golden days

nonsense sentence contents and fictional experiments

170712

2017-07-12 | Weblog
全てを調和させるのは難しいが、自分の中において調和する方向へと持っていく力さえあればいい。果たしてその力とは、どこから来るのか。たぶんコミュニケーションにおけるエネルギーの授受、その循環こそ力となり得る。SNSとかもそうなのか?知らん。

梅雨も未だあけていない本格的な夏が始まる前から、夏の残滓があちこちに見え隠れする。上空から圧力を持って地面に押し込まれるくらいな日差しの強さ。エアコンがむしろ効きすぎるほどのコンビニ内と外気との落差。

161230

2016-12-30 | Weblog
個として閉じられた中での思考と想像と創造としての飛躍
有機的な個のつながりとしての関係性とコミュニケーション
そして個を触媒としての関係性の化学変化ケミストリー
個と個の有機的関係性が生存に関わる基本的条件だとするならば
それを何らかのかたちに可視化することができれば面白い

161228

2016-12-28 | Weblog
生きている限りおとずれる夜という時間
それが静寂か喧噪かは不問としても
その瞬間にそこにある環境、状況、空気、空間
宇宙の中の点としての存在
歴史の線のか細い一部としての存在を思った時
風の音が虚空となった私の身体に
絶え間ないバイブレーションを与える

161202

2016-12-02 | Weblog
人は何故フィクショナル・ストーリーとしての物語を好むのか。生きていく上で機能的には殆ど必要ないものを、あえて小説・演劇・ドラマ・映画・マンガetc...として必要としているのだろうか。

重くのしかかる現実からの逃避のためであろうか。単調な日常生活への刺激を欲しているのであろうか。もしくは、絶え間なく渦巻く想像力・妄想力を表現したいという欲求のはけ口として。いずれにせよ、想像力・妄想力がその源泉となっていることには間違いない。

宗教は一つのフィクションである。一神教の世界で生まれ育った人たちよりも、八百万神の環境で生活している世界観の人たちの方が、想像力・妄想力においても、より飛躍・逸脱・曲折しているであろうことは疑いもない。更にいえば、その国の成り立ちが神話である国の人々の想像力・妄想力は、他の国の追随を許すわけがない。

一方では、現実的世界への政治的対処において完全に適応不能であったり、経済合理性の追求という効率優先の社会形成の中で起こる良くも悪くも過剰な反応というのも、他方ではその想像力・妄想力の飛躍という、文化的・歴史的に脈打つ土壌であるが故に起こり得ることなのではないかとまで、想像・妄想してしまうのだ。

161129 時間という概念の変化について

2016-11-29 | Weblog
自分の中で時間という概念が最近ここ数年で少し変わってきたと、大学時代の友人と久しぶりに飲んだ時に、私は彼に言った。

大学を卒業した年に、私にはすでに若くして他界してしまった二人の叔父がいた。一人は42才で心臓発作、もう一人は50才を前にして癌で逝ってしまった。そのため、自分も50才まで生きられればその後は丸儲け、25才で人生の折り返し地点にきたと思った。そして復路を自分なりに精一杯走ってきた。

気がつけば42才を軽く越え、44才で88才の父親を見送り、50才まであっという間にカウントダウンの始まる年齢になってしまった。そのパースペクティブで人生を思う時に、それまで考えていたような時間という概念が、少し変わってきたのだった。

果たしてどのように変わったのか。

100の wishlist を作ってやりたいことだらけだった頃に比べて、何が本当にやりたいことなのかを絞って集中するようになったし、集中すればする程、時間はあっという間に過ぎていく。集中する時間をどれだけ持てるかが人生の濃度を決定することは20代の頃から分かってはいたが、やれることの時間的な限界がうっすらと見えてきたからこそ、逆に集中の濃度を上げていくことが出来るのではないかと思い始めたのだった。

そう思い始めると、今度は時間的な限界が薄らいでいく、というパラドキシカルな感覚。そして、死という肉体の限界に向かっているからこそ、肉体に刻み込むかのように全感覚を使って集中していくような活動へとシフトしてきているのではないかと。いくつかやっている仕事以外の課外活動(能楽、演劇、石花、他)はどれもそうで、「時間を肉体へと昇華させるための活動」ともいえる。

建築や都市についての考察も、今どのような時代を自分たちが生きているのかという認識は常に必要であると思っている。しかし、これまで生きてきた自分には実際何がやれたのかと問うた時に、まだまだささやかな事しか成し遂げていないことに対して常に抱いていた「焦り」みたいなものが、その時間的限界を前にしてふっと消える時が多くなった。

モダニズムの真っ直中である現代に生きていて、3.11前後から感じていた止められない建設行為、経済行為への諦念ももちろんあり、社会的なことの認識と個人的なことの認識とが相まった末に、時間という概念も変わってきたのかもしれない。時間という概念に縛られずに、今までよりもっと自由であるための方法論としても。

160921 自然の摂理

2016-09-21 | Weblog
空高く薄いはずの秋の雲が台風や前線と共に下りてきて、もやもやと身の回りに立ちこめる。

手離れの悪い仕事や展開の遅い仕事ばかりで経済的エネルギーの循環さえも滞り気味だからであろうか。雲は日増しにその厚さを増すばかり。

仕事場の散乱具合にもそれは現れているため、それをスッキリさせれば良いだけの話なのだが、モチベーションがズルズルと引きずられていく。

そして「日々の研鑽」という名の下に、課外活動へと逃避する。家族内の暗雲ももやもやに拍車をかけ、それこそ逃避したいという衝動に駆られる。

唯一、いいメロディが浮かんだので曲を作って気持ちを持ち上げ、誰かに聞いてもらいたくて酔った勢いでK氏に投げてしまい、また後悔の種をまく。

ジェットコースターの日々を求めているつもりもなく、端から見ればやりたいことをやっているように見えて、実は確実に押さえるべき雑事は押さえながら流す。

それでも日々の中にアップダウンを仕込み、一体何を求めているのかさえも雲の中に霧消しながら、よくやっているではないかと自己肯定しないとやっていられない。

160913

2016-09-13 | Weblog
フワフワとした日本語の指し示す輪郭
いや日本語に限らず
言語が持つ本質的な抽象性は
実体の輪郭をぼやかすものなのかもしれない

抽象性と論理との相関
具象性と感覚との実感

そもそも輪郭とは何ぞや
「納得」や「理解」や「実感」という言葉によって
あらためて明確になると思わされる一つのライン

しかしその明確化されたと思ったラインさえ
その次の瞬間には揺れ動く刹那な抽象と相対性

よって
抽象度の高すぎるくらい高い世界を望むのと同時に
現実的な感覚を研ぎ澄まされる鍛錬の世界との間を
大きな振れ幅を持って揺れ動きながら
日々生きていくことのみと思い知らされる

生命体が根源的に持つ動的均衡を
抽象的であれ実感的であれ素直に体現すること
多分それが今この時代においてもあるべき姿だと

パラレル・ワールド

2016-08-28 | Weblog
実生活からの逃避なのか妄想なのか、頭の中で実生活とは異なる世界を日々生きて、実生活と共に進化・展開して行く、彼の中でのパラレル・ワールド。その彼の中だけの世界と現実との境界線は、常に明確に引かれているという「理性」が彼を自己規定していた。

しかし、ある出来事をきっかけに、その境界線がじわじわと溶けはじめる。常に現実とパラレルであったが故に、その世界は実は容易に現実と溶け合うことができるのだった、というパラドキシカルな物語。

「理性」とは何か、そしてその自己規定が強ければ強いほど、溶解していく速度も速いというきっかけをつくる「ある出来事」とは何か。

パラレル・ワールド、coming soon!

160827

2016-08-27 | Weblog
まだまだ、そう易々とテキストにするな、という警句の元、テキスト以前の状況を楽しむ。それが臨界点に達したところで、醸造した言葉たちが一気に吹き出すのだ。その時まで、テキスト以前の状態で弄び、攪拌と洗練を繰り返し、絶妙な頃合いを見計らって世に生み出すのだ。

160421

2016-04-21 | Weblog
新たなる体験に細胞は活性化し
今までとは違う世界が広がる
ものごとの視点が無数にある中で
どれを選択するかという中に
創造性が宿っていることがわかる

行間にある心の動き
関係性の変化
会話の自然な流れ
キャラクターの立ち現れ
発する言葉のヴォリューム感

それらが全て
日常の一挙手一頭足への
細やかな気づかいへとつながる

まさに人生は演じることに他ならない

160420 魂の地殻変動

2016-04-20 | Weblog
魂の地殻変動
限られた情報の中から
想像力だけが飛躍し疲弊する

疲弊しきった中から生まれる
限りなき生への衝動は
思考と感覚を鋭敏にさせる

歴史と現在の狭間で悶え
自己の生存と日常への感謝を
最大限に絞り尽くした後に
眠りにつく


diastrophism of soul
from the limited information
only imagination leaps and then exhausts

the limitless impulse to live
born from an exhausted situation
makes thoughts and feelings sensitive

being in agony between the past and the present
after squeezing maximum gratitude
for the existence of myself and daily life
I fell asleep

160325

2016-03-25 | Weblog
昨秋夢に見た、妄想に取り憑かれている
人生の軸を変えるほどの出来事
甘く、かつ耽美なひとときの青春
まったくもって青い春のような懐かしい思い
すでに忘れかけていた
「あのときめき」を思い出させてくれた日々
はい!この一杯で終わり!とグラスに注ぎながら
傾けたボトルから血のようにしたたり落ちる
ワインのしずく

160306

2016-03-06 | Weblog
季節はめぐり春を迎える頃に
自分の誕生した時となる

春の誕生日が良いと言ったあの人は
新しい季節という希望のイメージと
重ね合わせてそう言ったに違いない

160209

2016-02-09 | Weblog
実は鉱脈は自分の足元にあり
それを掘り起こすことでしか
新しい地平は見つからない

その時の一瞬の感情
改めて気づく積年の想い
関係性の読み直し
そして時代と共にあること

160110

2016-01-10 | Weblog
時計の発する時報によって
パーソナルタイムからソーシャルタイムへと
瞬間的に引き戻される
昔でいえば寺の鐘がソーシャルタイムだった

さらに細切れにされていく時間感覚
そこにモダニズムの本質があるとすると
最後まで残されるのは
パーソナルタイムの本陣である腹時計