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石ころ

特別

 親戚に県議会議員をしている人がいた。私は彼が地域の選挙に初めて出た時、一緒に選挙カーに乗ってマイクを持って運動をしてきた。彼には幾らかの力があること、彼にどのように親族が頼っているかもよく知っていた。

 次男が高度難聴と言うことで地域の学校に入る時や、進学時などに問題にぶつかった。けれどもどんなに悔しい思いをすることがあっても、私は決して彼に頼ることはしなかった。それが誇りだった。

障害者でも、健常者と同じ環境で教育を受けることができるべきだと、私は特別を求めず、ただ健常者と同じ扱いを求めた。でも、それこそが一番難しかったのだけれど・・。特別なルートに頼ることなど子供に恥じることだと思ったから、子供の手を引いて、体当たりで正面からぶつかっては、ひとりで頑なに苦労をしていた。


そんな私がイエスさまに出会ったとき、「特別」な恵みを知った。
そして、その「特別」が私にどんなに必要なのかを知った。
負いきれない罪を、十字架であがなわれた「特別」
霊の目が開かれ、みことばから平安を得た「特別」
一人ひとりに頂く、イエスさまの「特別」な愛。

聖書を学び始めた方が
「友達が、『あんた変わったね。明るくなって。』と言われて、自分では全然気づいていなかったから驚いたけど、嬉しかったわ。」
そのようなお話しに、私もイエスさまに出会った頃に同じ事を言われたことがあり、その時の喜びを思い出した。彼女もイエスさまの「特別」に出会っているんだ。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

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