石ころ

7年目の寡婦サン (2021.10.07)

 

 

 主人がパラダイスに移されて今日で7年。イエスさまの御許で安らいでいることを私は知っている。それは最高の慰め、淋しい時にもそのことに思いを巡らせると癒やされる。 

 

 そこで今日は寡婦サンの頑張り。裏の溝掃除をして落葉に備え溝に蓋をした。台風の季節は浅い溝の蓋を外しておく。主人はどうしていたのか・・まったく覚えていない。任せっきりで気にもしていなかった。

 

寡婦サンは木の枝を背伸びをして切ったり、それも、のこぎりで引き始めたは良いけれど、疲れてしまって翌日にやっと切り離せたり・・あはは・・ルールはない。とりあえず出来ればそれで良し。

 

 金木犀を切り過ぎて、今秋はほとんど花が咲かなかった。取りあえず伸びすぎた木を低くは出来たのだ・・ルールはない。やる気になった時は逃せない。
去年は千両の剪定時期が悪かったのか、実がほとんどつかなかった。けれど、今年は沢山の実が付いている。まぐれは良い時もある。

 

 主人が亡くなった当時は少し呆けていた。役所の手続きなどで何度同じことを確認しても、理解できなかったことがある。
その経験から、人は呆けた状態になる事があっても、回復できると信じている。

 

食事を作るにもひとり分に戸惑い、配達の注文をするにも、自分の名を伝えるだけのことに恐れた。何十年も使って来た主人の名が使えなくなって、すべて自分の名で仕切ることに困惑した。

 

あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主はイスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれているからだ。(イザヤ54:5)

 

頼りない日々の支えはみことばだった。私たちはキリストの花嫁なのだと・・、私は一人ではなく永久までの夫があるのだと。

それでも弱気になった時「お前はそれをしてみたのか」と思いの中で問われた。
「では、やってみましょう」と手を付けてみると、思ったよりもずっと容易く出来るのだった。

 

そんな経験の中で7年、「天使の手が有る」と最近は何かにつけて当てにしているが、その天使の手が、主人の遺してくれた息子だったりするけれど・・。


時にはふざけて写真の主人に悪態をつくが、穏やかな笑顔に勝ったためしはない。もう二度と勝てない。


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