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Civilizations and Impressions

文明と価値12(明治維新以降~東京時代の心性について)

2023-01-15 10:02:52 | 論文

 明治維新以降から現在までは東京時代※1と呼んでいいのではないかと思うが、黒船よりもさらに大きな外部力がかかってきた時代といっていいだろう。いずれもその中心にあったのは、アメリカ、イギリス※2だったであろう。また逆に日本から外部力が加えられたのは中国、朝鮮※3だったのかもしれない。東京時代についても、社会秩序における心性変動を考えていくことも必要かもしれないが、外部力(アメリカ、イギリス、朝鮮、中国、ロシア)の影響で大変複雑となり、その本質が逆に見えにくい※4ので、江戸時代(閉鎖モデル)によってシンプルな形で日本人の心性の特徴をとらえたところで、価値と内向型モデルについての考察はここでいったん終えることにする。

 

※1 東京時代

 東京時代は明治から現代にいたるまでの時代をいっている。この時代はまだ継続している。社会秩序でみていくと見た目では東京時代は二つに分かれるかもしれない。明治憲法時代と日本国憲法時代に分かれるからだ。社会秩序で見ていくと明治体制内で四区分、日本国憲法時代で四区分といったぐあいに機械的に区分するのは問題があるだろう。なぜなら日本の場合、第二次世界大戦における敗戦で半ば強制的に社会秩序が変更されたという経緯があるからだ。明治から令和までに一貫していえるのは官僚が統治してきたということだろう。戦前は軍官僚も強力であった。戦後は経済官僚が強力であったという違いがあった。社会秩序でいうと軍を中心とした社会秩序の半分あたりから、経済官僚を中心とした社会秩序が成長をはじめ、経済官僚による社会秩序が成熟期を過ぎて、衰退に向かっているのが現在の日本の姿なのかもしれない。ならば経済官僚の全盛期頃に新しい社会勢力が登場しているはずであるが、将来的にはおそらくそれは「情報官僚」とよばれる勢力かもしれない。情報官僚はその組織の母体をまだ確立していないのかもしれない。

 

※2 アメリカ、イギリス

 外部力ということで最も影響力があったのはアメリカ、イギリスであろう。ペリー来航でアメリカによって、日本は開国された。しかしその後、日本はアメリカよりもむしろイギリスの世界戦略の上に乗ることとなった。明治時代においては他の西洋諸国からもいいとこ取りをしたので、多元的な外部力を受けていたといっていいだろう。第一次大戦後、日英同盟は終わった(20年ほど継続)。その後しばらく日本は独自路線をつきすすんだ。第二次世界大戦後、日米安全保障条約の下でアメリカの世界戦略の上に乗った。そしてそれが現在も続いている(77年間継続)。第二次世界大戦後と明治維新後との違いは、第二次世界大戦後は圧倒的にアメリカの影響下にあったということだろう。しかしそれも安保闘争後のことかもしれない。日本が独自路線をとっていた時代とは日本自体が世界戦略を持っていた時代といえるかもしれないが、日本が定めようとした価値観は普遍性をもったものではなかった。このため独自性を持った時代とはある意味、日本人という意味で江戸時代と連結したところがあったのかもしれない。明治憲法時代と日本国憲法時代を二つの異なる社会秩序の時代ととるか、一つの連続した社会秩序ととるかで日本の捉え方は大きく変わってくることだろう。現代においては二つの異なる社会秩序でとらえられることが多いのかもしれない。しかし無意識的なところでは一つの連続した社会秩序であるようにも思われる。こうした一つの連続した社会秩序が老年期を迎えていて、東京時代が終わりを迎えつつあるのではないかというのが私の印象である。

 

※3 中国、朝鮮

 現代日本はアメリカと中国の間に立たされようとしているわけであるが、中国や朝鮮からも外部力は長期的に受けてきたといっていいだろう。しかしこちらの方は長く日本からの方がより中国や朝鮮に対して外部力を加えていた期間が長かったかもしれない。それは長いこと日本の方が軍事的に、経済的にこれら二地域に対して優勢であり、影響力を持ち続けたことが背景にあった。それが変わりつつあるのは1990年代以降のことである。中国、台湾、韓国、北朝鮮はそれぞれ発展し(北朝鮮は核戦力に限定されるが)、日本に影響を及ぼす側にしだいにシフトしてきた。それに対して日本の社会秩序は先に述べたように東京時代の老年期にあるわけである。そうした外部力の中で日本はアメリカと中国の間にある。東京時代の老年期からこれからどうやって新しい社会秩序を構築していくかが内部的価値としても重要になっていく。外部的価値としてはアメリカの世界戦略に乗る形で、台湾、韓国をこちら側に結び付けていくことが日本にとって重要なことになっていくだろう。宣伝、文化、宗教もそういう路線でしぼられてくるのではないだろうか。

 

※4 その本質が逆に見えなくなる恐れ

 内向的価値変容を見ていくために閉鎖型モデルとして江戸時代をみてきた。それに合わせて簡単に開放型モデルとして明治時代以後を東京時代としてとらえ、ここでは明治憲法秩序と日本国憲法秩序を一つの社会秩序ととらえる考え方をとった。それに対して、一方でイギリス、アメリカの世界戦略が外部力として日本に影響力がかかってきたこと、近年では東京時代の社会秩序が老年化を迎える中、中国、朝鮮の外部力が高まってきており、この間に日本は挟まれつつあるとみてきた。簡単にだが開放モデルについて骨格のようなものを述べてきたが、日本準文明の生命力を考えていくにあたっては、より本質であるのは内向的価値変容ではないかと考えている。このためひとまず外部力の問題はいったん脇において日本準文明の未来について考えていこうと思う。

 

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