午前中に往診しに来た医者に肺炎の兆候を指摘された父は、昼過ぎに検査のために病院へと向かった。ベッドから車椅子へと私に抱きかかえられるようにして移され、エレベーターで階下へ、そして母と共に介護タクシーへと乗り込んだ後、見送る私に父は前を向いたまま弱々しく右手を挙げた。
数時間後に母から連絡があり、1週間の入院が決まったことを告げられた。当面必要な物を持ってきて欲しいとのことだったので、手早くまとめた後、私は病院へと向かった。
駅前の雑踏を通り、だらだらとした坂を上った後、目黒川へと下りる急坂を踏みしめながら、2年前の父の入院のことを思い出していた。あの時は、もしかしたら父はもう家に戻れないかもしれないと覚悟したけれど、2ヶ月後に無事退院した。病院という非人間的な空間から早く脱したいという思いが、本人にあったかどうかは分からないが、少なくとも家に戻れた時の安心した表情から、私は勝手にそう読み取った。
病室へと到着した私の顔を見ると父は、ありがとう、ありがとうと繰り返し、ありとあらゆる検査をされた話をした。そして、よほど疲れたのか、ウトウトとし始めたため、母を残して私は病院を後にした。
煙草をふかして目黒川沿いの遊歩道を歩きながら、2年前の暑さを思い出していた。一日も早くココを出ようね、と父に言ってはきたものの、果たして2年前のように家へと戻れるだろうかという思いが巡った。その時も、父の入院の顛末を自分のメモとして、かなり詳細に記録していた。今回も再び父の入院の記録をすることに、2年前には意識していなかった「祈り」のような気持ちを込めることで、無事自宅へ迎え入れることが出来ればと思いながら、此処に書き始めた。
数時間後に母から連絡があり、1週間の入院が決まったことを告げられた。当面必要な物を持ってきて欲しいとのことだったので、手早くまとめた後、私は病院へと向かった。
駅前の雑踏を通り、だらだらとした坂を上った後、目黒川へと下りる急坂を踏みしめながら、2年前の父の入院のことを思い出していた。あの時は、もしかしたら父はもう家に戻れないかもしれないと覚悟したけれど、2ヶ月後に無事退院した。病院という非人間的な空間から早く脱したいという思いが、本人にあったかどうかは分からないが、少なくとも家に戻れた時の安心した表情から、私は勝手にそう読み取った。
病室へと到着した私の顔を見ると父は、ありがとう、ありがとうと繰り返し、ありとあらゆる検査をされた話をした。そして、よほど疲れたのか、ウトウトとし始めたため、母を残して私は病院を後にした。
煙草をふかして目黒川沿いの遊歩道を歩きながら、2年前の暑さを思い出していた。一日も早くココを出ようね、と父に言ってはきたものの、果たして2年前のように家へと戻れるだろうかという思いが巡った。その時も、父の入院の顛末を自分のメモとして、かなり詳細に記録していた。今回も再び父の入院の記録をすることに、2年前には意識していなかった「祈り」のような気持ちを込めることで、無事自宅へ迎え入れることが出来ればと思いながら、此処に書き始めた。
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