石ころ

ピレモンへの手紙

 

獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。
そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。(10~12)


キリストのゆえに囚人として獄中に在っても、パウロは何者も奪えない自由を持っていた。彼のうちに居られるキリストの愛を、束縛するものはなかった。
彼が救いに導いた奴隷オネシモは、主人であるピレモンに損害を与えて逃げた者であった。


主人の元から逃げ出した時は役立たずの奴隷が、信仰を得てキリストに仕える者となり、パウロにもわが子と愛されるまでに変えられていた。
そのようなオネシモを、同じキリストを信じる者として、愛をもって受け入れてくれるようにと、懇願するような手紙である。


もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。
ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。
もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。(16~18)


パウロによって、空しい生き方から救い出され、役立つ者、愛される者とされて主人の元に、キリストに在る兄弟として帰されるオネシモは、
私たちがキリストによって、命をもって取りなされ、世から救い出されて、永久の神の元に戻されたことと重なった。


人は、造り主である神の家族から離れて、自分の好きなように生きる者となり、神の作品であるのに、作者の愛の中で用いられることを否んで、世の牢獄に閉じ込められた奴隷のように、人目の監視の中で不自由な人生を送り、死に向かって行くことになった。


パウロは、オネシモをキリストにある兄弟としてピレモンに戻す時、永久までも離れることのない、キリストに在る家族という新しい関係を示し、オネシモが与えた損害をあがなうと伝えた。

それはまるで、罪の世で私たちがキリストに見出され、キリストの命によって世から買い戻されて、神の家族として永久に神の祝福の中に戻されたことである。


喜んでパウロに仕えたオネシモを、権利を持っているピレモンにパウロが少し惜しみつつ返すのは、救いに導いてキリストに仕えて働く者となった人を、主のみこころに委ねて手放すことと似ている。

私たちがキリストの贖いによって救われ、神の元に返されたとき天の喜びは大きく、失われていた命を、永遠に取り戻した喜が天に満ちるのだ。


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