花ものがたり

パソコンでのお遊び作品とたまに出かけて写すフォトブログ。最近は日々の出来事などを書きとめ備忘録、何でもありのブログです。

カタクリの花

2022年03月25日 07時29分22秒 | 母のこと
お彼岸の3月21日実家に出かけたら弟が「カタクリの花が咲いているよ」と教えてくれました。



母が植えた椿や花蘇芳など数々の木々の間に一本のカタクリの花が咲いていました。毎年数本のカタクリの花の開花を楽しみに見守ってきた母の大切な花のひとつです。

実は母は1月の終わりにこの世を去りました。
心筋梗塞で倒れ入院3週間。コロナ禍で私が顔を見ることが出来たのはもう私が誰ともわからない亡くなる17時間前の事。
それより以前に弟が会わせてもらえた時は部屋のガラス越しに目と目が合い母は気づいたようです。そのことを聞いてとっても嬉しかった。
私は母と温かい手を握り「今までありがとう」と言いたかったけどそれはかないませんでした。

倒れる一日前には 母は4人の曾孫に囲まれそれぞれの子とおもちゃのボールを楽しそうに投げ合っていました。その嬉しそうな顔を眺め私はその姿に大きな幸せを感じていました。思い出の良きその一日があってその光景はしっかりの脳裏に焼き付きました。
享年100歳でした

母との充実した日々が次々思い出されます。
私はあなたのような生き方をしてゆきたいと思います。

カタクリの花 来年も咲いてくれますように。


タイトルの写真は昔写した岩さくらの花

母の事

2021年04月15日 06時27分56秒 | 母のこと
今年は正月明けから 実家の母の調子が悪かったこともあり
私は実家に週2回出かけることが多かったが暖かくなり元気になってほっとしました。

高齢になると冬に入り寒さに体が対応できなくて調子が悪くなるということも
頭に入れておかないといけないと思った。
何年か前も1月に肺炎になって病院に入院したし 昨年の冬 そして今年も正月の頃から肺の調子が悪くなっていったという事です。

本人は体が辛くてもよく分らないのか、言いたくないのか何も言わないので
家族はとても困る。お医者の前でもよい子ぶるのです。体の何処もが重いので
よく分らないのかもしれませんが。
後から振り返ると酷く機嫌が悪かったようだ。

母の血液や胸の画像が悪くまた肺に水もたまっていたので 一日2回の点滴のために開業医さんのところに通いまた時には先生が直接家にも電話をかけてきて心配してくださったりした。心臓の方も弱っていて春が来るかなぁと思ったこともあったが今では外で草引きしたりしてゆっくりゆっくり動く生活をしている。

身長も140センチ 小さな母ですが来週には98歳の誕生日を迎えます。
ここ一年くらいの曾孫や私と写った写真を印刷して渡そうと思っています。
撮すだけで写真をくれないとはよく言います。(あげているけど母が忘れるんよ)
私と同じく母も写真が好きで私たちの子供の頃に写真屋さんでとった写真や小学校卒業の頃には写真屋さんに頼んで小学校の校舎の写真を写して貰い記念に残してくれています。

来週は実家で食事する予定です。
母は「こんなに長生きするとは思わなんだ」と時々言います。 
  
色々な事の積み重ねで母の今があるのだと見ていて思います。




「なんだ」について
「〇〇なんだ」という独特の言い回しを使うのは、「思わなんだ」だけではなく その他に「言わなんだ」「知らなんだ」「行かなんだ」「食べなんだ」など、言ってみれば動詞の数だけ私も使っていますが もう少し丁寧な言葉使いしないといけないかもと思う時もある。



元気でいてくれてありがとう

2019年10月25日 11時12分52秒 | 母のこと

 

 

昨日は一時間程母がわがやに来た。

私の家で母の髪を切るためである。

 

座布団に正座で座り 

母が目をつぶっていたりうとうとしたりしているうちにすぐ済みます。

 

私は母の顔を見るだけで心穏やかで幸せ気分になれる。

滞在が短い時間だし 耳も疎いので話をするにも話が伝わりにくく

十分に話をすることも出来ない。

 

でも帰り際

「ありがとう。楽しかったわ」

と言ってくれた。

その笑顔が私にはとても嬉しい宝物。

 

 


母に会いに

2019年02月27日 21時14分14秒 | 母のこと

 今日は実家に出かけた。

最近は何かとしなくてはいけないことが多くて

会いに行けてなく思い切って出かけた。

知らせて無かったので案の定 布団の中にいたが

私が来ていることに気づいたら 布団を畳み起きてきた。

昼間 布団を敷いていることは恥ずかしい事 と言うのが

母の中では決まりで私が行くと必ず布団を畳むのである。

二人で話をしながら 1300歩ほど田舎道を歩いた。

木々の間を鳥が鳴きながら飛びまわるのをみたり

他所の畑の梅の花が咲いていたりで話題に事欠きませんでした。

里芋を剥いたり 牛蒡を貰ってあったのできんぴらごぼうを

作ったり 昼ご飯を作り一緒に食べたり少し掃除をしたりで

ゆっくりすることも出来ず

時間はあっという間に過ぎてゆきました。

孫が帰宅するまでに夕食を作らねばならないので

慌てて帰宅しました。

4月には96歳になる母

どうにか元気に歩いてくれているので本当にありがたく思います。

充実した一日でした。

               11610歩


長生き・・・

2018年04月15日 07時09分21秒 | 母のこと

  

実家の母は4月20日  95歳となる。

先月は 家人が2回ほど一泊旅行があり

母一人で過ごす事となるため

また心房細動で薬を増やされた時期でもあり

私が朝から出かけ お泊りして2日目の夜帰宅

するという日があった。

                                    

母はゆっくりながらも立ち上がって歩いたり 

一日一定の距離を散歩したりすることも出来る。

ただ 腰痛が酷くなってきて いつもこの痛みと戦っているという状態です。

整形にもかかったこともありますが

高齢のこと 現状維持でしょうか。

疲れて寝転ぶと 次に起き上がるとき

激しい痛みになることがあるようで

私や家族が手を差し伸べようとしても

激しく拒否 自分の力で起き上がるのですが

痛みに耐えかね激しい怒りの言葉を発することもありますが

起き上がれば けろりと笑顔になることがあります。

その時の発する言葉は 時には苦しかった

農業での手作業など 自分の脳裏に刻み込まれている

辛かった過去の事が出てきたりして今まで口にしなかったが

母の心の奥が見えることがあります。

実家にお泊りした夜

私は襖を開けておいて隣の部屋で寝ていました。

夜 12時頃母が起き上がる声がしましたので目が覚めました。

頭の中はボーとしてました。

「あと一時間で起きるんや」と母の声

時計を見ると 12時過ぎ。

”何を惚けているんや”と思いつつ

眠ってしまいました。

朝5時半頃 母の起き上がる音がします。お勝手場に行き

網戸を開ける音がします。

その後また床に就きました。

もう少し休んでいたいと思いつつ

勝手場(キッチンのこと)何したのか確かめに行きました。

キッチンは網戸のままになっています。

網戸を開けると 外に温度計が置いてあります。

母は12時に寝とぼけて朝5時半と思い 起き上がって

温度計を外に網戸網戸のままの状態で床に就いたのです。

母の日課の中で 朝起きたら温度計を外に出し

気温を記録しておくというのは毎日の仕事のひとつなんです。

5時半頃に母は起きて 温度計を見に行ったのですが

そのときは温度計を確認出来なかったようで

家の中にそれを入れませんでした。

                         

私は留守番を頼まれつつ

その役目を十分に果たせてませんでした。

夜中にも母のほうを見ましたが

腰痛のため

布団の中でうつ伏せになったり 相当苦しそうでした。

貼り薬や 飲み薬も使っていますがどうにもなりません。

母から出てくる言葉は

笑って 

  「長生きしすぎたんよ」

私が母のところに行くととても喜んでくれるので

そのことしか出来ません。

ほんの一時でも 

笑ってくれる時間があればと思うだけです。