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バビロニアについて

2024-03-21 19:31:00 | 世界史

【アッカド王国】 

 バビロニアとは、下メソポタミア周辺、シュメールとアッカド地方に対する呼称です。その地にセム系アッカド人が侵入し、高度なシュメール文化を吸収しながら、征服しました。最初に統一帝国を築いたのが「四方世界王」と称されるサルゴンです。アッカド人は、シュメール人の文化を基盤としながらも、民族、言語学的には支配したとされています。なぜなら、アッカド王国の公用語は、アッカド語でしたが、使用された文字は、シュメールの楔形文字だったからです。アッカド王国では、人種や文化的に混合が進み、それがバビロニア文化の母体となりました。

 【古バビロニア】 

 その後、一時的にシュメール人の王朝が成立したりします。しかし、最終的に、この地域を統一し、古バビロニア「バビロン第一王朝」を築いたのは、セム系の遊牧民アモリ人でした。アモリ人は、家を持たず、天幕に住み、生物を食べる屈強な民族だったとされています。最盛期の王は、メソポタミア一帯を支配したハムラビです。ハムラビ王は、シュメール法典を集大成し、アッカド語で書かれた「ハムラビ法典」を作りました。ハムラビ法典は「目には目を、歯には歯を」の復讐法です。また、身分によって適用が異なる階級法典でした。バビロニアは、混合民族です。それをまとめるために、国の誰もが閲覧できる神殿にハムラビ法典は掲示されました。

 それ以外に、ハムラビ王が整備したのが「官僚制」「軍隊」「駅伝制」「灌漑用水路」などです。また、国家を発展させるために交易や商業を保護をしました。最終的に、その古バビロニアを滅ぼしたのが、ヒッタイトです。ヒッタイトは「鉄製の武器」「騎馬戦」「戦車」という革新的戦術を持っていました。

 【親バビロニア】 

 親バビロニア「カルディア王国」は、セム系の遊牧民カルディア人によって築かれました。最盛期の王は、ネブカドネザル2世です。ネブカドネザル王は、ユダ王国を滅ぼし、ユダヤ人を首都バビロンに連行し、捕虜としました。旧約聖書では、これを「バビロン捕囚」と言います。この時、ユダヤ人の聖地エルサレムは破壊されました。バビロニアの「バベルの塔」「イシュタル門」「空中庭園」などは、そのネブカドネザル王が建設したものです。空中庭園は、世界7不思議の一つに数えられています。

 ネブカドネザル王は、文化の向上と国力を充実させバビロンを再建しました。しかし、その新バビロニアを滅ぼしたのが、アケメネス朝ペルシャのキュロス大王です。この時、バビロンに捕囚されていたユダヤ人は、解放されました。そのため、キュロス大王は、ユダヤ人からは「解放者」と呼ばれています。新旧バビロニアは、バビロンを首都としました。バビロンは、バビロニアの大宗教都市です。マケドニアのアレクサンドロス3世も、バビロンを王都としました。ただし、旧約聖書では、快楽がはびこる不道徳な街だったとされています。 

 【社会】 

 バビロニアは「自由民」「高級奴隷」「奴隷」に分かれた階級社会でした。このうち、奴隷は、主人の財産とされています。バビロニア人とシュメール人の宗教観は似ていました。例えば、人間は、神々の労働を肩代わりするための存在とされていたことなどです。労働は、最も基本的な生活の基盤であり、国家に捧げる義務だとされました。 バビロニアの生活基盤は、農耕と牧畜です。もともと、メソポタミア地帯は、農耕に適した土地でした。なぜなら、豊かな太陽光が降り注ぐ、肥沃で平坦なデルタ地帯だったからです。そこに灌漑を整備し、穀物耕作やナツメヤシを栽培しました。 

 バビロニアでは、幾何学などの数学が発展し「占星学」「黄道十二宮」「円周率」などが発見されています。地図が描かれるようになったのもこの頃です。また、バビロニアには、交易ネットワークが築かれ、物資の集積場として、オリエント文明の経済の中心地ともなりました。





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