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スキタイ人と「遊牧騎馬民族」

2024-03-26 19:24:00 | 世界史

【スキタイ人】 

 スキタイ人は、イラン「ペルシャ」系の人種で、単一の民族ではなく、多数の民族から構成されていました。もともとの居住地は、ウクライナ地方の北部や、黒海の北周辺です。遊牧民であったため、定住はせず、ある一定地域の範囲内で、季節的ごとに移動を繰り返していました。遊牧民の生活拠点は、主に乾燥した草原地帯です。ユーラシア大陸の「遊牧騎馬民族」としては最初に登場しています。遊牧と騎馬は、初めから結び付いていたわけではありません。スキタイ人は、初めてそれを結合させました。それによって、世界最古の遊牧騎馬民族国家を築くことが出来たとされています。

 【生活と文化】 

 スキタイ人は、基本的に遊牧民だったため、農耕はせず、必要なものは全て家畜から作っていました。例えば「ミルク」「バター」「チーズ」などの乳製品です。彼らにとっては、所有する家畜の数が財産でした。スキタイ人は、固有の文字を持たなかったために、ほとんど記録は残されていません。しかし、黄金の埋葬品などが発見されており、そこから高度な金属文化があったとされます。スキタイ人は、熟練した手工芸職人でもありました。神殿などの建築物を作りませんでしたが、先祖の墳墓は崇拝していました。 

 【軍事】 

 スキタイ人は、騎馬技術に優れた遊牧騎馬民族で、人類で最初に「騎馬軍団」を編成しました。スキタイの騎馬軍団は、機動力がある軽装騎兵隊「軽騎兵」です。その兵士は、きわめて勇敢でした。騎馬の起源は、ヒッタイトだとされています。乗馬をするには「手綱」「はみ」「くつわ」が少なくとも必要です。そのうち「鉄のはみ」は、ヒッタイトが発明したとされています。蒸気機関車以前の乗り物で、最速だったのが馬です。馬の機動性は、戦争において、強力な兵器となりました。スキタイ人は「防具」「武器」「車」「馬具」なども発展させています。特に弓が強化され、矢にはカエシが付き、毒が塗られました。スキタイ人は、そうした強力な武器と、神出鬼没の騎馬戦術によって、農耕地帯を略奪し、領土を拡大していきました。

 スキタイは、軍事力と巧みな戦術によって、ギリシャや大国ペルシャにも勝利しています。ペルシャのダレイオス1世の遠征軍も、スキタイ騎兵の機動力には歯がたたず、撃退されました。また、スキタイ人は、メディア人と手を結び、軍事大国アッシリアをも倒しています。最終的には、ゲルマン人の一派、東ゴート人に滅ぼされました。ローマ帝国時代に入ってからは、スキタイの王国は崩壊しています。

 【伝説】 

 伝説でのスキタイ人は、ギリシャの英雄ヘラクレスと蛇女エキドナの子孫だとされています。スキタイ人に、弓術を教えたとされるが、そのヘラクレスです。また、ギリシャ神話に登場する半人半馬の怪物ケンタウロスは、スキタイ人がモデルだとされます。当時のギリシャ軍の主力は、重装歩兵だったので、巧みに馬を操る騎兵を見たことがありませんでした。そのため、スキタイの騎兵を見た時、ケンタウロスだと思ったとされてます。

 スキタイ人の墓からは、武装した女性が発見されました。そのため、女性の戦士がいたとされてます。このことから、スキタイ人が、アマゾネスのモデルだという説が出ました。アマゾネスとは、ギリシャ神話に登場する弓術に優れた女性だけの軍団のことです。また別の説では、スキタイ人の服装が、女性のようだったので、女戦士だとしたともされています。




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