石ころ

モーセの怒り(出エジプト32章)

 

宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして、手にしていたあの板を投げ捨て、それらを山のふもとで砕いた。
それから、彼らが造った子牛を取って火で焼き、さらにそれを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの子らに飲ませた。(19~20)

 

モーセも彼らの罪を見るまでは半信半疑であったろう。まさか此処まで堕落してしまっているとは、思いもよらなかったのである。
二度とは得られない神直筆のさとしの板を「投げ捨て」「山のふもとで砕いた」のは、彼らの汚れた目から、聖なるものを守ったのである。

 

モーセはリーダーとして、このような民の堕落はあまりにも耐えがたいものであったろう。
「毒を食らわば皿まで」という言葉を思い出した。彼らがしでかしたことは、引き返すことの出来ないことできない裏切りであり、彼らが慕った偶像は腹に残り、彼らはこの地で死ぬことになる。

 

モーセはアロンに言った。「この民はあなたに何をしたのですか。あなたが彼らの上にこのような大きな罪をもたらすとは。 」
アロンは言った。「わが主よ、どうか怒りを燃やさないでください。あなた自身、この民が悪に染まっているのをよくご存じのはずです。

それで私は彼らに『だれでも金を持っている者は、それを取り外せ』と言いました。彼らはそれを私に渡したので、私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。」(21~24)

 

アロンが民を訴えて責任転換をしたとき、彼の罪は浮彫になる。それは自分の命をかけて、神に民を執り成したモーセの姿とは、あまりにも違うものである。
偶像は「アロンが造ったのであった」と聖書に記され、その罪は残っているのである。

 

モーセは、民が乱れていて、アロンが彼らを放っておいたので、敵の笑いものとなっているのを見た。(25)

 

モーセは神の前には執り成すことは出来るが、敵に神の民が笑われたことに対しては許すことは出来なかった。イスラエルを選ばれた神が笑われたからである。

 

そこでモーセは宿営の入り口に立って、「だれでも主につく者は私のところに来なさい」と言った。すると、レビ族がみな彼のところに集まった。
そこで、モーセは彼らに言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。各自腰に剣を帯びよ。宿営の中を入り口から入り口へ行き巡り、各自、自分の兄弟、自分の友、自分の隣人を殺せ。」(26~27)

 

人は必ず死ぬ者であり、神に逆らう命を守るものは何も無い。主だけが永遠のいのちの守りなのである。
神を第一に愛することによって、死ぬべき命を取り戻すことが出来るのだ。モーセは神の義によって、彼らの愛する者の命を神の御手に委ねさせたのである。

 

神は「これはわたしの愛する子」と言われたひとり子を、人の罪をあがなうための十字架に見捨てて、永遠のいのちを備えてくださった。神は御子の命と引き換えるほどに、罪ある人を愛してくださったのである。

 

レビ族はモーセのことばどおりに行った。その日、民のうちの約三千人が倒れた。
モーセは言った。「あなたがたは各自、その子、その兄弟に逆らっても、今日、主に身を献げた。主があなたがたに、今日、祝福を与えてくださるように。」(28~29)

 

彼らは主に身を捧げて、神を裏切った肉親を打たなければならなかった。神も、モーセも、主に従うレビ族も、大きな悲しみと痛みを伴って神の義を行った。モーセは彼らの働きを祝福して神への捧げものとした。

 

そこでモーセは主のところに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯しました。自分たちのために金の神を造ったのです。
今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら──。しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください。」(31~32)

 

モーセのとりなしは、自分のいのちを差し出してのことであった。自分の命を惜しむ者が、神にみこころを変えてくださいと、執り成すことなど恐くて出来ないから・・。
確かに民全体の命と、モーセひとりの命は釣り合っている。しかし、モーセが差し出したのは永遠のいのちであった。

 

主はモーセに言われた。「わたしの前に罪ある者はだれであれ、わたしの書物から消し去る。(33)

「ああ!イエスさまを感謝します。」と思わず叫ぶみことばである。いのちの書に名が残されてあるのは、ただ、キリストの恵みに拠ることであり、十字架のあがないに拠るからである。

 

「しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に民を導け。見よ、わたしの使いがあなたの前を行く。だが、わたしが報いる日に、わたしは彼らの上にその罪の報いをする。」こうして主は民を打たれた。彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのであった。(34~35)

 

主を裏切った民は荒野で死ぬことになる。ただ、モーセのとりなしによって、主はその子孫に永遠までの憐みをかけられた。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事