第2章 価値
1 価値とは何か
前の二つの論文、「文明の研究」と「準文明の研究」の中では文明というテーマについてずっと考えてきた。
それは文明や準文明の持つ「生命」に着目するものであった。それらが持ってきた特徴から、まずは分類をこころみ、その生命現象を眺めていこうとした。しかし過去における生命現象を見ていくだけでは、それぞれ現在という時代を制約する条件をカバーしているとはいえない。分類と生命現象の解明は過去の歴史の記録から抽出されたものである。これだけでは現在における「価値」を発見するのはおそらく難しいし、未来を見通すこともまた難しいだろう。
過去の記録、歴史を知っていることから得られる最大のメリットは、分類と生命現象の解明の中から「諸文明における安定的な関係性」を見つけ出すことにあるだろう。しかしその文明がこれからどこに向かうかは今までの諸文明を論じるだけではなかなか発見できないものである。そこで注目されてくるのが、未来を規定していく要素、力となりうる「価値」という概念である。
2 価値と時代性
価値とは何であろうか。「文明の研究」の中では
「価値とは時間の関数である※」
と定義していた。この定義はあまりに簡潔であり、またいかにも分かりにくいものかもしれない。このことについては「文明の研究」の中の「文明と時間」のところでふれられている。価値を形成するものとしては、トインビーの理論からヒントを受けて説明していた。
価値とは変化していくものであり、まずそれぞれの時代の条件によって「挑戦」が与えられる。それを原因として何らかの価値が形成される。その価値の実現のために「応戦」が行われるようになる。言い換えれば価値とは時代的挑戦によってその命を与えられ、形成される一つの力である。そうした価値がそれぞれ「技術的効率力」「社会的構造力」に影響を与えていく。
またそれらの力に対しては反発する力が生み出され、合成したりしながら「反作用力」「保守力」を形成して、自己実現を遂げていくとしていた。
※価値は時間の関数である
「価値」とはソフトなり、ハードなり、それらが存在している理由を構成するものと定義してみる。この定義は人間の存在理由とは関係はない。まずは人間社会をとりまいて存在しているソフト、ハードに限定して考えてみるほうがいい。これらソフト、ハードの存在意味は明らかに時間と共に変化していることが多いが、一方で変化の波に洗われてはいるが、変わらないで原形を保っている状況も含めて考えることもできる。
価値は時間の関数であるという命題は「近代化論」の別の形の表現と考えてもいいかもしれない。近代化論とはヨーロッパにおいての、経済における資本主義の成立。政治における民主主義政体の成立。行政における官僚制の成立。社会におけるゲマインシャフトからゲゼルフシャフトへの移行。文化における合理主義への移行といったものである。マックス・ヴェーバーの考え方に代表される。
ヴェーバーの感覚には「理念型」の考え方といい、近代化論の着目のしかたといい、どことなく微積分的な視点がある。経済、政治、行政、社会、文化という便宜的なジャンル分け、分類は、私の文明論におけるそれとも同じであるが、分析、総合するための方法論にすぎない。しかしこうした経済、政治、行政、社会、文化という分類化は見方を変えれば「価値空間」の便宜的なジャンル分けとも考えることもできるだろう。これもまた分析、総合するための方法論と関係しているといえる。
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