石ころ

「天におられる父」の赦し マルコ11章(Ⅱ)




 聖書は二千年前の記事が、今一人ひとりの必要を満たす不思議な本。時にも場所にも縛られない霊のことば。聞く人を知り尽くしておられる助け主が、私たちを導いていてくださる。

あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。
彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・その教えは真理であって偽りではありません。・・また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。(Ⅰヨハネ2:27)


直接教わった言葉は、「真理であって偽りではありません。」とわざわざ書かれている。真理を教えるのは、「キリストから受けた注ぎの油」に依ることであり、聖霊の働きである。

サマリヤの女は、町の人々にも自分を恥じているような女であったけれど、我を忘れてイエスさまに聴き入り、イエスさまは彼女に真理を教えられた。
しかし、パリサイ人や律法学者には「話すまい」と言われた。彼らが聞く耳を持たなかったからである。


 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。


イエスさまが十字架によって天と地を遮っていた至聖所の幕を上から裂いてくださり、今、私たちは至聖所にて御父と御子のお交わりを持っている。
だから、私たちの祈りは主のごく近くにあって真っ直ぐに届く所にある。

ただ、その近しい関係を妨げる罪も人の近くにある。
イエスさまの十字架によって、信じる者のすべての罪はあがなわれ精算された。しかし、赦していないものを残していればその罪が関係を妨げる。

「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」

先に、無条件で赦された者は無条件で赦す。どのように赦されたかを覚えているなら直ぐに至る結論である。
しかも、賜った赦しは「もう、思い出さない」といわれる完全な赦しである。

わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」(ヘブル8:12)

私たちは恨みごとを思い出すことがある。しかし、その度に「赦します」と告白するなら「天におられるあなたがたの父(アバ父)」は親しい関係の中で赦してくださる。
その赦しによって完全にされた霊の居場所は天にある。天の父と交わる場所は天である。

主は私たちの罪を完全に忘れてくださるけれども、私たちは何度も罪を思い出す。でも恐れることはない。何度でも赦してくださるから絶えず祈り完全に留まることができるのである。

「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)

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