石ころ

ヨブ記まとめ

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 ヨブ記を通して、神さまはなにを私たちに教えて居られるのだろう・・って、今朝も次男と読み返していて考えた。
ヨブは潔白で正しかった。それは神さまもサタンも認めている。でも、神さまにとってこれで完全ではなかったんだ・・。そこから始まったのがヨブ記のように思う。

 私は、
「ああ、ヨブのようでなくて良かった。神さまがサタンに自慢されるほどになったら恐ろしいなぁ」なんて思ったことがあった。
でも、神さまがいたずらにサタンを煽ることがあろうか・・そこには何か良いご計画があるに決まっている。

それは、やはりヨブのこの言葉にあると思う。
「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。」(ヨブ記42:5)

 実際にヨブは神さまを見たのか・・いや、嵐の中からの神さまのことばだった。
そのうえ、神さまはヨブの問いに直接に答えられたのではない。ご自身を語られただけ。

イエスさまもそうだったけれど、人の言葉に対して直接その問いに答えることが、神さまを理解することになるとは思えない。そもそも人は、何を問えばよいのかわかっていないから・・。

 人は理不尽に出会ったとき「なぜですか!」と、それも多分の怒りや恨みを込めて質問をするけれど・・。
それには、神さまは決して個々に答えてはくださらない。

でも、みことばによって理不尽の極限を経験してくださった御子イエスさまの十字架を知るとき、そこにすべての答えと深い感謝がある。
深く大きな愛のご計画に出会って、私たちはヨブのように口を閉ざし、御名をあがめるのである。

その中で私たちの霊も魂も聖められ、恨みも怒りも洗われて、新しくされ祝福をゆっくりと経験してゆく。

 ヨブが言ったように、誰かから聞いて知っていた神ではなく、この現実の中で働くみことばを通して知ること、味わうこと、信頼を真に深めることを神さまは待っていてくださる。

弱い者は絶えず叫ぶことができるけれど、正しい人、強い人はどのようなときに神さまに叫ぶことが出来るのだろう・・、でも、大丈夫。神さまはそのチャンスを準備してくださるから・・。それはちっとも恐くはない。初めからそれは良い計画なのだから。

そう、神さまは待っていてくださる。潔白で正しいという生き方よりは、もっと神さまが私たちに求めて居られることは、日々「私にも見せてください!」とばかりに真理に渇いて求めること、捜すこと、たたくこと・・。


こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。
また、愛(イエス・キリスト)に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ3:17~19)

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