朝6時半過ぎ、軽めの吸引をした。顔色が良くなく、夜中と同様に引き続き水溶便が止まらない状況でオムツ交換。夜中の小水は点滴漏れだったことが判明し、点滴針を抜いて外した。
10時頃、母に呼ばれて再びオムツ交換のサポート。父を横に向けておきながら作業するため、態勢が戻らないように押さえていた。おはようございます、という私や母の呼びかけにも父は今までのように答えてくれなかった。
たまに息をしない状況が数秒続いたりするので少し焦った。立て膝をしても、すぐに力なく開いてしまった。母は父の顔をさすりながら、お父さん戻ってきて下さい、と父の意識に訴えていた。
足や手や胸をさすっても、いつもならば痛みを訴えるところが、反応しなかった。そして、もう肛門を締める力さえ無くなってきたのだとしたら、ランディングに近くなってきたのではと、ふと思い姉たちに状況をメールした。
「父さんですが、昨日あたりから顔色が悪く、軟便が止まらなくなり、呼び掛けに対する反応も鈍くなってきました。立て膝も力なく、時々無呼吸状態にもなったりもします。喉の痰もここ数日少ない状態が続いています。
そろそろかなと、覚悟はしています。取り急ぎ、連絡まで!」
12時、看護師2名来宅し、点滴針差し替え交換(ナトリウム、ガスター?注入)後、血圧を測ると68/40とかなり低かった。痰の吸引後の酸素量は、79~82%だった。
呼吸を得る(気道確保)ために、枕を外して仰向けで寝かせていた。もう間もなく、たぶん1~2日くらいですので、呼ぶべき人が他にいれば知らせて下さい、と看護師は残念そうな表情で言った。私は、姉たちに再度メールをした。
昼食後、ヘルパーさんによるオムツ交換のサポートをした後、私は父の弟である叔父に電話して状況を報告した。叔父はなるべく早く行くようにする、と言ってくれた。
14時頃、母に呼ばれて再びオムツ交換のサポート。
娘が学校から帰宅し、妻が父の元へと連れて行った。妻が私を呼びに来て、ちょっと見に行った方がいいかも、と言うので急いで行くと、娘が父の前で泣いていた。父はまだ呼吸をしていたけれど、細かく浅い息で、喉の周りでゴロゴロと鳴っていた。
16時半過ぎ、ヘルパーさんの来る時間を勘違いしていて遅くなるので、17時くらいにまた吸引をお願いします、と母が私に言いに下りてきた。そして、母が父の元へ戻って間もなく、母から、ちょっとすぐに来て下さい、と電話が掛かってきたので、急いで行った。
母は父の顔をさすって呼びかけていたが、顔色がその前に見た時よりもずっと黄色くなっていて、唇の色も失せてきていた。もうだめかな、と母は言いながら父の身体をさすっていた。私も声を掛けながら胸の辺りをさすったりしていたが、「ふぅっ」というかすかな息が漏れた後、父の呼吸が止まったような感じがした。脈を取ろうとしても分からず、胸を押さえても分からなかった。
その直後にインターフォンが鳴り、上の姉が来宅した。鍵を開けに行って戻るまでの間、もうたぶんこれで父は終わったんだろうと思った。姉が父の元に行って声を掛け、私も一緒になって声を掛けたけれど反応はなく、母は父の足元に座り込んで足をさすりながら目に涙を溜めていた。時計を見たら16時52分、だいたい16時50分くらいには息絶えていたのだろうと思った。
病院に電話しよう、と私が言い、電話を掛けた。状況を説明したら、担当の医師は本日休みなので代わりの医師がこれから向かいます、と言ってすぐに駆けつけてくれた。心音、肺音、瞳孔など、一通り診た後、ベッドの脇に立っていた私と姉と母を前に、医師は腕時計を見ながら午後5時17分に確認しました、と言った。
死亡診断書が書かれ、死因は「多臓器不全」。少し前だったら「老衰」なのかなという、極めて私たち家族の理想とする状況だったのではないかと思った。
その後、近い親戚への連絡をした。そして、葬儀の手配をしたら1時間後に来宅してくれ、簡単な祭壇を作って焼香し、葬儀の日程の打合せをした。その前には下の姉も仕事を片付けて来て、打合せに参加してくれた。内容的には家族葬で、至ってシンプルなものになった。
上の姉の夫も駆けつけてくれて、ひとしきり話をした後、泊まっていく姉が夫を見送り、長い一日が終わった。
10時頃、母に呼ばれて再びオムツ交換のサポート。父を横に向けておきながら作業するため、態勢が戻らないように押さえていた。おはようございます、という私や母の呼びかけにも父は今までのように答えてくれなかった。
たまに息をしない状況が数秒続いたりするので少し焦った。立て膝をしても、すぐに力なく開いてしまった。母は父の顔をさすりながら、お父さん戻ってきて下さい、と父の意識に訴えていた。
足や手や胸をさすっても、いつもならば痛みを訴えるところが、反応しなかった。そして、もう肛門を締める力さえ無くなってきたのだとしたら、ランディングに近くなってきたのではと、ふと思い姉たちに状況をメールした。
「父さんですが、昨日あたりから顔色が悪く、軟便が止まらなくなり、呼び掛けに対する反応も鈍くなってきました。立て膝も力なく、時々無呼吸状態にもなったりもします。喉の痰もここ数日少ない状態が続いています。
そろそろかなと、覚悟はしています。取り急ぎ、連絡まで!」
12時、看護師2名来宅し、点滴針差し替え交換(ナトリウム、ガスター?注入)後、血圧を測ると68/40とかなり低かった。痰の吸引後の酸素量は、79~82%だった。
呼吸を得る(気道確保)ために、枕を外して仰向けで寝かせていた。もう間もなく、たぶん1~2日くらいですので、呼ぶべき人が他にいれば知らせて下さい、と看護師は残念そうな表情で言った。私は、姉たちに再度メールをした。
昼食後、ヘルパーさんによるオムツ交換のサポートをした後、私は父の弟である叔父に電話して状況を報告した。叔父はなるべく早く行くようにする、と言ってくれた。
14時頃、母に呼ばれて再びオムツ交換のサポート。
娘が学校から帰宅し、妻が父の元へと連れて行った。妻が私を呼びに来て、ちょっと見に行った方がいいかも、と言うので急いで行くと、娘が父の前で泣いていた。父はまだ呼吸をしていたけれど、細かく浅い息で、喉の周りでゴロゴロと鳴っていた。
16時半過ぎ、ヘルパーさんの来る時間を勘違いしていて遅くなるので、17時くらいにまた吸引をお願いします、と母が私に言いに下りてきた。そして、母が父の元へ戻って間もなく、母から、ちょっとすぐに来て下さい、と電話が掛かってきたので、急いで行った。
母は父の顔をさすって呼びかけていたが、顔色がその前に見た時よりもずっと黄色くなっていて、唇の色も失せてきていた。もうだめかな、と母は言いながら父の身体をさすっていた。私も声を掛けながら胸の辺りをさすったりしていたが、「ふぅっ」というかすかな息が漏れた後、父の呼吸が止まったような感じがした。脈を取ろうとしても分からず、胸を押さえても分からなかった。
その直後にインターフォンが鳴り、上の姉が来宅した。鍵を開けに行って戻るまでの間、もうたぶんこれで父は終わったんだろうと思った。姉が父の元に行って声を掛け、私も一緒になって声を掛けたけれど反応はなく、母は父の足元に座り込んで足をさすりながら目に涙を溜めていた。時計を見たら16時52分、だいたい16時50分くらいには息絶えていたのだろうと思った。
病院に電話しよう、と私が言い、電話を掛けた。状況を説明したら、担当の医師は本日休みなので代わりの医師がこれから向かいます、と言ってすぐに駆けつけてくれた。心音、肺音、瞳孔など、一通り診た後、ベッドの脇に立っていた私と姉と母を前に、医師は腕時計を見ながら午後5時17分に確認しました、と言った。
死亡診断書が書かれ、死因は「多臓器不全」。少し前だったら「老衰」なのかなという、極めて私たち家族の理想とする状況だったのではないかと思った。
その後、近い親戚への連絡をした。そして、葬儀の手配をしたら1時間後に来宅してくれ、簡単な祭壇を作って焼香し、葬儀の日程の打合せをした。その前には下の姉も仕事を片付けて来て、打合せに参加してくれた。内容的には家族葬で、至ってシンプルなものになった。
上の姉の夫も駆けつけてくれて、ひとしきり話をした後、泊まっていく姉が夫を見送り、長い一日が終わった。
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