数年前、まだ娘が小学校の高学年か中学に入った頃だったと思う。もう忘れたけれど、何かの話の流れから「オトチンは快楽主義者だから」と言ったら、娘が驚いたような顔をしたので内心、あれ?こりゃ教育的にも間違った発言をしてしまったかな?と思ったことがあった。娘がその言葉をどのように捉えていたかどうかは(んな発言、覚えてねぇだろうという確信のもとw)いいとして、その発言の意図をここで考察(言い訳)したい。
自分の「快楽主義」を定義すると、快楽だけを求めて生きているということではなく、常に自分を「快楽」と思える状況に持っていく人でありたいということ。自分の思い通りに行かないことや不快と思うことに直面した時に、どのように自分を位置付けるかを考え、自分が心地良いと思える方向へ持っていくことを意識すること。不快なことに対して「なぜ自分はコレが不快なのか」を紐解いていくことによって納得する、そのプロセス自体が快楽であると思えたならば、「Welcome to 快楽主義」
自分の「快楽主義」を定義すると、快楽だけを求めて生きているということではなく、常に自分を「快楽」と思える状況に持っていく人でありたいということ。自分の思い通りに行かないことや不快と思うことに直面した時に、どのように自分を位置付けるかを考え、自分が心地良いと思える方向へ持っていくことを意識すること。不快なことに対して「なぜ自分はコレが不快なのか」を紐解いていくことによって納得する、そのプロセス自体が快楽であると思えたならば、「Welcome to 快楽主義」
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