦難困難がやってくるということになると思います。
そして、自己ベストを更新するというところに魂の発展という
ものがあると。発展する以上、現在よりも更に向上したいと。
向上して発展。ですから、もし発展を目指しているのである
ならば、地上の実人生というのはちょっと大変なものになる
のではないでしょうかということになります。
何でこんなに次から次へと問題が起きるんだと。途中で愚痴
の一つも出てくるわ、嫌になるわ、文句も言うわ、人のせいに
もするわということになるんですけれども、その根本理由は、
ひょっとしたらあなた、自己ベストの更新を目指すという三番目
の人生計画を選択して来たんじゃないのかということになる
のではないかと思います。
今回、偉大なる主が降臨されておられます。我らが主は、
大宇宙の根本仏でございます。
それはこの度発刊されました『救世の法』第六章の中に
載っておりますように、この大宇宙の創造のエネルギーで
あると言われる以上、大宇宙を創造された方が今降りられ
ているということです。
その方のことを大宇宙の根本仏というのである。その方が
今地上に出られているということは、私たちの人生、この
永遠の転生輪廻の中においても最大の機会が訪れたと
いうことですから、我々としたらどんな計画を立てたのかなと。
しかも、過去仏法真理に縁ある者であるとすれば、当然張り
切ったに違いないと。張り切るに違いないと。それで、地獄へ
落ちない程度で満足するかと。そんなことはちょっとあり得
ないですね。
ここ一番の勝負ですから、オリンピックの出場権を与えられた
というようなことですから、そら自己ベスト更新したいと思うの
は当然ではないかとこう思うわけですね。
そうするとですね、おそらく自分の目的においても、最高の
レベルを目指そうと計画したのではないかと。また、使命に
おいても最大の使命を発揮しようと計画したのではないか
とこうなります。
ということになりますと、最高の目的を達しようとすると、
過去の転生輪廻の中で上手くいかなかった問題を、棚卸
ししにやって来てる可能性がありますね。
全部引っ張り出して一気にけりをつけるというような、
まぁ物凄い計画立てた可能性もありますし、使命において
はそれは伝道なんか、一万人であろうが二万人であろうが
十万人であろうが、どこかの国一国ぐらいやってやるぐらい
の計画立てたかも分かりませんね。
ここにロマンがあると思うんですよ。救世運動というのは、
無限の目標、永遠の目標に対して果敢にトライするところに
ロマンがあるのであって、目標数字が少なくなって喜ぶよう
なことじゃ話になりませんね。そんな水たまりをまたいで渡
れるような目標に、どこに人間が情熱を燃やすのか、どこに
ロマンがあるのか、あり得ませんね。
ですから、そのような使命に対する最大のものを願ってきたの
ではないかと思いますね。ですから、今世いろいろなことが
起きて、私の人生はなぜこれまで苦難困難なんだと。仏法真理に
基づいて三宝帰依したのにも関わらず、何でこんなに次から次
へと出てくるのかと言ったって、当たり前だというのが結論で
ございます。当然であろうと。
しかも、そこに苦難困難があるが故に、救世運動やっている
証拠なんだと。そういう魂なんだということになりますし、もし
そういうものがないのであるならば、それはもうすでにあなた
は目標クリアしたのであるということですね。
目標クリアしたということは、目標の設定点が低かったという
ことになります。永遠の目標を目指しているのならば、そんな
ことあり得ない。ですから、逆に苦難困難を望む必要はない
と思いますけれども、次から次へと出てくるんだったら喜べば
いいということになります。これはあの世の視点から見ると
そうなります。
かつて、主はこのように言われたことがあります。自分には
苦難困難があると。次から次へと出てくると。我が魂の兄弟
や守護霊は、それをどのように見ておられるのでしょうかと
、過去に質問した人がいるんですね。それに対する主のお
答えは、守護霊は喜んでいると。本当は一緒に共に嘆き悲
しみ、この苦しみに対して共有し泣いてくれているのかと思っ
てたらですね、いいトレーニングしていますって喜んでいます
というのが本来の筋であって、これがタラタラやっているので
あればですね、むしろ天上界としては、魂の兄弟としては、
悲しんでいるということですね。これが真実であるということ
だと思います。
では、なぜそのような計画を立てたのかと。通常だったら、
ぼろぼろになって廃人になろうかというような計画をなぜ
立てるのかと。そこに必要十分条件というのは満たされな
ければならないと思います。その十分条件とは、一体何か
というと、最強の信仰心を手に入れるためであると、これが
結論だと思いますね。
いろんなことがあって、魂を揺さぶられるものがあります。
自分自身の苦難困難、或いは政治的な問題、景気は
うまくいかなくなる、会社は潰れる。
いろんなことがありますが、本年度主からお教え頂いており
ますような仏宝護持研修、こういったもので魂が揺さぶられ
るものがあると。
その中にあって不動のものがあるかどうか。不動であるならば、
強い魂になって来ているということではないかとこのように思い
ます。ですから、今私たちが必要とされているものは最強の信仰。
過去の転生輪廻の中で、最強のものを、今私たちは得ようと
しているということではないかと思います。この大宇宙最強の
信仰を得て初めて、この人生というものは意味をなして参ります
し、それによってこの救世運動というのは一気に花開いてくる
のではないか。
この直前、この産みの苦しみというものが、今起きているので
はないかとこのように思います。
しかし、そのような人生を与えられたということ自体は、
やはり考えてみますと大いなる祝福の中にあるということだと
思いますので、今一度主に対する深い感謝を捧げなければ
ならないと思いますし、このような奇跡の瞬間に共にいると
いうことが、どれほどの喜びであるか考えてみる必要が
あると思います。
今、この場に転生できなかった人の目から見たらどうなのか
。或いはズレて転生する人から見たらどうなのか。或いは、
今私たち出ておりますけれども、私たちを送り出してくださっ
た魂の兄弟の目から見たらどのようなものなのかということ
を、視点を変えて考えてみる時に、主から頂いているご
慈悲の実体、その無限の慈悲というものが、少しずつ分
かってくるのではないかとこのように思います。
今年も年の瀬ではございますけれども、今一度来年に向けまして、
今年一年間主に賜りました大いなるご慈悲に対して祝福に
対して、感謝を捧げまして、また年末から来年に向けまして、
主のご期待に応えられるような信仰心を持ち、活動できる者
となって参りたいと思います。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/50/e656bc23200c6fac884708f6c9c6de4b.jpg)